武道カラテ稽古日記

ブログトップ | ログイン

<   2018年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧

…年月の流れは、考えた以上に早かった。

…年月の流れは、考えた以上に早かった。

この地で曲がりなりにも武道を伝え始め、四〇年余りになろうとしている。

そう大して多くない道場生も、延で四千人を超えておりますが、その中でも強くなった者、後に功成し遂げた者とは、「続けられた者」に尽きる。

たとえ、歩みが遅くとも、さして戦歴が優れた者でなくても、たえず歩を進めた者と断言出来る。

どんなに優れた天賦の才に恵まれていようとも、一時の閃きだけでは、何も成し遂げられてはいない。結果、才能とは、進めていくための一つの手立てに過ぎない。
最も大切なことは、続けられる本人の意志とそれを陰日なたと支えてくれる周りの方々の尽力によるものが、大きい。

何かにつけて、止める理由を探すのが、人間の本性。
それをいかに、理や智をもって押さえ込み愚直に続けられたか否か。

流石にこの歳になると、そのことの正しさを実感してならない。

少なくとも将来ある子供達や若い人たち、そして、まだまだ先があると立ち向かう気概溢れる年長者の方々、出来る限り続けてもらいたい。

幼少期からなら少なくとも中高に至るまで。
一般なら身体に変化のあらわれるまで。

気がつけば、私と同年で当然私以上に才があり優れた者達のその殆どは、稽古鍛錬の道から居なくなって久しい。

どこまで出来るかは、わからない。

しかし、やれる限り、道場生と対等な稽古鍛錬を積んでいく。
まだ先は、見えない。
動き泥む身体を毎日毎日ひきづりながら、それでも、場に立ちたいと願う。

自身の我儘に付き合わされる皆さんには、申し訳ないが、今暫く共に稽古鍛錬をお願いしたい。
…何故か、いつも、この時節になると思う。
a0026020_12385780.jpg


by katsumi-okuda | 2018-04-29 12:12

何をどう思い、どう立ち向かうか…

何をどう思い、どう立ち向かうか…

何をするにせよ一番大事だと思うことが、
自分の気持ちだと思う。

弱い自分を真正面から見つめ、それが、わかった上で物事に立ち向かう。
やる前から負けた気分になんて絶対にならない。どちらかというと勝った気分、ワクワクしながら立ち向かうように努めること。
それが、例え本心と違っても…。

試合や受験に立ち向かう子供達にそんな話しをよくする。
やる前から負けた気分になるな。
自分の力が、どれだけ相手に通用するか全力で試してみる。
その試せる機会を「楽しむ」と表現しても間違えではない。どこまで通用するか全力で試して楽しむことが、出来れば、それで良いと思う。

大会、試合シーズンになる。

稽古の一環が試合。
結果は、後から付いてくるとも言う。

しかしそれでも、勝ちたいと誰もが思う。

その思いの狭間で揺れ泥む。
それもまた当たり前。

だからこそ、やる前から負けるなんて、勿体無いことを考えないことだ。
その気持ちを正すためにも、やれることを全部出し切れるよう努めなければ…。

「相手は手足が何本もあるバケモノじゃないんだよ!同じ人間なんだから!」

ホントによく総裁に言われました^ ^
そして、本当にその通りだと思いますね。
a0026020_11470787.jpg




by katsumi-okuda | 2018-04-27 11:29

…はやすぎる。

…はやすぎる。

ここのところ名を成した方々が、急逝されている。広重師範、そして岸信行先生。

特に岸信行先生は、かつて私が総本部時代、初めての頃ご指導頂いた指導員のお一人でした。

稽古は、いつも率先して体現して見せ、その当時の極真の何たるかを教えてくださった。

その厳しさの中でも、稽古が終わると朴訥とした優しさに触れたことを懐かしく思い起こされてならない。

広重師範とは、さほど面識がある方ではないが、いつも理路整然とした立ち振る舞いとその指導力の確からしさに感服するばかりでした。

厳しい稽古が、アダになったとは、思いたくないが、少なくとも、今より健康に留意されてなかったのではないかと推察するばかり。

同年代でもまた、私自身も、病を得て考えることは少なくない。

これからの日々、どのように過ごさねばならないか、考え思うことがある。
今はただ、ご冥福をお祈りするばかり。
a0026020_12541205.gif


by katsumi-okuda | 2018-04-24 12:42

どんなことでも言えることだが…

どんなことでも言えることだが…
ふだんの練習で出来ないことは本番(試合)で出来るはずもない。

当然のことだが、この当然が難しい。

勉強にしても、私達のカラテにしても。

そして、どれだけやっても、それで良いということもまたない。
ほんの少しの差でかちまけや優劣が決する。
その差を埋めることが、何より大事。

そして、その差を埋める元が「意識」「考え方」そして「思い」であろう。

ただ漫然とやっていては何万回やろうと、それはただの「動作」に過ぎない。
形を無意識の中に定着させるためには、たしかにそれも必要。
しかし、それが、いつでもたしかな形として発露出来るためには、やはり意識し毎日を過ごさねばならない。

例え時間が限られていようと環境が劣悪であろうと、やろうという強い意志と考えがあれば、そのマイナスは、少なからず埋めることは出来る。

出来ない負けた言い訳を探す前に次に何をすべきか、自身を振り返る冷静さと強い思いを忘れてはならない。無論、老いも若きもである。
年齢なんか言い訳の一つにもなりはしない。

今の現状を把握し、それに見合う行いをする。ただそれだけ。

そのために私達指導者は、より以上の研鑽を積むことが至極当然だと思うが…。
a0026020_11395428.gif


by katsumi-okuda | 2018-04-17 11:24

同年代で集まると決まって…

同年代で集まると決まって…
自分の病気自慢⁈か孫自慢…
それなりの歳になったということですね。

でも、あえて話さないこともありますね。
政治の話、宗教の話など
個人に関わることは、あまり話さないですね。
どんな考え方でも、尊重はしますが…
あまり楽しい話ではないので遠慮します。

そして、自分の趣味の話で盛り上がることもありますが、これも中々、難しいものがありますね。話してる本人は、楽しいんでしょうけど、あまり興味のないことには、反応しづらい^ ^

本当に人それぞれです。
色々な楽しみ方が、あるように私たちの武道も、捉え方は、人様々で良いと思っています。

若い頃なら一心に強さを求めても良い。
私達のように年嵩を重ねたのなら、まず自身の健康を考え、ことに当たるでも良い。
また、武道の高みを目指し、様々な研鑽をすることも、また良い。

皆が同じことである理由はない。
例え稽古が、同じであっても、その目的は違って当然。
そうでなければ、これからの次世代、武道は、残ってはいけない。

どんな物事でも、時代と共に変容する。
良い部分を生かしそこに合わせる。
旧い稽古や考え方から新たな導きを得ることもまたある。
そしてまた、若い人たちからの見解が、新たな地平を見せることも事実だということを私たちは、知らねばならない。
a0026020_17275375.gif


by katsumi-okuda | 2018-04-10 20:41