武道カラテ稽古日記

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忙しいことは、確かに忙しい

忙しいことは、確かにそうなのだが!稽古を怠る言い訳にはならない。

それよりも、忸怩たる思いは、思うに任せぬ、今の自分の身体のありよう。

特に両の腕(肩の中)の傷みに苛まれて久しい。
確かに手術をすれば、それなりによくはなると聞いてもいるが、今更身体にメスを入れるのも憚られる。

ふとした日常の動きさえ制限されてしまい、以前のような鍛錬が、満足に出来ないでいる。

ただ、だからといって「諦める」ことは自身の矜持に反する。
出来なければ出来ることから。

そして、行き着いた先にやはり、カラテそして武道の動きがある。

普段から「極力姿勢を正し」事あれば「深呼吸否人知れず息吹」ゆっくりとした筋トレ「スロートレーニング」そして、余計な力みを正すために柔軟。
子供達の速さについていく。
一般部の組手の間合い、呼吸の読みを解く。

やれることは、まだある。

この春が、過ぎるころまた少し、深化してみたい。

by katsumi-okuda | 2018-02-27 14:24

本当に忙中閑ありとは…

本当に忙中閑ありとは…

大会準備に追われて日々の忙しさに体調も崩しがちになりやすい中、あまりTVのことに無関心な自分にも、冬季オリンピックの日本人の活躍には、頬が緩む思い(柄にもなく)

選手たちは、皆どれほどの練習を積み重ね、その場に立ったことだろうか。
想像に難くない。

ただ、襲いかかる見に見えない「プレッシャー」を自らの励みにしてしまう選手たちの姿にやはり、心踊り奮い立たされもする。

プレッシャーや重圧は、頭の上からくると感じれば重荷。だが、背中からの後押しだと感ずれば、この上ない力となる。

わかってはいることだが、それが、その場所で出せるか否かが、分かれ目。

それこそが、普段の練習や思い。
それが、考え方感じ方を変えてしまうと改めて若いアスリート達から感じさせてもらった。

さぁ、私たちの大会に集ってくれる多くの選手たちに慎ましいながらも最良の舞台を作らなければならない。
あと少し、身が持ちます様に…
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by katsumi-okuda | 2018-02-25 18:07

数日前、誕生日を迎えた…

数日前、誕生日を迎えた…
「仏滅のバレンタイン」
「戦場のメリークリスマス」
見事な対義語で笑った^ ^

子供の頃は、たしかに誕生日は、嬉しかった。
私たちの世代、あまり誕生日会のようなものを開いた記憶はないが、それでも、なんとなくココロ浮かれる日でしたね。

若い頃…あっ「人生で一番モテた時期」
中学校の頃です。
これだけは、自慢します。
三年になって相当数色々もらいました^ ^
何故か、その時だけ…。

そして、二十歳代からは、なにかと忙しく誕生日自体考える暇もなかったし、何処と無く祝ってもらうことが、気恥ずかしかったりした覚えも…。

いつの頃からか、派手にされることを避けております。
元来、ナマケモノな性癖なせいで、人様にチヤホヤされたりすると、すぐ図に乗り日々の積み重ねを疎かにしてしまう自分がおりますので。

ましてや「道場」です。
あくまで「個人的な考え」なのですが…
「道場で娯楽めいたお祝い事などをやるのは、私個人としては、好きではありません。

例えば、お寺や神社の人たちが、まさかのハロウィンやったりクリスマスの飾り付けしないし、僧侶や宮司さんが、そんなカッコするはずもないですよね。
なのに、…
ということで、私は違和感を感じてならないので、滅多なことでは、やりません。
まぁただ時代遅れ、旧いだけなのかもですけどね^ ^」


子供達が、楽しそうにしている姿は、とても素敵ですけどね。

流石にこの歳して「歳アピール」するのは、
どうかと思います。
そんな暇あったら、鍛錬してます^ ^

いや今は大会組み合わせやらで追われ、頭が…
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by katsumi-okuda | 2018-02-16 09:36

 乗り越えるチカラを

 思うに…
負けることを恥ずかしい嫌だと感じているその多くは(大人も時として)、男子に見受けられる。
かく言う私も、思い起こしてみると、そうだったように思う。

 確かに高い壁に挑むことは、難しい。
まして簡単に勝てそうもないことに挑むとなれば尚のこと。

それでも、それを承知の上で幼い時から体験したり挑んだりすることの意義は、とても大きい。
負けても失敗しても、それを「乗り越えようとするココロ」を様々な形で体験経験出来るということは、特に子供達にとって、これから色々な壁に直面した時、大きな支えとなる。

例えば、出来ないことが、出てきた時、アッサリ投げ出してしまうのか、それとも、その失敗した経験を活かし次につなげ、何度となく挑める姿勢が、あるかで、その先に見える景色は、明らかに違うことを特に子供達に知って欲しい。

確かに失敗しても、それが自分とって楽しいことなら気にならないだろう。
でも、世の中で、そんなに都合のいいことばかりが、目の前にあるわけではない。
その時、簡単に投げ出す逃げ出すのか、それとも、何度となく挑みかかるのか。

簡単なことではない。
だからこそ、幼い時からの経験が、大事なのだとこの歳だからこそわかる。

懸命に立ち向かって失敗したり負けても、その姿勢を大いに称賛してあげましょう!

懸命にやっている人や挑戦している人たちは、不意にまわりの景色が、変わることを知っています。たとえ、まだ結果が出ていなくとも。

挑み続けている今と何もやってなかったあの時の自分を比べれば、明らかです。
何歩も前に進んでいるのです。
やらなければ挑まなければ、そこには何の進化も成長もないのです。

ですから、私のような年長者でも、その歩みを止めたくはないのです。この齢になってもまだ「進化」出来ると確信しているからなのです。

若い人たちや子供達は特にそうあってもらいたいといつも思っております。
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by katsumi-okuda | 2018-02-08 19:18

型に関する私どもの見解

今日、午後に他団体の先生と少しお話をしていました。
話の内容は、型の件に関して。
仔細は、省きますが、私どもの大会に型で出場するみなさんの為にそして、それを見守る先生やご父兄の皆様に向けて、少し私どもの大会の型試合に関する見解を述べたいと思います。

  まず、私たちは「極真カラテ」「実戦カラテ」であること。どういうことかと申せば、実戦を旨としている観点から型を見守るという姿勢が、意識せずとも審判の先生方に共通認識としてあるということです。

ですから、どんなに流麗にやろうとも、それが実戦にそぐわないものならば、加点も覚束ないということです。

よく話題になることの一つですが、型の手順や解釈に相違がある場合は、どうするんだと仰る方々が、おります。
確かに総裁が、存命の折、その時々で教えられたことが、変わっている場合が、少なくないのも事実です。しかし、その折々で、総裁が良いとお考えになり日々改修されていたことがあり、その時々が、正しいとも言えるのです。

ですから、何をもって今の段階で、正解ということは、言えないのが現状ではあります。

それでも、型試合とする場合、最も重要な要諦は、変わらないのも事実であり、そのことをもって競技としたの優劣をつけていくべきだと考えております。

例えば、打突に際し「手首が曲がっていたり、拳の握りが、定かでないのは、実戦で役に立たない。よって減点とする」
「もっさりした移動の仕方は実戦ではありえない」「実戦を意識していない受けや構えは、どんなに流麗であっても加点されない」
「弾き足のない蹴りは、蹴りとは、言えない」
など、要は「最も重要な要諦と言える基本的な箇所が、出来ているか否か。そして、それらが、実戦に即したモノになっているか」

簡単に述べれば、上に述べたことが審判団の見方の一つだと考えて頂いて構わないと考えております。

ですから、極端に落とした構えで「ウケを狙ったような構え立ち方」も、私どもの観点からすれば良しとは、しないということになります。

それでも、確かな鍛錬から導かれる立ち方や構えが、良しとされることは事実ですから、突っ立った構えや立ち方は、これもまたいけないと考えられることとなります。

またいずれ、機会を改め、型に関する考え方を述べさせて頂きます。
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by katsumi-okuda | 2018-02-06 20:53

関東大会に思う

日曜、午前中仕事終わりから電車で高尾まで赴いた。新津先生主催の関東大会の幾ばくかのお手伝いの為に。
 いつもながら、900名近くの選手そして、多くの関係者方々を遅滞なく裁かれるその手腕には、毎度感服するばかり。
次の月、さして大きくはない私どもの大会の運営準備にも、自身辟易としてる我が身を恥じ、一層精進しなくてはと改めて思う良い機会と毎年感じ入っている次第。
 これだけの大会運営、どれだけのご苦労があったことか…新津先生はじめ志優会の関係者の皆様!本当に素晴らしい大会をありがとうございました!

 いつもながら大会を観させて頂き思うことは、選手の皆さんの向上心。
そして、贔屓目なしに若い世代の強さと巧さに、これからの指導の為に多く学ぶべきことがあることを実感しました。

何故、若い選手達が、強くそして上手いのか?
それを少しでも、私どもの選手共々真摯に学ぶべきだと改めて実感もしました。

その強さを作り上げる為に個々の努力精進も、当然ながら、やはり、「人と違うこと」をどれだけ体現できるかだと考えに至りました。

同じ体格、同じ力や速さを持っているもの同士。その中で勝敗を決めるのは、意識の確からしさ。日常の稽古の全てを組手に意識することなく体現できるか否か。

例えば、相手がガッチリ構えているところに、いくら打突を行なっても、効くはずもない。
相手の一瞬の隙、呼吸の狭間をついて打突に至る。
いわば「間の取り方、読み」そして「正しい打突」加えて、余りある「体力」そこから導き出された「打たれ強さ」

それらは、組手に関わる全ての者が、わかっているはずのことだが、それを体現できるかどうかは、やはり、ふだんの稽古の中そして、常日頃から作り上げていくべきもの。

やはり、試合大会から学ぶことは、多い。

負けて悔やむことは、当たり前。
そこから何を学び次に活かせるか。
多くの道場生にそのことを考えてもらいたい。
そして、私たち指導に携わる者も、心して考えなくてはならないこと。

さて、次は私どもの大会。
主役は、ここに集ってくれる選手たち。
皆が、満足できる大会運営を心がけたい。
今は、ただそれだけ…。
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by katsumi-okuda | 2018-02-06 20:15