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武道カラテ稽古日記

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まず「学ばなければならないこと」

 ここ数日が、どうやら「最も寒い日和」になりそうです。
明日以降、合宿ですが、二日目の体育館の武道場の床が、冷たそうです。
どうやら「獣並みの」回復力(?)のせいか、骨折から三週間目でどうにか足を振り回せています。
でも、何かの拍子で痛い目を見てしまいます。
子供のように「あまりはしゃがないように」と妻に諭されます(^^)

 今日から頸椎の治療で「初の牽引」をしました。
どうやら首が、人様より強いようで初めから相当数の重さで引っ張っていますが…心なしか「いい感じ」ですので、しばらくやってみようと思っています。

「首の運動じゃなないんだから、あまり首に力を入れないように」と先生方に笑われてしまいました。
どうも某かの外力が身体に働くと、どうも勝手に身体が反応してしまうようです。
ついでに内服薬も服用していますが、そのせいもあるのでしょうか、痛みが散らされているのは…。

 今日、北柏地区の子供たちに新しい帯を渡し、少しお話しをしました。
「その帯に相応しい礼節・礼儀を弁えましょう。」
私は、カラテを幼い時からやっていて、特に良かったと思う事の一つに「礼節・礼儀」が、あると思っています。どんな場面でも、年を経てからも、人と良い関係や良い印象をもたれる一つの術として礼儀が、あると思っています。
きちんとした挨拶と相手を敬い尊ぶ気持ちを表す礼儀は、日本特有の文化であり、それを善く顕わしているものの一つが武芸であると思っています。

子供たちは、これから多くの出会いが、待っています。
その中には、良い事もあり失敗する事も間々あるものです。
その一つに「相手との礼節」が、あります。
特に現代の子供たちは、幼い時から少し上の学年の子供たちと俗にいう「ため口」で話しています。
ひどくなると先生や大人に対してまでも、そのように振る舞っている子供たち、いや、いい年をした青年たちまでも、います。

私の時代と今のそれとでは、比べるのもどうかとも思いますが、当時、道場で色帯の間中「オス、失礼します」「オス、お願いします」「オス、有り難う御座いました」の三つしか口にした覚えがないほどでした。先輩の前を通るのも憚られ、先輩がいなくならないと帰れない等という冗談のような事も間々ありましたし、随分、理不尽な思いもしたものです。
ですから、過度な「礼節」は、今でも嫌ですし、自分の弟子たちにも強要しないできました。
やらなくとも、自然に皆が礼儀を弁えてくれていたとも言えますし、実社会に通用する「礼儀」を行う事を旨としてきました。

私たちの子供の頃(今からし五十年も前の話で恐縮ですが)は、一つでも学年が上なら自然に丁寧な話し方を心がけていた記憶がありますし、女の子に対しては、必ず「○○さん」と、さん付けで呼んでいた覚えがあります。ですから、今でも、年相応な女性を「ちゃん付け」で呼ぶ気には、どうしてもなれません。
 ちなみに私の母は、鹿児島の出身のせいか、子供の頃から私たち子供を「さん付け」で呼んでおりましたし、他人に対しての礼儀・礼節は、とても厳格でした。
たえず「らしくしなさい」と言われ、それが当たり前のものだと教育され、大人になってから随分、助けになった事を思い起こせます。
確かに当時は、そんな「堅苦しい事」を嫌に思う気持ちも、少なくありませんでしたが、今では大変有り難いことだったと感謝しております。

「十五は昔で言えば、立派な大人、そして元服です。ですから、今日からそのように自分の責任で何事も努めて下さい。」中学卒業と同時に母に言われた一言を今でも、覚えています。
目の前のテーブルに「煙草と酒」をおかれ…
つまり、好きにしろ。但し、責任は自分で負えと…そう言われてしまっては一気に「大人」になるしか
ありませんでした。

子供たちは、教えられない事は、出来ないものとは、以前申した事です。
たとえ簡単な礼儀も挨拶でさえ、そうしたものだと思っています。
それをどんな場面でどのように使い分けていくかは、それこそ自分の器量でしょうが、その元になることは、なるべく早い時期に教え諭すべきことなのだと思っています。

機会あって、子供たちも武道をやっているのです。
これもまた「形から」です。
礼儀をわきまえ、「らしさ」を兼ね備えた元気な子供たちであって欲しいと思います。
新しい帯を纏い、それに相応しい「者」になってもらいたいと願っています。
強さ巧さは、いくらでも、後からついてくるものです。
まずは、「心」から鍛え練らなければなりません。
by katsumi-okuda | 2009-12-19 00:58 | 稽古日誌