武道カラテ稽古日記

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新年明けましておめでとうございます。

 押忍、新年明けましておめでとうございます。
このブログを御覧頂いたている皆様に、この場を借りて新年の御挨拶を申し上げたく本年も引き続きさまざまな御意見と御指導宜しくお願い致します。

 二十年ぶりの年末年始の雪模様でした。急に冬めき、身も縮まる一時皆様はいかがお過ごしでしたか。御多分に漏れず、大晦日は、TVの格闘技イベント。う〜む。見られる試合と見られない試合、玉石混合。ともかく長過ぎる!!どちらも似たような総合、どうなんでしょうか。見る側からすると少々疑問符です。ただ柔道界から転出組の試合に対する意識は、見事だと思いました。試合後の態度も含めて。どの競技でも一流となった人達は、その過程で心身とも大きな犠牲を払いながら揺るぎない自信と自負を身に付けるものだと思いました。別にいつも考えていることですが、そういう選手たちは、たぶん生来の「イジメっ子」なのではないかと考えています。気の強さとは本来、変わるものではないと思います。自身が、負けるイメージなど考えもしない人達こそが、あのような戦い方が出来るものだと思います。いいか悪いかは別としてですが…。

 今年も始まりました。私は、年なので稽古は休みません。休むと身体の強さが維持出来ないようなので、明日からひとり自主トレを開始します。せっかく掴みかけた技や身体の使い方を忘れないようにしなくてはなりません。なにせ一般の普通人である自分が、これからも一応実戦の場で動き続けるためには稽古あるのみです。
 ただし寒いですから身体が、壊れないよう注意は怠らないつもりですが、さてどうなりますか…。
# by katsumi-okuda | 2005-01-01 16:39 | 稽古日誌

武道の要その3

 この前久しぶりに大人数で基本をやりました。少々風邪気味だったこともあり、大変きつく感じてしまい、ふだんの稽古の大切さを又感じてしまいました。後半、一汗かいてからは、体調も良く感じ、まずまずでした。
 いつも皆に言っていることですが、「稽古しなくて強さは維持出来ない。口だけでは、何の足しにもならない。継続こそ真の強さの源」自ら改めて感じてしまいました。立場上、さまざまなところで会合やら何やらで時間を取られ、ここのところ身になる稽古が、なされていなかった証しになってしまい深く反省してしまいました。
特に年末年始、体調管理にはこれまで以上に気を遣いたいと実感しております。
 来年に向けて、ここ十年近くかけて実証・確認してきたことをまとめていきたいと考えています。考えていることと実践が噛み合ってこその私達の空手。極真カラテ大山総裁に生前「極意は君たちが、稽古でつかむもの。自分自身のカラテの中にそれはあるのだよ。」と言われたことを改めて考えることができました。
 結局、稽古し続けているものが絶対に強いと言う大原則。このことを指導者始め道場生全員で追求出来る姿勢を自らが範を示し努めていく所存でおります。
 それにしても咳きが、抜けません…。
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# by katsumi-okuda | 2004-12-27 20:21 | 評論

クリスマス前後ですが…

 私の仕事の一つとして地元のスポーツクラブでの指導があります。エアロビなどのクラス同様、クラブの会員さんは自由にクラスを選択し運動することが出来ます。
当然、空手着もナシ。正座も道場訓もありません。ともかく空手や武道の動作を経験してもらい、それまで使っていない筋肉や感覚を呼び覚ませるよう、厳しいことをより楽しんでやってもらっています。教える私にしても道場とは全く違う意識、教え方が、要求されるためにいつも勉強です。今日は、何をどう教えようかどのような話を中心に進めていこうか…正直大変です。でも、そんな私のクラスに参加されている特に常連の皆さんは、その日のために仕事・体調維持・時間管理にわたるまでやってきて臨んでくれています。その中には80近くの御夫婦の方もいらっしゃいます。本当に頭が下がります。人生の大先輩の方々にお教えするのですから、もっともっと頑張らねばといつも思ってしまいます。年末は何かと皆さん多忙です。ましてクリスマス…クラブ全体人も少なめですが、いつもの皆さんは参加されて頂いています。感謝です。
 クラブで違う形で空手を教えることに批判的な諸先生方もいらっしゃいますが、私は、空手に全く縁のない方々にこそ私達の空手を知ってもらえる絶好の機会だと考えていますし、私自身何ものにも変え難い勉強の時間だと確信しています。ここで得た感覚を道場での指導にも生かせること、そして私達の空手を広められること、これからもどんどん形を変え空手を広めていけるよう精進します。そんな私を常連の会員さん達は、「空手普及のための伝道師だし雰囲気似てるからフランシスコ、ザビエル」
などとおっしゃってくれます…嬉しいやら哀しいやら、確かに風貌は似てなくもないのですが…それも御好意と受け取ってこれからも頑張ります。と言うことで年末年始も稽古三昧です。頑張ります。皆さんも、体調に留意して下さい。
# by katsumi-okuda | 2004-12-23 20:31 | 稽古日誌

武道の要その2 私達の道場

特に団体を離れてから常々考えていました。私達の道場の特徴、他の極真系との違い。これは、団体として運営していく場合、特に重要だと考えておりました。
今では同じ極真と言っても団体が、違います。新しく入門される方や今稽古されている道場生にとってもきちんとした形で「理念・指導方針」などが明確にされなくてはならないと考えていたからです。私の信条としてまず1000の実践とそこから生まれる一つの理合。ここ数年、さまざまな機会を通じ見聞し考えを整理してきました。
 いきついた答えは「私たちの道場は他で三年かかることを一年で成し遂げ」また「一年かかるものは三ヶ月で効果が出せる」ことであり、それを全員で各団体の大会等で上位入賞することで実証してきたことです。指導する側の姿勢としては「入門した全員を必ず一定レベルまで引き上げられること」であり「通常の稽古をこなしていくことで高いレベルでの心身の向上を目指すこと」つまり明日本番と言われても大丈夫なくらいの体力・技術力・意識を全員が、持てるよう稽古内容そして指導はなされるべきであると確信し、特に指導する者は、全員の規範として常に心身の向上を計ること。特にそれは、この団体の代表として動いている私自身に向けられる言葉なのです。名ばかりの師範と呼ばれ組手一つ出来ない理屈ばかりの先生にだけは、ならないと心に決め、絶えず精進することでしか生まれないものを身をもって率先し、それを全員で追求していく姿こそ私達の道場なのです。すくなくとも他では見られない道場とすべく来年は、外へ向けてこれまで以上に活動していく考えでおります。
 
# by katsumi-okuda | 2004-12-22 11:45 | 評論

いつの間にやら年末…

 先週土曜日、出稽古に福島まで行って参りました。また日帰りで…。
この場を借りてM師範始め道場生の皆さん本当に有難うございました。改めて正しい指導を正統にやられている方々と接して心地良い一時と確信を持てた一日でした。
 空手を空手として真摯に稽古されている皆さん、そしてそのために日々さまざまなことに取り組まれている師範には頭下がる思いがいたしました。そんな心地良い気持ちでここ数日稽古に励んでいたのですが、日曜にTVでやっていた所謂「寸止め系」の空手の試合がビデヲに残していたので観てみました。意識としては、全く別のスポーツだと言う認識で観たのですが…。試合そのものよりも特に組手の部で優勝した選手の試合外の態度・礼儀(試合場の去り方、TVの優勝コメントなど)等が、全くなっていなかったことに大変嫌な感じを受けてしまい腹立たしくなってしまいました。
 以前にも言いましたが、別世界でやっていることに関して私は、どんなものでも尊敬の念を持って接するよう心掛けています。そこにはやっている者にしか分からない厳しい世界が、あるのですから無闇に批判したりこちらの世界の事に引き込んで論ずることは正しいことではないと考えているからです。但し、一人の社会人として見た時この選手の態度や人を馬鹿にしたような言動は、空手をやっている人達全体をおとしめている気がしてなりません。そんな不遜な態度を許してしまう関係者も、どうかと思います。何故か、寸止め系の選手に大変多く見られる態度です。いかにも俺は強いんだぞと言う低レベルの態度を試合外でも取る人達が…。同じ武道としてやっている私達からは、信じられず情けない気分にさせられてしまいます。
 少なくとも実践系の選手の人達には見られない態度です。何がどう違えばそんな態度をとるまでになってしまうのでしょうかコメントのしようがありません。
 私は、特に自身の礼節には気をつけているつもりです。人の長として絶えず「不遜な態度」などを取らぬよう心しています。人として恥ずかしく武道に反します。それは、特に私どもの指導者や上級者にも要求しています。下の者にとってその存在だけでも脅威な先輩が、不遜な態度ややり方では何の礼節だか、謙譲の美徳だかわかったものではありません。私達、実践系の者は特にイメージとして乱暴者に見えるようですから、よくよく心しなくてはならないことだと痛感しています。
 過去にもこんな例が…。特にこちらは、勉強のつもり、まして年長の相手を立てているにも関わらず分けの分からぬ批判(極真の技は汚い、効かない突きや蹴りは精度が足りない等)を面と向かって公言する寸止め系の諸先生がおりました。口は災いのもとです。その場で私は、双方のルールで立ち会いを所望しました。私が本気で怒っていることに気がつかれたのか、前言撤回、有耶無耶に…。責任のない批判は、時として他者への冒涜になります。武道全体が、いままで以上に発展するには、こんな意識の取り違えやお互いを認め合うことからなのでしょうが、その道はかなり遠そうです…
# by katsumi-okuda | 2004-12-21 12:13 | 稽古日誌

体調は悪いんですが…

 どうもやはりと言うべきか風邪が、抜けません。稽古中も咳き込んでますので、まるで一時代前の「陰ある悪役空手家」のようでかなり情けないです。
 ですが、そんな時いつも感じることなのですが、体調と組手の感覚は別物、いや逆かもしれないと感じています。体調が悪い分、いつも以上に感覚が研ぎすまされたり鋭角になっている気がします。もちろん、体調が悪いのも限度ものなのですが…。
 相手が何か動こうとする初動や次に何をやってくるかが、その刹那感覚として分かります。また、時として相手の動きが、スローモーションのように感ずることも多々あります。たぶん、これは、いつも以上に相手を「観て」いるのでしょうし、又、いつも以上に自分の身体の変化に敏感に対応しているフシが、見て取れます。そのために相手の動きの些細な感覚のズレを察知しやすくなっているのかもしれません。
 そんなとき相手の皆さんには悪いんですが、何をやっても無駄なときてす。すべて詰め将棋のように私は手順を追って、いつどのようにこの一局王手を取るか考えているだけで相手を考えてはいない時なのです。私にとって現在ベストな組手とはこのような状態、相手や勝負に捕われることなく平常心と共に相手と共に動けること反応出来ることをさしますし、いつでもそのような状態に自分をコントロール出来るようになりたいと考えております。
 そうかと言っていつも風邪ばかりひいていたら…死んでしまいます。
そう考えるとこの感覚を掴むこと自体、やはり、難しいことですね。本当に日々稽古するしか手立てがありません。千の理屈より一つの実践です。
 早く治りたいとも思うンですが、もったいない気もしている今日この頃です。
# by katsumi-okuda | 2004-12-17 10:46 | 稽古日誌

武道の心得そして覚悟

 ここ数日違う事例で似たような意味のことが、ありました。
「何故、あなたはそんなにいつも身体を鍛えているのですか」「あなたにとって武道とは、空手とは何ですか」会合をもった教育関係者の方の質問です。
 お答えしたのは、私の信条としてですが、自分が不慮の災害等にあった時、平気でいられる心身を作ることが目的で日々鍛えているということ。もちろんいつまでもどこまでも強くありたいという願望も強くもっていること。そして、人前で一人前の人としての所作や言動が、乱れない自分なりの「武士道としての心得そして覚悟」をいつどんなときでも表現出来るようさまざまに精進していることを上げました。
 特に「心得・覚悟」に関して理解しずらいようでしたが、簡単に言えば、私は特に子供や一般の方々に平たく言えば喧嘩のやり方を年中考え、教えていることで生計を立てている者です。私が、少しでも間違えた言動・所作をすることでその影響は大きなものが、あります。何故、鍛えるのか、何故基本なのか、そして何故相手を痛めつける空手なのか…。全てに意味が、あります。それを行っている全ての人が例えそれぞれの目標が、違っていてもそこに共通の基本原則はあります。難しく言えば自己の完成の為であり、人としてのあり方を模索しているのです。自身が、苦しく辛い稽古に身を投ずることによって自己犠牲・慈愛を身に付けることは容易ではありません。
ですが、改めて人と違う能力を有した時それを自然に感じられるまでにならなくてはならないと思っております。こんな時代ですから人との諍いや争いごとは、避けられないことも間々あります。そんな状況に際して自分がどう対応するのか、また出来るのか改めて考えなくてはならないと思います。前にも述べましたが「若いうちは体格で勝ち、次は技で勝ち、ひいては人格・心格で戦わずして勝つことを目指す」とは武道の原則です。それをいつも心に留め置くことこそ「心得」であり「いざ!!」というときが、あるものとして「覚悟」して日常を過ごすことが大事と確信しております。
 子供たちに質問されました。「相手が、かかってきた。それでも空手を使っちゃいけないの」至極マトモな意見で健全な発想です。答えて私は「使っていいのは相手が自分より大きく学年も上の場合。そしてそんな場合でも、見事相手の攻撃を受け切ってごらん。受けられるだけの身体も技もあるはずだよ。もしそれがやれたら相手と喧嘩にならないしそれこそが空手だよ」「本当に強い者に向かっていく勇気。そして一歩相手から引く勇気。どちらも尊い。その両方出来るよう頑張ろうね」
自分への戒めも含めそう答え「心得そして覚悟」についてふと考えた一時でした。
 
# by katsumi-okuda | 2004-12-15 12:25 | 稽古日誌

私見「武術の要」

 これは私の経験上、確認出来たこととして述べたいと思います。
特に「組手」において重要なこととして私は、第一に「観る」ことだと感じています。相手の姿を落ち着いて正しく「観る」ことによってかなり多くの情報を得られます。もちろん情報を得る他のものとして「聴く」「触れる」もありますが、ここでは始めに「観る」ということから始めたいと思います。
 武道の世界でよく「先をとる」という表現が、あります。「先をとる」とは「相手との間をつかむ・とらえる」とも言えます。単にカウンターをとるとは、意味合が違いますが、初めて取りかかる人は「後の先」という「相手が自分に攻撃を仕掛けてくる時に合わせる」カウンター的な稽古でも構わないと思います。
 どちらにしても「相手をよく観て」いないと始まりません。この場合、何度となく実戦で使用してみて身体に覚え込ませていくことが肝心です。そうする過程で相手が動く瞬間や動作の「起こり」が自然に分かるようになります。特に選手の人達はその修得を試合で会得していくことが、多いようです。どの場合でも、相手を最後まで変わらぬ感情と知性をもって観続けることによって何が、というのではなく、何かの瞬間が分かるようになります。また、相手が、よく見えるということは「相手の呼吸が、読める」とも言い換えられます。私は、よく皆さんに「相手と同調しろ」という表現を使っていますが、えらく感覚的な表現で聴いている方は大変だと思いますが、今のところそうとしか表現のしようがないのが現実です。ですが、分かりづらいことのようですが、まず「理性・知性」としてその「技」を認知してもらい、取りかかる方が、修得は早いように思われます。
 それ以外にその「先をとる」稽古として有効なものが「真剣な約束組手」です。
意外に思われるかもしれませんが、いつ何が飛んでくるか分からないものに正しく反応しようという約束組手は、その意味では大変効果的だと考えていますが、その場合もやる側が、どれくらい真剣にやるかにかかっていることは言うまでもありません。
 私達は、その稽古の一貫として「手技のみ顔面あり」をやることによって真剣さを助長し先をとる感覚を身に付けてもらうようやっていますが、それにしてもその成果は、人それぞれです。まずは、それを身に付けようという意識を高くもって稽古の継続あるのみだと確信しております。
# by katsumi-okuda | 2004-12-12 20:24 | 評論

今日は少年部審査会

 12日日曜、久しぶりに冬らしい寒さの日。今年最後の少年部審査会でした。
特に昇段をかけて中学生2名が受審、その他小学低学年が多勢。この中学生達もそれこそ小1や幼稚園年長から頑張ってきた連中。見ていて感慨深いものがありました。よく稽古に勉学に努めている二名は、全員の良き手本。体力・技術的にも現時点では満点。初段おめでとうと今度誉めて上げましょう。そして、初段とは、本当の意味での物事の始まりということを再認識してこれからも頑張ってもらいましょう。
 少年部のそんな必死の姿や真剣な眼差しを見ているとこちらまでもそれまで以上にやらねばという気にさせてくれます。
 ちなみにこの季節、その少年部によく風邪をもらいます。私の唯一の弱点は、風邪の免疫がないに等しいことです。はぁ〜っ五十路にして子供なみの免疫に泣かされる季節となりました。皆さんも風邪には気を付けてお過ごし下さい。
(そういえばアメリカ人は、風邪の予防でうがいや手洗いをしないそうです。所代われば何とやらです)
# by katsumi-okuda | 2004-12-12 19:22 | 稽古日誌

武道と競技の融合

 私の信条は、あくまでも実戦、特に競技空手において「武術」としての技を使うことにあります。無論、そのために日常の武道的な姿勢や考え方は、その根幹にあります。ですが、世に言う理論だけ振りかざすことは絶対にしません。
 例えば、極真系の緑や茶帯クラスまたは選手レベルの人達が、普通にラッシュしてきたら…。幾人の(理論を振りかざしている)先生方が、それにその技をもって、対応出来るのだろうか甚だ疑問に感じているのは、私だけではないと思います。
 特に若い人達を育てていく場合、理屈ではなく実戦です。相手を体力的にも技術的にも凌駕してこその指導であり、範を示すことの一つだと考えております。口だけでは、指導にも限界があります。
 私は、武道・武術を競技の中に活かすことを考え日々実証を繰り返しています。
ちなみに、相手に合わせ一発で勝負が決するということは、現実問題としてそうあることではありません。武術の技の精度が、低いからだと言う意見もありますが、必死に向かってくる人間は、そう簡単には倒せるものではありません。まして競技としてルールがある場合、人が倒れる確率は著しく低下します。相手との実力差があっても相手が、逃げ腰の場合等その時の状況によっては、規定の時間内に倒すことは難しくなります。その意味でも競技の中に武術そのままを組み込むことは、大変難しくそれこそ限られた達人の方々しか出来ないことなのかもしれません。
 私は、あくまでもその競技の中にあって私が指導した者が、出来る武術の技を伝えています。それこそ教えてすぐ出来ることばかりではないのですが、早いうちにその考え方を知ってもらうことも意義のあることだと考えています。
 年令相応の基礎体力と実戦(組手)の経験値でしか、ものは語れないと断言します。
前にも言いましたが、稽古によって健康であることが、第一。健康でなくては、一社会人としてどうかと思います。それを強化していく過程で組手で傷めたり壊すことなく繰り出せる身体と技が出来上がってきます。そのためにどんな稽古でも意識して集中することが、大切になってきます。
 次回は、実際の組手ですが、武道で言う「先をとる」を実際にどう使うかを述べたいと思いますが、ヒントは「集中力」そして「平常心」です。
# by katsumi-okuda | 2004-12-08 12:43 | 評論