2009年 01月 07日
いつも、そしてたえず「変わらず」
本年、一つ目の「一般稽古」です。
自身の体調(腰痛が完治したとは、言い難い…)を見合わせて、軽めにやろうと思っていたのですが、結局、普段とさして変わらぬ「稽古」と相成りました。 明日から仕事と言うN田指導員も久々の稽古参加して頂きましたので、少しセーブしようかと思いましたが、そんな心配は無用ですね。 というか、流石に久しぶりの稽古です。 私のほうが、一杯々でした。案外、顔に出ないタイプなので疲れているか、痛めているかは表面上分かり難い私です。 しかし、本当に疲れましたし、心肺機能全開になってしまいました。しかし、コレ又久しぶりの「心地よい大汗」です。 いつも此の時節、初めの稽古に思います。 結局、私達は稽古を通じてのみ語る事が出来るのだと…。 非日常的とも思える「稽古・鍛錬」に身を投じ、自身の心根の弱さを知り、それを鍛えようとしていると言えるかもしれません。 例えば試合の時、日常、仕事上等で強いストレスが、自身に降り掛かる時、そんな時にいかに「平生・平常心」でいられるか。それを希求しなくて私達のカラテは、ない。 「平常心是道」…無門関 第十九則より 趙州(じょうしゅう)が、修行中に師の南泉に尋ねた。 「仏道の道とは、なんでしょうか」 南泉は、馬祖の言葉をひいて答えた。 「平常心(普段の心)が道だ」 「では、その平常心を目標として努力すればよいのですね」 「いや、目標とすればそれてしまう」 「しかし、目標としなければ、道を求められません。道を知ることが、出来ません」 「道というのは、知るとか知らないといった問題には属さない」 これは、私が好きな「禅宗」の中に出てくる一説です。 道とは、中国哲学のキーワード「道の道とすべきは常の道に非ず」という老子の言葉にあるように、何も特別なことを道とするのではなく、当たり前の毎日の生活の中に自分の心を根づかせること。朝目が覚め、昼に仕事に精進し、夜に寝るまでが「修行」であり、それこそが「平常心是道」 加えてあり難い事に私達は、特別な術とてそれを鍛えることを常としています。 そのことをより深く思考しながら毎日を大切に過ごしたいと思います。そして、これを今年の「精進の要」としたいと思います。
by katsumi-okuda
| 2009-01-07 00:33
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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