武道カラテ稽古日記
2023-09-20T15:04:27+09:00
katsumi-okuda
武道カラテを目指し日々稽古に身を委ねる年配者の記
Excite Blog
変えるものと変えられぬもの
http://budokarate.exblog.jp/241930058/
2023-09-20T14:39:55+09:00
2023-09-20T15:04:27+09:00
2023-09-20T15:04:27+09:00
katsumi-okuda
未分類
今週末、福島県大会にお邪魔するが、どうやらその辺りからは、涼しくなりそうだが…
暑さ寒さも彼岸までとは、先人の言う通り^ - ^
どのような大会に出ようとウチの道場生、選手達には、厳に申し伝えていることがある。
どんなに年若くとも一空手家として、立ち居振る舞いに乱れのないこと。
礼儀は、言うに及ばず、その戦い方も問われる。
武道の試合である以上、余計な物事を差し入れない。
清潔な道着を正しく着ること。
試合のルールに則り、正々堂々と戦うこと。
特に試合中の態度には、勝ち負けに拘らず正す事。
たとえ、自分に不利な裁可が、下されようとも、甘んじてそれを受け入れ時々に全力を尽くすこと。
礼儀をもって全力で戦い、その優劣は他者つまりその時の審判に委ね,決して、そのことに不満を述べない
微妙な判定になってしまうような試合しか出来なかった自身の不甲斐なさを真に受け止め、次回の自身の糧とすること。
何にせよ、試合、大会である限り、皆不用意な怪我のないよう全力で当たってほしい。
他は知らないが、ウチでは、稽古中、男子は道着の下にTシャツなどを着させない。
余程、事情がある場合や女子は別だが、暑かろうが寒かろうが、素肌を鍛え免疫力を高めることを目的とすることが一つ。
もう一つは、やはり、武道である以上道着以外、稽古中は、つけるべきではないという武道の拘りを大事にしたい思いから…旧いと言われようが、そこは大事にしたいところ。
まだ子供達なら許せるところもなくは無いが、指導者の自分達は、率先垂範を示す為にも、たとえ痩せ我慢でも、厳守するべきことと堅持している考え方である
(もし、私が歳のせいで道着の下に何か着込んでいるのを見たら、引退を進言してください^ - ^)
…何事も、先ずは「カタチから」
そのカタチや様式美を崩してしまったら、本道から外れてしまう…そんな気がしてならないのです。
道着を綺麗に着ている者は、強くて上手い。
どの世界でも、それは同じ。
そこには、何も余計なものはない。
だから、凛々しくも美しく人様の眼に留まるというもの…
]]>
教えること、教わること
http://budokarate.exblog.jp/241928303/
2023-09-18T12:21:56+09:00
2023-09-18T12:42:40+09:00
2023-09-18T12:42:40+09:00
katsumi-okuda
未分類
しかし、朝晩は、それなりになってはきたが、も少し涼しくなってもらいたい^ - ^
眼の手術から二週間程度、普段の生活は何ということもなし。順調に推移していると思う。劇的に見えるようになったかと言われると…普通としか^ - ^
ただ今まで見えづらかった夕方や夜が、ハッキリ見えているのには、少し感動している。
なんせ十代以来、ハッキリ見えているのだから…
ただ違和感としては、組手の際、見え過ぎる^ - ^
のは、ご愛嬌。
今まで殆ど見えてない状態、感覚頼りだったことに今更ながら気づく。
しばらく、何かと修正が必要かもと感じております。
私は昔の職業柄、教えることに注視するタイプですが、今時どうやら、教え過ぎ、教えてもらって当たり前という風潮があることに、コレまた違和感を感じてならない。
言葉というものは、便利なようで時に不便。
理解しているようで理解していない。
通じているようで、通じていない。
例えば、国語の世界で「行間を読む」ということを言われることがある。書かれていないことを、その周りの事象から推察することを問われる行為。
日本人的というか…。
武道の世界では、古来一子相伝の意味合いから、個人または、少人数にのみ伝えられればそれで問題はなかった。つまり、師の言わんとしていることを理解出来る者のみが、残った経緯がある。
為に、その教え方は、それぞれに独特、若しくは特異性のあるものだったと言われている。
今は、習い事の一環としてある以上、それとばかりに行うことは、できないし、やるべきでもない。
ただ本当の理解とは、自ら掴み取るもの。
言葉として伝達されたものを動きへと変換していく。
それをまた自身のモノとする。
そのためには、質もさることながら、やはり、カラダに覚え込ませるための「量の稽古鍛錬」は、欠かせない。
教え過ぎも、教わりすぎも、ただの自己満足に過ぎない。
どれだけ、言葉少なく、教える側が実行出来ているか?習う側は、教えられたことを絶えず考えて次にいかせているか⁈
武道の一つの側面に人格形成がある。
技量や体力を強化すると同時に自らのアタマと身体をいつも整えることが出来るか否か。
教える側も教わる側も、それは変わらない。
]]>
続けること…番外
http://budokarate.exblog.jp/241926250/
2023-09-15T13:10:43+09:00
2023-09-15T13:37:35+09:00
2023-09-15T13:37:35+09:00
katsumi-okuda
未分類
子供達が、頑張っているのに、その勝敗だけに一喜一憂し、負けたら怒鳴り散らし勝てば自分が勝ったかのように喧伝する親や指導者…情けないよりも怒りさえ感じてならない。
どの競技でも親や指導者のサポートは、必須ではある。だが、やるのは本人、子供達。
その子達の辛苦を理解もせず、無碍に言い募るのは、勘違いも甚だしい。
どんな競技であれ、そこまで言うなら自分がまず手本として同じことをやってみればいい。
どれほど大変なことか…スポーツにせよ勉学にせよ、それらは皆同じ。
あくまで私達大人は、その子供達の側に立ち、励まし有形無形のサポートをするのみ。
試合のみならず、稽古の内外において話を聞き言葉をかける。その子達のモチベーションが、少しでも良い方向に向かうように…。
そして、それらが、これからの成長に少しでも良い糧となれるようにする。
それが、私達、側にある大人の責務。
勝って喜ぶのは本人。
負けて悔しいのも本人。
ただ、そのどちらにも陰に大人が手を携え背を押せるようにすることが、大事。
それ以外の何者でも無い。
それと親子で同じことをやられていることには、尊敬しかないと思っている。
同じ運動でも、子供達は易々とこなせるが大人は、そうもいかない。
仕事等でも、多忙を極めるなか、子供と一緒に稽古に参加することは、大変なことである。
それこそが「背中で語る」良い実例なのでしょう。
今は、わからなくとも、いずれその姿は子供達のココロに残り、大切な指標となるものだと感じて居ます。
さて、様々な大会を控えております。
そこで基礎体力の指標をあげておきましょう!
どのくらいの体力が必要か?
子供達なら約5分、大人なら7分程度。
全開で動けること。
要は中距離(400〜800m)を適時こなせること。
*暇があれば「全速力で走る」室内なら「ジャンピングスクワット」2.30✖️10〜50
打たれて強さを強化すること。
カラダの前面は、勿論、背面と足腰を鍛える。
特に胸と腹は、最低1分以上殴られても耐えられる、また、殴られながら殴り返せること^ - ^
例
腹筋 1日500回以上
腕立て 1日500回目標
まず技術云々より「体力」
同体格で負けない「体力」をつきましょう!
ちなみに、これらに等しいことを私は、以前の選手達には課していた^ - ^
やってみて損はない^ - ^
やれたら凄いと自分で褒めていい^ - ^
]]>
続けることの大事さと難しさ
http://budokarate.exblog.jp/241924869/
2023-09-13T12:45:26+09:00
2023-09-13T13:19:20+09:00
2023-09-13T13:19:20+09:00
katsumi-okuda
未分類
やってみたい、やりたいと思う人100人だとすると
実際にやる人、10から20人
ある程度迄(つまり黒帯まで)続けられる人、数人
その先にいける者…ごく僅か。
…どの世界線でも同じこと。スポーツであれ、芸術であれ、学問であれ…。
では、いかに続けられるか⁈
この命題に確かな答えは無い。
あるとすれば、初めは、やらされても、嫌々でも続け「習慣化」することからはじまる。
だから、習い事としての子供達には、ある一定期間、続けてもらいたい。
物事には、いつも楽しいことばかりでは無いことを知り、続けていき、自らに様々なチカラがつくことを実感するまでやり通してもらいたい。
これは完全に私見だし、これが全ての正解だとも思わないが、この齢までにそう実感するに値するモノを、この継続から学んだことは、揺るぎない。
沢山いた仲間達が、刃毀れをするようにいなくなる。
そんな中、何故続けてこられたか…。
確かに同じ年頃の連中が、生活を謳歌している最中、汗にまみれ、何の為にやっているかもわからなくなるほど日々、焦燥感や怨み嫉みに苛まれ、それでも道着に袖を通し、道場に立つ…
すると、そこには、同じような思いの「仲間達」がいる。今なら大会や試合に行けば、同じ苦しさの中から這い上がってきた「仲間」がいる。
それに触発されるかのように内から高揚感と喜びが、自然に湧き上がる。
その時々に…続けてきて良かったと実感する。
青年期、前にも話したが、自分が続けてこられた原因の一つは、上に強い兄貴達が、いたから。
それに負けないようにするため。
道場に行けば、強い先輩は、山のように聳え立つ。
この前まで自分より弱かった仲間が、強く上手くなっている…やらなければ置いていかれる。
いや何よりも負けたままでは、格好が悪い。
目覚めが悪い!
今は勝てなくても、いや負けない工夫があるはずと無い頭を巡らし、自身のカラダで試す日々。
続けられた原動力があるとすれば、そこにある。
諦めないというより、諦めが悪い^ - ^
たとえ負けた、弱いと分かっていても、そのまま後ろを向くよりはマシだと考えていた。
その頃からか、思うようになった。
…何でも同じだと。
空手で突き詰めたアタマとカラダは、他でも使えた、
苦手な勉学でも、諦めず、点数を取ること、取れる方法を実践した。社会に出ても、その姿勢は変わらない
出来なくて当たり前。
出来るようになるまで、やるだけ。
たとえ、どんなな不格好でも構わないと私は、この空手を続けることによって学んだと確信して他ならない
こんな凡人でも、ここまで続けたからこそ今の自分が、あることに僅かながらの矜持をもっている。
ありがたい事に、年齢以上のことがやれているのは、一緒に稽古してくれてる道場生や子供達のお陰だと常に感じている。
…そろそろ人外に足を入れ始めてはいるが…^ - ^
]]>
秋季練成会…
http://budokarate.exblog.jp/241923433/
2023-09-11T12:55:20+09:00
2023-09-11T13:27:27+09:00
2023-09-11T13:27:27+09:00
katsumi-okuda
未分類
まだ夏の盛りを思わせる日曜、アリーナ2階剣道場を会場として恒例のイベント。
練成会…コレは元々、他の道場生との稽古交流を目的として始められたもの。
現在では、子供達の一つの経験の場となっております
見慣れない所で見知らぬ顔ぶれと稽古をし、そのまま試合をやらされる^ - ^
ふだん大会等に出られない道場生の為に少しでも出場の感覚を味わってもらいたいのが一つの趣旨。
原則、学年別で行われはするが、人数的なこともありこちらの判断により同レベル同士で競い合うカタチの変則的なトーナメントとなった。
当然、同じ道場生同士の組み合わせも…
それでも、場所や周りで見守る御父兄や先輩、諸先生方を前にいつもとは、違う緊張感。
いつもと同じようには、戦えないもどかしさを感じながら、懸命に立ち向かうその姿は、勝ち負けを越した経験が、そこにある。
それが、ふだんと違う「試合」というもの。
それを少しでも感じてくれたなら、参加してくれただけの価値は、大いにあるのです。
幼い道場生は、ただ見てるだけの「見取り稽古」が、そのほとんどですが、それでも普段では見ることのできない貴重な体験をしてもらったと考えております。
この練成会を通し、他の大会にも参加を希望する道場生も、出てきます。
また、思った以上に組手に向いている人達も、少なくないと感じております。
どんなことでもそうですが、やってみなければわからないものです。
初めは、どんなことでも、初めて^ - ^
負けたり失敗したりするのが、嫌なのが当たり前。
でも、それらを乗り越えようとすることの一つ一つが、自身を成長させることは、疑いようもない。
兎角、男の子は、失敗や負けを嫌がる。
恥ずかしいと感じやすい(かく言う私も、そうでした^ - ^)それだからこそ、そういう体験を幼いうちから、積み上げわてもらいたい。
そうすることで物事に諦めない「耐性」がつくというものです。正直、誰も彼もが、結果を出せるわけではありません!ですが、物事に「挑んだ」という前向きな自身の意思には、大きなものがあります。
試合前の独特な緊張感、勝った時の高揚感、
負けた時の悔しさや悲しさ、後悔。
そして、意外と知られてないのが、試合後。
穏やかな感覚と客観的、冷静に自身を観れる自分を知ることが、出来るようになるのです。
…それが、出来てまた、実行出来れば、その人は何をやっても大成するもの^ - ^。
]]>
カタチは心の現れ
http://budokarate.exblog.jp/241922118/
2023-09-09T10:54:56+09:00
2023-09-09T11:43:24+09:00
2023-09-09T11:43:24+09:00
katsumi-okuda
未分類
思わぬ被害もないわけではない。特に道路の冠水等、
道場までの行き来に害が無いとも言い切れない。
特に今回は、関東に直撃とまで言われてましたので…
ただこの辺りは、それほどでもなく、よかったと…。
何にせよ被害だけは避けたいので大事をとっての処置
一昔前なら台風だろうが大雪だろうが、道場はいつでもやっていて当たり前。
それこそ少しばかりの風邪や熱があるくらい、なんて事はないとばかりに、無茶なことを強要されてた時代も、ありましたね…今では、出来ないことばかり^ -
さて、前にも話しましたが、今度の練成会。
そして、審査期間ですから、それぞれに課題を見つけて取り組んでもらいたいと思っております。
特に中上級者の組手について一言。
まず、自分の資質(体格、基礎体力等)に合う組手を行えるようにすることです。
自分の適正にあってない組手は、苦労が多く怪我も少なくありませんから注意が、肝要。
次にというか、中上級者は、コレが大事。
それは、自分の性質というか心の中、心意。
つまり、組手に対し打突にあまり恐さを感じない、逆に打たれるのが、嫌だ🤢怖いと感じてしまう。
これは、どこまでいっても、変わりはない性癖。
そして,それを変えられるのは、多くの経験によって裏付けされた基礎体力や技量、そこから出てくる自信によって変容することが可能であると考えられる。
はなから組手にむいている者は、確かにいる。
一つ殴られ三つ殴りに行ける者。
アタマから相手に突進していける者。
相手を何とか攻略しようと刹那に努められる者。
要は、気が強いと言われる者達。
ただ、これはコレで欠点もないではないが、明らかにわかっているのであれば、自分の組手の適正を見出すことは、そう難しくはないと考えられる。
…欠点として、その最中に熱くなりすぎ自らに不利な戦い方に挑んでしまいがちなこと。
その反対に「気が弱い」とされる者。
よく言えば「繊細であり優しい」「神経質」ともいえる。このタイプは、稽古や鍛錬によって作り上げられるタイプとも言え、技量に破綻が少ない。
時として「キレる」ことによって望外な力量を発揮することも少なくない。
ただ、あまりに冷静で客観的であり過ぎるために試合そのものを諦めるケースが、まま見受けられる。
(その前に試合そのものに参加を拒む者達も、ここに含まれる。折角、技量や体力がありながら、自信に結びつかない、自身を過小評価しがちな点がある)
大きく二つに分けたが、そのどちらも長所短所はある
要は、そのこと自分自身を良く見据え、事にあたることを試合を通し、体験してもらいたいと願っている。
試合や組手などという特異な事象の中で得られる体験は、ふだん過ごすことの出来ない過酷な環境下。
そこで得られた体験は、自らを形成する為に大いに役立つ。これらは、今後何かに対面した際、大きな助けになることを忘れないで頂きたい。
ただ難しいのは、一朝一夕でそれが成しえるモノでは決してない。
一度の失敗や負けで、直ぐに結果を求めがちな現代。
それでは人は、決して育たない。
やり続ければ、失敗は成功の為の足掛かりであり、負けは、大きな経験となる。
]]>
次を見据えて…
http://budokarate.exblog.jp/241919303/
2023-09-05T15:04:45+09:00
2023-09-05T15:30:56+09:00
2023-09-05T15:30:56+09:00
katsumi-okuda
未分類
これからが、運動するには良い時節。
ですが、何分にも無理せず楽しく参りましょう!
今日も、検診でしたが、順調とのこと。
このままケアを怠らず、復調に努めたいと思います。
何せ自分で判断のつけにくい箇所ですから、ここはやはり無理せずやっていきたいと考えております…
…本心は、全開で動きたくて仕方ない^ - ^
さて、九月以降、次の学年を見据えて様々な取り組みが、行われます。
その一つが、部内の試合、練成会であり、審査会などです。
昇級審査に関しては、各道場で独自の規定で行われるのですが、概ね似た様な規約ではないかと推測されます。
審査ですから、たしかに「基本や型、組手」等のカタチを見ながら、その出来不出来で審査されるものなのですが、一概には、言い切れないものもあります。
特に近年、どこでも幼年からやられている道場生が、多く見られる様になりました。
単に試合に勝ち続けたからといって、まだ小学生に上がる前から中級の帯を締めている子達も、大会ではよく見かけますが…少し違和感を感じなくもないですね
長く習慣を身につける一つとしてやってもらいたい。
そんな思いが、ある為、少し気長になるくらいに取り組んでもらいたいというのが、道場としての本音です。ただ、今時、他の習い事などが、立て込んでいるせいもあり、一応にその通りにはいかないのが現状。
私共の審査の場合、強い上手いを俎上に上げるのは中級以上。それより全ての審査を通し重要にしていることは「物事に取り組む姿勢」「礼儀等の立ち振る舞い」総じて「周りへの気配り」を優先し裁可される。
どんな幼かろうが、またどれほど大会実績があろうが、不遜な態度やいつまでも定まらないダラけた稽古姿勢では、昇級、昇段はありえない。
その帯になるということは、道場の一つの看板を背負うことと同義と心得てもらいたい。
確かに習い事ではあるのだが、何を習っているのか,審査の時等に問われることを忘れてはならない。
強い上手い以上に人として少しでも、またカタチだけでも成長したか?することが可能なのか?
それを目指すのが、道場の本義であること。
一つ帯があがるとは、たとえ白帯が次の帯に上がるのも、また私達年長者が次の帯に上がるのも全く変わりはないのです。
問われているのは、人としての成長なのです。
決められたことを決められた時に正しく出来ているか
そこに上手い下手は、ない。
あるのは、やっているのかどうかだけなのです。
]]>
少しずつ…
http://budokarate.exblog.jp/241918521/
2023-09-04T13:12:04+09:00
2023-09-04T13:34:58+09:00
2023-09-04T13:34:58+09:00
katsumi-okuda
未分類
そのせいで暑さは、少し和らいでいるが、暑いのには変わりはない^ - ^
1日から再開となったが、どのあたりまで「動いて」いいのかわからず、とりあえず無理をせず…
その加減がわからないのは、結構なストレス😥
要は、あまり血流をあげ過ぎ、眼に汗などが入ることを避けるということらしいが…
この暑い時期、その二つを守るのも中々…。
それでも子供達や道場生の指導は、滞りなくやらなければならない。
何にせよあと少しの辛抱かなと自重しているつもりだが、周りからは、普段のあまり変わらないと言われてしまう…加減が難しい^ - ^
なので指導や講和が少し多くなってしまうが、この機会だからと思うことにしております。
コレから大会や試合に向かう者、中上級者になろうとする者に改めて話す。
自分の性格、身体的特徴等をしっかりと客観的に顧みて、自分の組手を想像し実践していくこと。
一朝一夕に出来るものではないが、それをしなければ上を目指すことは困難となるだろう。
また、どんなことでも当てはまることだが、物事の基本を捉え真摯に繰り返すこと。
超一流と呼ばれる人達は、どんな些細なことでも、決して手を抜かない。
例えば、習慣化した動き「柔軟体操」一つとっても、その日ごとに違う心身を見定める為に丁寧に行う。
基本をただの予備運動とすることなく、自身にあった意味合いをもたせ、カタチをつくり確認、強化していく等…やり様は、それをやる人の数だけあることを忘れてはならない。
運動のやり易い時節になるからこそ余計に怪我のない万全の心身を作り上げる為にも、改めて考え稽古に臨んでもらいたい。
子供達も、ここからが新しい学年への始まりだと思いながら、過ごしてもらいたい。
同じことの繰り返しが、稽古の一つ。
ですが、それらをやり通して学ぶ「習慣」を身につけていくことを一つの目標としましょうね!
]]>
長月…再始動^ - ^
http://budokarate.exblog.jp/241916245/
2023-09-01T13:40:06+09:00
2023-09-01T13:52:56+09:00
2023-09-01T13:52:56+09:00
katsumi-okuda
未分類
ただ、陽の高さの具合か7月のそれとはやはり違う。
あと少し辛抱です。
子供達も、夏休みを終え、次の学期!
秋の運動会やらが、控えているところも少なくありません。くれぐれも体調を崩さないようにしてください
さて、私もこの一日から「再始動」です。
改めて健康であることの有り難さ。
不自由の中の在り方を考えさせられる次第。
流石に換えのきかない以上、それなりに養生しながらの稽古鍛錬が、暫く続くことと思いますが、その中でも、気付きがあることと考えております。
元からの性格なのでしょうか、殆どマイナスに考えないタチですから、コレならコレでと凡庸なアタマを動かし日々を過ごしております。
幸い各道場では、指導に携わる者や補佐をしてくれる皆が、おります。
良い機会ですから、色々と皆にも考えてもらいたいと思います…
本格的に鍛錬が出来るのは、早くて二週間過ぎらしい
あまり焦ってもいないのですが、鍛錬をやらないと痩せていく体質なので、それが少し不安というか…
]]>
お陰様で…
http://budokarate.exblog.jp/241915609/
2023-08-31T14:27:35+09:00
2023-08-31T14:46:11+09:00
2023-08-31T14:46:11+09:00
katsumi-okuda
未分類
術後一日、眼帯姿で過ごしました。
翌日、車で移動も出来ませんので、徒歩で(このサングラス姿)医院まで…だった15分程度なのですが、まだ暑い!涼しい時期にやればよかったかなと、少し後悔。…帽子を被ってましたから、何気に怪しい^ - ^
眼帯を取ってもらい、検査。
二重に見えていたものは、なくなり少しは、視力が、上がったのか⁈と、まだ半信半疑。
目玉を動かすと…少し鈍痛が…一日動かさなかったから仕方ないのかと…。
目玉は…ウサギの目👀、真っ赤!
ですが、あまり違和感は感じなく良好な模様。
あまり眼に負担はかけられない。
洗顔、洗髪も出来ない。
家にいて、やれることは限られている。
ただ負担に感じていた三種類の目薬も、慣れれば…
二日目、眼底検査等。
確かに視力は、少し上がっている!
でも…0.1から0.5前後ですから、そんなに劇的に見えているということもないかと…。
まだまだ大きく動かすと違和感はありますし、微細ですが、傷口もありますから、無理してそれが開かないようにしなければと…。
ただもう普段の生活は、大丈夫ですから(但し、洗顔洗髪は、もう少しあと…)明日から稽古指導は、出来ます。
どうやら個人差は、あるようですが、あと二、三週間
過ぎた辺りから、本格的に動けるようですので、それまで指導補佐にかかる皆さん、何卒よろしくお願いします^ - ^
ちなみに…見た目は、全くわかりません^ - ^多分
初日、眼球が腫れてたように感じてましたけど、今は無くなってますね。
ハスキー犬のようにドットアイ^ - ^には、残念ながらなってません^ - ^
なってたら、それはそれで…。
]]>
手術…無事終わりました
http://budokarate.exblog.jp/241914033/
2023-08-29T14:10:57+09:00
2023-08-29T14:25:14+09:00
2023-08-29T14:25:14+09:00
katsumi-okuda
未分類
流石に歩いて眼科医まで向かうが、まだまだ暑くて閉口した。
手術開始前、何度か目薬を入れられて術衣に着替えさせられて、暫し待合室で待つこと15分程度。
呼ばれて手術室に入り、それなりな電動手術椅子?に座り、血圧計と心電図をつなぎ…
眼を見開かれ、これでもかってくらい消毒液を眼中にかけられる。それと麻酔点眼…。
麻酔が、効いてるのかどうかわからなかったが、始まった^ - ^
中央の3点の明かりを見続けてくださいとのこと。
ぼんやりと明るい中で、その色合い?色彩が変わっていく。まるでCGで見たことない宇宙空間を見てるよう^ - ^
そんなことを思っていると「レンズを入れますね」と声が、かかる。
すると自分の意志と関係なく目玉が動かされてる⁈
そうこうしていると、見ていた三つのぼんやりした点が、ハッキリと見え始めた!
ちょっと感動した🥺
ハイ、終わりました…
この間、本当に10分程度!
今の技術ってすごいなぁと改めて感じてしまいました
確かに怖さもありましたが、それよりどんなだろうと興味が、ありました。
また、一つ改造されて⁈人外に近づくんではと…^ - ^
不自由な生活をここ1ヶ月程度は、過ごさなければなりませんが、そんな生活を確かめながら何か得るものを見つけながら過ごしていきたいと思います!
道場生の皆さんには、何かとご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願いします。
因みに…眼からビームは,出ません^ - ^
]]>
心の奥底…
http://budokarate.exblog.jp/241911871/
2023-08-26T12:43:41+09:00
2023-08-26T13:06:26+09:00
2023-08-26T13:06:26+09:00
katsumi-okuda
未分類
あまりに酷暑だったせいで、感覚がどうかしてる。
まだ確かに30度越えではあるのだが、暑いには暑いが、まぁ何とか…それでも体調を崩さないようにしなければ…何せ来週、手術なので…。
さて、何年か前にも述べたことですが…
偶にそういうことを話される方が、おられるのだが
曰く「空手をやって精神的に強くなってもらいたい」
…わからなくもないが、注意が必要です。
人の性格とは、ほぼ一生変わらない(齢を重ねた私が言います^ - ^)六十余年武道を嗜んできても…。
変わるのは、重ねられた経験値や体験、日々の稽古鍛錬で得られたある程度の身体的強さ。
そして、それに支えられた「自信」であると。
私も、幼い頃からの弱い自分が、心の奥底にいます。
楽な方に流れたい。面倒なことを避けたい等…
怠惰で甘ったれた自分が、おります。
ですが、歳を経て様々な経験をすることで、その対処法を学び、日々ツツがなく過ごす術を会得していく。
その方法の一つとして、身体を鍛える。知識智慧を蓄えること。理論武装ではないですが、適切な対応をする為に必要なことを考えられる。
そして、それを実行出来る身体が、あること。
それらを作り上げる術として私達は、武道を選択したと言えましょう。
特異な環境で異質な経験(相手と伍して闘争をする)普段では、あり得ない体験を通し、痛みや苦しさ等に耐え立ち向かう。
これらによって得られた一つの「自信」は、何物にも使える。
一つの身体と一つのアタマ(心)、
他の物事でも流石に流用は効くものです。
私は、そのうちの一つが武道だったという話し。
これは勉強でも自分の趣味でも、何でも構わないと思います。何かを成し遂げた人達は、それだけで強いと言えましょう。
いや、何かに挑んでいる。その最中でも同じですね
折角、出逢えたモノなら、それこそカタチになるまでやるほうが、自分にとって何よりも得です^ - ^
]]>
さぁあと少し^ - ^
http://budokarate.exblog.jp/241910415/
2023-08-24T13:19:57+09:00
2023-08-24T13:36:31+09:00
2023-08-24T13:35:51+09:00
katsumi-okuda
未分類
皆さん、夏休みの宿題や課題は終わりましたか?
いやでも今時、宿題でない学校もあるようなので…
どちらにせよ、新学期の準備をしていきましょうね!
…私も…小5の時、父が北海道中標津で空港の基礎工事をしていた時、ほぼ1ヶ月その付近で過ごしました!楽しかったし、今でも掌に残る怪我もしたし…
当たり前のように宿題は…適当^ - ^
学校が始まって、文字を書くのに違和感が^ - ^
書かなさすぎで、字も下手になり、他も思い出すまで結構大変だった…やっぱり、ちゃんとやってないとダメですね何事も^ - ^
勉強でも私達空手でも、おなじです。
王道に、近道は、ありません。
あるとしたら、その道のど真ん中しかないのです。
コツコツと基本を固め、少しずつ進んだり下がったりしながら、どんなことでも出来るようになるんです。
ここまで齢を重ねたから、わかることもまたあります
それでも、人とは、生来怠け者^ - ^
楽しいこと楽な事しかやりたがらない。
ですから、どんなことでも楽しく頑張れることが、まず大事。あとは、何でも構いません。得意なことを増やしていけるように^ - ^
例えば、何故基本や難しい型を覚えるのか⁈
皆さん子供達にとっては、続けるという良い習慣をまず身につけること。同じことを何度でも繰り返す大切さをその基本や型から学ぶこと。
その習慣は、これから勉強や他の物事にあたる時に役立ちます。それが少年期の習い事の大きな意味合いの一つなのですから。
色々な物事に取り組み、その中から何かを成していく為に今の習慣や体験が、必ず役にたつことを忘れないでもらいたいですね。
もちろん、基本や型をやる意味は、やる人の数だけあります。それもまた学んでもらいたいと願っています
]]>
心の強さとは
http://budokarate.exblog.jp/241904370/
2023-08-21T13:24:03+09:00
2023-08-21T13:51:00+09:00
2023-08-21T13:51:00+09:00
katsumi-okuda
未分類
しばらくこの酷暑は、続くよう。
何にせよあと少し辛抱して参りましょう^ - ^
よく子供達に話をします。
「大人は、あまり暑いだの寒いだの、また痛いや苦しいだのって大袈裟に言わないよね?
何故なんだろうね?みんな暑いや痛いのは嫌なんだけど、あまり大袈裟に言うのは恥じかしいから言わないのかな?それと、それらに慣れてるというのもあるね
人は、頭の同じところでそんな辛抱をするように出来ているらしい。だから、練習で頑張ったりすれば、それがそのまま自分の辛抱するレベルが、上がる^ - ^
無理する必要は、ないけど少しずつ耐えるようにしていこう!それが自分のアタマやココロの栄養になるからね^ - ^必要な薬は、時に苦くて辛いものだからね
少しずつ楽しく頑張ろう^ - ^!」
現代に生きる私達は、明らかに親の世代より我慢や辛抱することや機会から遠のいている気がします。
何もしなくても、なんとかなってしまう…
良いことも悪いこともありますが、それが今という時代なのだと思います。
ですから、現代の武道とは「ふだんと異なる環境下の中で異質の体験を心身を通し体験する。
そのことによって一つの慣れを作り上げ、どんな状況下であっても、極力、冷泉、沈着でいられるようになることを一つの目的としていると言えましょう。
事実…卑近な例で何ですが…
私自身、若い頃、事故事件に巻き込まれたことが何度かあります。
ですが、その度にその刹那「あゝ大したことない…組手でやられるのに比べれば…」などと思い、その後大きな難を逃れることが出来たことがあります。
積み重なる稽古鍛錬によって得られるものは、何も身体的能力の向上ばかりではありません。
時にそこから自分では思いもしなかった大きな「自信」を得られることも侭あります。
ただ、だからと言って、それを粗暴の振る舞いにしてしまうことは、大きな間違い。
蛮勇と勇気は、全く違います。
腕に覚えがあるからといって、相手と同じレベルで喧嘩してはならない。
こちらは笑いながら、相手の攻撃を全ていなすか弾き飛ばす「受け」をすること。
たとえ相手の攻撃を喰らっても、ふだんの組手に比べれば…と考え、冷静に対応すること。
…笑いながら相手してくる奴は、相手もイヤですからね^ - ^…喧嘩にならないんですよ^ - ^
心を強くする。
そんな心を持つとは、
「ふだん稽古でやっている組手(ミットやスパーリングなど)と全く同じことが、どんな場面でも出来ること。よく言う「練習通りにやること」なのです。
どんな世界のチャンピオンでも、練習通りに試合が、やれる人は、本当にごく一握り。
それをまず目指すことが大事。」
どんな時でも、どんな物事に出会っても、いつも全力で迎え打てること。
それが本当の心の強さではないでしょうか…
]]>
競技の中の武道…
http://budokarate.exblog.jp/241902123/
2023-08-20T11:30:19+09:00
2023-08-20T12:04:20+09:00
2023-08-20T12:04:20+09:00
katsumi-okuda
未分類
どちらにせよ、体調第一で考えた稽古をしなければなりませんね。
前にも述べたことがあるのですが…
私達が、やっていることは「武道」です。
子供達にとっては、「習い事」ではあるでしょうが、それでも武道に変わりはありません。
それは競技の中でも同じですね。
競技🟰スポーツ、勝敗至上主義、勝つ為にルールを最低限利用した戦い方をするのが、スポーツだと揶揄されることも…。
残念ながら、相手の反則を引き出し平然と自らの側に有利になるようにする光景をよく目にしますが…正直見慣れない者にとって、あまり気持ちのいいものではありませんね。
私は常々、道場生、特に大会試合に臨む選手達には、口喧しく伝えていることがあります。
人様の大会(自前の大会ではない)に出て、判定勝ちで勝とうなどと考えるな。
圧倒的な優勢勝ちか技アリ若しくは一本勝ちのみを目指すことと…。
たとえ仮に判定に不服があったとしても、それだけしか見られなかった自分の技量を恨み、次の糧にすること。
例えば、相手の反則をとってくれず自分ばかりが反則をとられた…と嘆く愚者がいる。
そう見られたということをまず考えねばならない。
何故、相手の反則が取られず、自分のが反則としてとられたのか…まず自らの未熟に気がつくべきである。
私見で言えば…やられたらやり返せである。
何も反則で返せ^ - ^とは、言わないが、やられたら、何故正攻法で全力で返せない。
戦い方をその局面ごとに変えていくことが、出来てこそ一流というもの。
自らの得意なカタチにこだわりすぎ、何も出来ずに押し込まれる例は、数多ある。
そして何よりも若い人達に言いたい。
もっともっと稽古鍛錬を重ね、悔いのない戦い方が出来る心身、特に身体を作り上げろと。
最低でも同年代同体格に負けぬ基礎体力無くして、競技には、立ち向かえない。
ただそこまで鍛え上げても勝てないのが、試合でもあることを忘れず、それに迎える心を強く鍛えること
大会や試合に臨むこと、勝ち負けから学ぶことは大きい。ただ万全を尽くし正々堂々戦って得られた結果は、何物にも変え難い。
姑息な手段で得たものに何も得るものはない。
私達が、競技としてやっていることでも,そこにはこの武道としての矜持(プライド)がなければ立ち行かない。そうでなければやる意味がない。
負けて悔しい、憤りがあるならば、次はどうすべきか考え、そして次の日から直ぐに稽古に向かう気概が、なければならない。
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/