2009年 11月 13日
初めに「礼節」…
少し前TVでJリーグの試合後の表彰式で何が不満だったのか準優勝の選手の多くが、メダルを首から外し、主催者に不遜な態度をとったとのこと…。
詳しくは、知りませんが、結果、そのチームは賞金の返還等を行い、その謝罪としたとありました。 少なくとも、スポーツをやっている、それも子供たちや人々に夢や希望を与える側の者が、とる行為ではないと何やら情けなくなってしまいました。 それだから、サッカーは…などと揶揄されてしまうのです。 選手たちは、そのことを猛省しなくては、ならないはずですが、その後、公式に謝罪したのでしょうか。 確かに「勝負の世界」です。 さまざまな要因が、絡み合い、不満も多々あるのが、勝負事だとは思っています。 しかし、終われば「潔く」自分の負けを認め、相手を讃える「スポーツマンシップ」は、忘れないで頂きたいですね。 私たちも、このことは対岸のことではありません。 勝負事に対し、真摯であらねばなりません。どんな局面でも、勝ちにいかなければなりません。 たとえ無理だとわかっている戦いであっても…正々堂々と真正面から行かねばならないものです。 私たちの団体の子供たちも、そして一般の選手たちも、皆そのことをよく心得てくれていることに少なからず安心は、しているのですが、心しておきたいことです。 それに加え、以前から気になっていることがあります。 それは「言葉遣い」詳しく言えば「敬語の使い方」です。 私は、こんな面妖ですから、あまり出会わないですが、明らかに自分より年下なのに「タメ口」で話しかけてくる人たちが、少なからずいるようです。 また、人に対して不遜な態度で接する人たち…これは、老いも若きも関係なく目にする光景です。 人は、当然一人では生きてはいけません。 いろいろな人たちと関わって生活を営んでいます。 その中にあって「敬語・丁寧語」は、一つの潤滑剤だと思っています。 どんな相手であっても、不遜になったり礼節を欠く言動で接してよいはずが、ありません。 そんな簡単な理が、どうも蔑ろにされている風潮は、戒めなければなりません。 そのためには、少なくとも私たち大人や親が、率先して「礼節」を弁え、実践しなくてはならないと思っています。子供たちは、知らないことは出来ないし、やらないものです。 ただ「やれ」というのではなく、こうするんだよということを大人たちが、率先して行うことが大事だと思っています。たとえ、それが些末な事柄であっても、そのことで手を抜くことはしてはならないと思っています。 特に私たちは、武道を志している者です。 そして、その世界で少なくとも年長でもあります。 ならば、今日始めた人たちと同じか、それ以上の「礼節」を弁え実践しなくてはならないと思っています。ただでさえ、無骨な身体で周囲を圧倒もします…余計、気を配らなくてはなりません。 笑顔で相手に接し、悪く思われることはありません。 どんなときでも、丁寧な言動と礼節は、自身を磨き、多くの「友」を得ます。 自分が偉いと勘違いする「フランク」なつきあい方なのだと思い違いをする、そんな間抜けな者に人は手を差し伸べたりはしないはずです。 どんなに年をとっても、いや齢を重ねるからこそ大切にしなければならないことだと思っています。 …幸い、どうしたことか、私は小さな子供たちにはウケが良いようです。 そして、風体の悪い態度の芳しくない者たちには、畏怖されるようでもあります。 顔立ちが、まるでマジックか2Bの鉛筆で書いたみたいにはっきりしてるからじゃないと家人に、それこそ諭されます…遠からずとも、言えてますから反論のしようもない…(^^)
by katsumi-okuda
| 2009-11-13 00:36
| 評論
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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