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武道カラテ稽古日記

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意識と無意識の「狭間」で

 動き泥む身体を引きづりながら稽古に臨んでいると…
ふと思うことが、多くあるものです。

「稽古で散々考え尽くし、意識しながら心身を動かし造り上げていく。そして、実戦では一切考えず、相手に合わせ感性の元に感応していくこと。」
いつも組手の時にそう道場生に声をかけている。

折角、積み上げた基本と体力、そして気力を無駄なく有効に発露する為に…。
普段、出来ることをいつでもどこでも出来るようにすることが肝要。
それが、すんなり出来るくらいなら誰も苦労はしないが、それを求めて稽古にそして組手に臨まなくては、それこそ意味がない。

齢を重ねたカラテになっていくことは、自然の摂理。
その経験を糧に自身の組手を創造しなくてはならないと思う。

意識して行うことを意識せずとも、出来る、やれるようになることとは、どんな世界にでも通用する話しです。何も、私たちだけに限ったことではありません。

 そして、そのためには絶えずどんなことにでも真摯な姿勢と素直な耳を持たなければならないと思っています。
歳をとると自然に人の話しを聴かなくなります。
聞いているようで聞いていない…頭が、固くなってくるものです。
 
 頭が固くなっては、意識も…それなりにしか動かないものです。
どんなことでも、いつでも「初心」の心持ちを持って事にあたること。それが、私の一つの金言になっています。

 私は、元来神経質であり臆病です。
そのためか、今でも、どんな人と相対しても少なからず緊張して臨むことを常としています。そのことが、意識を高め、真摯に真っすぐ相手を観る手立てとなっているようでもあります。
 それが道場の外でも、そうしていることに気付きます。
習い性と言ってしまえば、それまでなのですが…気付くと少し自分に笑ってしまいます。

 稽古は、道場だけにあらずです。
どんな時でも「常に道場」です。
そうすることが、年相応のカラテを築き上げているのですから…。
そうでなければ、年若く元気な若手と対等にやっていけないもの。
頭固く、牽いては身まで固くしてことに臨んで良いことは何も無い。
身に付けられるだけの体力と技量を持って、どんなときでも正しく垰やかに動いていかなければなりません。
by katsumi-okuda | 2009-06-13 01:23 | 稽古日誌