2008年 02月 29日
次を見据えて…
この時期になると進学・就職と人の出入りが多くなります。
嬉しくもあり、そして寂しくもありです。 特に若い人達の旅立ち…何につけても、これまでの稽古同様、頑張ってもらいたいと願うばかりです。出来る事なら彼の地でも、カラテを続けて貰いたいと思うのですが、こればかりは中々そうはいかないものでしょう。しかし、いつか又、時と場所そして仲間を得たときは「続行」してもらいたいものです。 「武道に限らず、物事を成す時、立ち止まる事もありましょう。しかし又、歩み続ければ良いだけの事。そして、その気持をいつまでも持ち続け、再三立ち止まろうとも、その度に歩み続ける者、その旅路にあって、その者は真の強者となっていく」…私は、そう思っております。 今、スポーツクラブや私達のような武道団体を見ると、私達が若かった頃と大きな違いが出てきています。 それは、その競技年齢・構成です。以前、道場生の構成はその大部分が二十代を占めておりましたが、今ではその多くを少年部そして壮年(四十代以上)が占めているのが現状です。 それの是非はともかく、それに見合った稽古方法やそれを支える技術や理念が、特に武道の世界では希薄な気がしてなりません。少年部や壮年に適切な稽古指導を施し、真に「武道」としての有り様を確立していくことが、私達の急務だとも思っています。 「少子化と叫ばれている時代に何故道場に子供達が集まっているのか?そして、その先、教える者はどうしていくべきなのか?」「団塊の世代と言われる人達が、増えている。なのに通り一遍の稽古でお茶を濁している現状の指導体制や方法…それで言い訳が無い」私は、ことあるごとにそう言い続けています。その答えを探求するための稽古も続けて這います。 指導するものは、そのことまで見据え、自身の稽古に臨まなければ何の意味も無いと自戒しております。 百年一日、稽古は普遍…良くも悪くも…。 若い者と同じような戦い方を壮年に教える!?年だから型だけやれれば、いい!? そんな浅薄な考えに流される稽古は、稽古ではありません。人それぞれの「稽古」があるものです。ましてや、私は「カラテ」を教えているのです。人を制する術を、そして真に健康から導かれる強さを教えています。 例えば、壮年なりの鍛え方そして戦い方はあるものです。 子供達が真に修めなければならないものが、あるのです。 それを教えずして、又絶えず思考しなくて、指導者とは言えるはずもありません。 ちなみに、残念ながら私に「年だから、具合が悪いから、子供だから」等と言う言い訳は通用しません。 年だからこそ、子供だからこそ、修めなくてはならないものが、あるのです。確かに厳しい考え方でもあります。 しかし、私達は縁あって「武道」を志したのですから、そのことを思慮しなくてはならないと思っています。 「道場の中で出来て当たり前、道場以外でも同じように挨拶が出来、周りに気遣いの出来る人になりなさい。それが出来たら君たちは、どんなに幼くとも大人だよ」 私は、子供達にいつもそう言います。いくら道場で立派な返事が出来ても、外で出来なければ半解、そして教えている私達も失格…教えるも教わるも「真剣勝負」。 さて、そんな次を見据えた指標、「実」のあるものにしていかなくては…その前に又週末旅路です。
by katsumi-okuda
| 2008-02-29 02:14
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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