2007年 10月 11日
…ふと思い起こす「出目」
この前TVで北海道「札幌」が映っていました。
懐かしく…って言っても、もう四五十年も前の話しですが…。 私の生まれは北海道の札幌市内(北大前)です。 ちなみに父方は東京赤坂、母方は鹿児島…そして、血は半々ですが、どうやら「鹿児島」の血が強いような気もしますが、年齢と共にだんだん「父」に似てきています。そして、ふとした顔の角度が、早くに逝った「次兄」に似ていると言われることが多くなりました。 本当に遠い「過去」になってしまいました。 …高く広い体育館…西日の差し込む夕方、隅にある大きく黒いモノ、それが「サンドバック」だと知ったのは小学生になってから…。 私は、そのころまだ確か年少、三歳になったかならないかの時…大学生に「空手」を教わっていたと聞きます。 何をどう習ったかは覚えていないのですが、楽しかったから続けていたのでしょう…教えてくれた大学生の顔も姿も全く解りませんが、何かその顔が「笑顔」だったような…気もします。 …それが、私のカラテの一つの「原風景」なのかもしれません。 いずれ、機会があれば、また訪ねてみたいものだと思うのですが、なかなか…。 マンション内の「公園」の街頭に照らし出される「次兄」の顔…。 涼やかに笑みを浮かべているように思える…組手の最中だというのに…。私は高校生…本当に毎喧嘩三昧の日々、いくら兄でも負ける気はないが…本気でいくら突っかかっても「勝てない」!! 業を煮やして得意の飛び技(飛び上がり、頭から肘を落とす、または膝蹴りか前蹴り)に!!兄に向かって飛び上がる…刹那、兄は私と同時に飛び上がる…そして私に手を掛けたかと思う間もなく…。 空中で投げられた!?背負い投げ!!?激しい衝撃と共に地面に叩き付けられる!!息が…今でもその時の息苦しさを思い出すとゾッとする…本気で死ぬかと思った。断末魔ってこんななんだ…何故か納得した…兄は…先ほどと変わらぬ涼しげな、そして優しげな微笑みをみせながら、自分の道着を直している…。 「絶対に今は、勝てない…でも、コイツの稽古についていこう、そうすれば…いつか…」悔しくて仕方なかった…そして兄弟なのに畏敬の眼差しで「次兄」を見上げていた。 もう一つの「原風景」です。 その「次兄」も、今はおりません。 生真面目で優しく、どんなことにも平生を保ち続けた「次兄」…武道としての少林寺拳法を追求し、天才と称された「彼」は、不治の病と知りながらも、日々の稽古と勉学に努めていた…その姿に一歩でも近づきたい…その後ろ姿を私は、今でも追っている気がしてなりません。 …秋の夜長、少し柄にも無く「センチ」になっているのでしょうか… 今は、哀しくありません。それより、懐かしく心温かく思い起こせる「次兄」との激しい「稽古」…毎日々、死ぬかと思う程やらされました。怪我も嫌と言う程させられました…右目眼底骨折、手首、肘脱臼(関節技で外された!!)数度、肋骨骨折無数…兄弟とは思えぬ「稽古」の日々…スクワット500回、毎朝365日休む事無く淡々とやっていた「次兄」の姿は、今でも眼に焼き付いています。 そんな「次兄」の凄まじさは、枚挙に暇がありません。 剣道用の胴を足刀横蹴りで、割ってみせたり、あっという間に五六人の暴漢を倒し(本当に型通りに次々に関節を破壊していました) 平然とし、また「入れて」あげる姿を…闇夜に響く「叫び声」は、人のものとは思えないことを覚えています。外されるより「入れる」ほうが、数倍痛いですからね…。 空中に投げ上げたレンガを一刀両断にしてみせたり…今でも真似出来ません…。 いつになったら追いつくやら…今「組手」をしたら…まだ勝てる気がしません。いくらか美化されているかもしれませんが、そう思っております。
by katsumi-okuda
| 2007-10-11 00:46
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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