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武道カラテ稽古日記

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組手考…力み

 毎年のように思いますが、春は「菜種梅雨」と言われるように、しかし時として激しく厳しい雨が降り続きます。
仕方ないとは、思いますが、何とも古傷のこの身には辛いものがあります。

その日の調子によって「稽古」の質が変わる事があります。
体調が、無意識に芳しくない時…ふと思うと「力任せ」になっていることが、あります。
(時として、敢えて「力み」を加えることも、ありますが…)

 特に「組手」に出ます。
相対で出来た事を「そのまま」実戦・競技で行うことを理想とし、稽古・鍛錬することを旨とする…なのですが…。

特に「防具」をつけたときの「打突」の場合、老いも若きも相当「力み」ます。
元より「防具」とは、打突の衝撃を軽減するモノ。なのに、それが一つの「免罪符」の如く、相手を「思い切り」殴ろう蹴ろうとする…本末転倒とはこのことかも、しれません。
人の性なのでしょうか、そのことを意識しなくては本当の「打突」は、得られないことを知りませふ。

打突とは、自身の全体重を相手にのせる事を理想とする。
ならば、正しい姿勢から導き出される回転力や反力を利用・倍加し、その手足に正しく「のせる」事である。
そのためには、正しい姿勢と脱力・抜力、つまり「力み」のない、そして癖の無い形をどのような場合も、再現出来なくてはならない。

組手は、詰まる所「心内」だと思考して憚らない。
「いつもと同じように稽古同様に戦えたら、誰でも人を制する事が、可能なのです。試合で言えば、ふだん通りに戦える「心・意識」を保つ者こそ勝者になれると言うことです。」
いつも私が、口にする言葉ですが…それこそが、組手の難関。倒す事に意識が行過ぎてもダメ、かと言ってなさすぎても…。それをどのように組み立てていくか…それも稽古!!

基本稽古で「形」を意識し稽古・鍛錬するとは、そのための「一行」であると知らなければならない。
極力、癖の無い体幹や背中の筋骨を活かした手足の「動き」を纏う事が、私達の基本の元であります。そのことを意識せず行う基本は、ただの時間潰しにしかならない。

稽古では、存分に思考し、実戦では何も考えずに相手に「感応」し「合わせる」こと。相手の打突に臆する事無く、平生の心をもつて「合わせる」相手に「合わさせる」こと。
そのために…いろいろな稽古を行うのみ…です。
by katsumi-okuda | 2008-04-19 01:57 | 稽古日誌