2008年 02月 08日
大人の責任…子供のすること
何回か同じような光景に出会いました。
エレベーター近くによちよち歩いていく幼児、周りを見ると親が見当たらない。慌てて私と妻は、その子を捕まえに走りました。その時、笑いながら「スミマせん」と言いながらその子の親が走りよって来ました。「だめでしょ。危ないから…」適当にこちらに頭を下げ、子供とともに立ち去る姿を見送りながら、妻と二人憮然としてしまいました。 子供が、悪いのではない。付いていてあげない親が悪い。 又、レストランで走り回っている子供を「危ないから走らないで」と言っている親、まして本気で言っているようにはとても思えない気の無い言い様…。 危ないのもそうだが、その前にここは走り回る所ではないだろう!!常識をまずは、親が持つべきではないだろうか。 子供は、知らない。知らないから教えるのが大人の努め。 こんなことが、本当にこの頃多く眼にしてならない。 年のせいかその子の親を怒鳴りたくなる。大人が心得なくて何故に子供達が、やれるようになるだろうか。 私達は武道教育という言葉を使う事が、あります。 難しい事はさておき…まずは「礼儀」と「所作」「決まり事」を学ばせます。無論、文化的な意味合いもあるのですが、人として日本人として知らなければならない事柄を身に付けていく事が大事。何故なら、気を抜いた姿勢での動きは怪我にも繋がりますし、何より他の者に対しての有り様を学び、自身の姿勢を自ら問う事の一つとしてそのことを念頭におき指導はなされます。 ただでさえ「殴る蹴る」ことを教えているのです。 曖昧な態度・姿勢ではどんな人を育ててしまうのか…。 矛盾していることを学んでいく事も武道の姿です。人の生死をかけて道を問うてきたのが、剣道であり、私達のカラテよりも歴史があり、その教育には厳然として姿勢が、見てとれるものです。同等に私達のカラテも、一つの闘争・護身の術として発展し、今では広く競技として世に認知されるまでになりました。ですが、その実は、まだまだ希薄としか言いようがありません。私達先を行く者、教える側の者が十二分にそのことを意識しなければならないと思っております。 私は、出来る出来ないや上手い下手をあげつらい子供を叱責する事は、ありません。むしろ、気を抜いたり、だらだらとやっている態度・姿勢、そして相手を思いやらない礼節に欠く態度を厳しく叱責します。 私達にしてもそうです。 一事が万事。一つの事、小さな事で手を抜く者に大事はこなせない。こなせるはずも、ない。 何事に対しても真摯に取り組む意識は、私達大人こそが持たねばならない。その姿を見て子供達は、真似をする。意識してくれるものだと私は、思っている。 「背中で語る」とは、そういうことだと理解している。
by katsumi-okuda
| 2008-02-08 00:39
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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