2007年 10月 09日
悩まない…わけがない
今日は、水戸での合同稽古でした。
一昨日、試合に出られたS場さんも、何気に参加されておりました。 本当に大したものです。怪我をしないのは稽古の賜物、いや一重に本人の頑丈さと意識の高さですね。見習わなくてはなりません。 これからあちらこちらの指導に赴く関係上、主として祝日に「師範稽古」および「合同稽古」を行って参りますのでお願いします。 今回は、試合後ということもあり、細かい稽古指導法にて行いました。適切な「柔軟のやり方」を主に「基本・移動」の細かい指導法を少年部に理解し易い形にして行いました。 今後、指導にあたられる上級者の皆さんの一法として頭に置いて頂けたらと思います。 指導するとは、自身の出来る事を相手に正しく伝え、同等かそれ以上の技量にまで導く事。ひいては、自身の技の確からしさの確認を行うことを主としています。 ですから、上級者になったら是非その域に達して頂かなくては次を見据える事が出来ないものと心得、機会を得て下さい。 特に年端も行かぬ事ども達に、その技量とものの考えを伝えていく事は、大変な事です。それだけに、上級者はそのことにたえず熟考し「楽しくタメになる」指導を心がけなくてはなりません。 永く修行の徒として日々を過ごしていると漫然たる不安や焦燥感が頭を擡げてくるものです。 特に年を重ね、日々変化する自身の心身を観るにつけ…。 私も人の子…当然と言えば当然です。 そして、それを乗り越える…というより、それが故知方へ過ぎ去るのをかぶりを下げてやり過ごしているのが大半なのです。 そして、そうこうしている間もなく日常が、やってくる。 そして、いつもと変わらぬ「稽古」が、やってくる。 時として何も考えず、稽古・鍛錬に没頭する。 それが、最良と実感もしています。 息があがり、筋骨が軋む、その稽古・鍛錬の中にしか、やはり、私は、私にとっての「答え」は見出せません。…稽古後の清々しさの中、一人道場に残り、ゆったりと佇んでいるとジンとしてくる痺れと共に意識がクリアになっていくのが…解ります。 それとともにいい知れぬ不安・焦燥感は霧散していきます。 何事でも、そうだと思っています。 考えることは、確かに大切な事です。しかし、考えてばかりでは先に進めません。時として考えることより、感性を磨き、今ある物事を確実にこなしていくことだと…。 感性とは、喜怒哀楽のみならず、人に対しての感謝・思いやりとも思っています。我を捨て礼を尽くし、回りを観ることで開ける道もあるものと…この年にして、この年だからこそ思うのかもしれません。 …修行とは、単に身体を鍛える事だけではありますまい。 修行とは、日常全ての物事から「心」を鍛え続ける事…と心得ております。苦しい時悩む時、実感します。修行しているんだと…。 能天気に見える私でも、日々それと対峙し「苦悶」しております。 (あまりそう見えないでテスし、苦悶の表情は怖いと家人に言われますので…人前では、慎んでいますが…)
by katsumi-okuda
| 2007-10-09 03:02
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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