2009年 04月 12日
得るものが…
昨日の稽古でお話ししたこと…
「喧嘩を奨励・賛美(!?)するかのような映画やマスコミのあり方に、甚だ疑問です。そんな世迷話を真に受ける人も、いないでしょうが、老婆心ながら一言…」 私の若い頃でさえ、度を越えた「喧嘩・諍い」は、それぞれに負う身体的な傷も、さることながら、その後始末の鬱陶しさと言ったら…本当に想像を絶するものがあります。その喧嘩が、公事(警察や学校関係)になれば、それこそ重い処分を覚悟せねばならず、たった一つの喧嘩で半年以上も悔やまれることに…無論、やり逃げでも、その後に残る後悔や疑心は拭いきれず、あまりにも心身に負う「負い目」の大きさ…喧嘩程、そんな物事はありません。 私達の心身は、稽古によって、それ相当の打突には耐えられるようになっている、又相手の攻撃を避けるだけの術を持っています。 ならば、そんな「場」に立ち会ったら、さっさと逃げる、もしくは避けるようにする。そう、その余裕が、あればこそ、危険な場にも立ち合わずに済むというものです。 諍い等、無いに越したことはありません。 そんな余裕も、私達は、カラテから頂いております。 そして、それ以上にカラテから得ているものと言えば、それは、多くの「仲間」がいることです。 同じ道場で、共に汗し痛みと厳しさ、そして大いなる楽しさや喜びを共有することの出来る機会を得ています。 年齢、性別、無論職種によらず、さまざまな人たちと「出会い」そして、共に稽古を行すればこそ、気持を一つにし「真の仲間」となることが出来ます。それは、何ものにも変え難い貴重な宝でもあると、いつも思っています。 そのためにも、私は率先して「先の稽古」を行わなくてはなりません。型一つとっても、千を一つの区切りとして次を目指すことを一つの標として…。 基本や型が、基本、型のための稽古にならぬようにしていくこと。 すべてが、自身のカラテ全ての為に…。 全てが自身の「組手」にならなくてはなりますまい…。
by katsumi-okuda
| 2009-04-12 19:57
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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