2008年 04月 19日
組手考…力み
毎年のように思いますが、春は「菜種梅雨」と言われるように、しかし時として激しく厳しい雨が降り続きます。
仕方ないとは、思いますが、何とも古傷のこの身には辛いものがあります。 その日の調子によって「稽古」の質が変わる事があります。 体調が、無意識に芳しくない時…ふと思うと「力任せ」になっていることが、あります。 (時として、敢えて「力み」を加えることも、ありますが…) 特に「組手」に出ます。 相対で出来た事を「そのまま」実戦・競技で行うことを理想とし、稽古・鍛錬することを旨とする…なのですが…。 特に「防具」をつけたときの「打突」の場合、老いも若きも相当「力み」ます。 元より「防具」とは、打突の衝撃を軽減するモノ。なのに、それが一つの「免罪符」の如く、相手を「思い切り」殴ろう蹴ろうとする…本末転倒とはこのことかも、しれません。 人の性なのでしょうか、そのことを意識しなくては本当の「打突」は、得られないことを知りませふ。 打突とは、自身の全体重を相手にのせる事を理想とする。 ならば、正しい姿勢から導き出される回転力や反力を利用・倍加し、その手足に正しく「のせる」事である。 そのためには、正しい姿勢と脱力・抜力、つまり「力み」のない、そして癖の無い形をどのような場合も、再現出来なくてはならない。 組手は、詰まる所「心内」だと思考して憚らない。 「いつもと同じように稽古同様に戦えたら、誰でも人を制する事が、可能なのです。試合で言えば、ふだん通りに戦える「心・意識」を保つ者こそ勝者になれると言うことです。」 いつも私が、口にする言葉ですが…それこそが、組手の難関。倒す事に意識が行過ぎてもダメ、かと言ってなさすぎても…。それをどのように組み立てていくか…それも稽古!! 基本稽古で「形」を意識し稽古・鍛錬するとは、そのための「一行」であると知らなければならない。 極力、癖の無い体幹や背中の筋骨を活かした手足の「動き」を纏う事が、私達の基本の元であります。そのことを意識せず行う基本は、ただの時間潰しにしかならない。 稽古では、存分に思考し、実戦では何も考えずに相手に「感応」し「合わせる」こと。相手の打突に臆する事無く、平生の心をもつて「合わせる」相手に「合わさせる」こと。 そのために…いろいろな稽古を行うのみ…です。
by katsumi-okuda
| 2008-04-19 01:57
| 稽古日誌
|
プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 more... フォロー中のブログ
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|