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武道カラテ稽古日記

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休日に思うところ

 休日は、出来る限り家人と出かけるようにしていますが、ここのところ(前にも書きましたが…)街を散策していると気になる事が多く、困惑しています。
 人にぶつかってきて何も言わず、どけようともしない人(こんな輩は肩でタイミングを外し、鑪を踏ませます。)歩道をもの凄いスピードで突進してくる自転車(ちなみに自転車は軽車両ですよね!?車道を走らなくてはならないのでは…)あまり危ないので私は「どけません」!!
そうすることでスピードを緩めてくれる事を臨むからですが…。
 また書店の通路の真ん中で立ち止まり話し込み、通る人たちの明らかに邪魔をしている人たち!?
…今日一日であった「出来事」です。呆れてしまいます。
(私の住む地域は、流入人口が昨年から急速に増えているようです。そのためでしょうか、人との交わりに何かしらの不協和を感じてしまうのは…まるで都会のそれのようで何か忙しなく哀しい気分にさせられてしまいます)

人との調和は、大切です。
それが、相手を制する私達のカラテであっても、同等かそれ以上の意味合いをそれは、持っているものです。

 相手の事を考えずにただ打ち合えば共に怪我をしてしまう。
相手の手のうち、心内を読んで「攻めて」こそのカラテです。
そして、その感性を養い真に社会で使いこなしてこその「武道」。
ただ見かけの「強い・弱い」を競うのもよいでしょう。
ですが、それだけでは、つまらないです。
先の一年、いや子供達にとっては十年先、少なくとも真の「武道」を修めて欲しいと願っています。

 武道によって真の「強さ」、そこから生まれる「優しさ」「慎み」、そして「礼、挨拶」に始まる「常識」を修めて欲しいと思っています。
それを備えた者こそ本当の「人」になっていくと自戒をこめて、ことあるごとにそう思ってしまいます。

 正しいカラテをやることの意味も又、それを示しています。
短い型の中で全てを「正しく」やること。それは、自身を厳しく律することから始まらなくてはなりません。型をやる大人も子供達も、その意味合いは同じです。
たとえ いつ何時、型を行っても同様に正しく出来なくてはなりません。その意識こそが、自身を造るものと思っております。
 その難しい事にいつも「初心」をもって臨む事。
それでこそ私達は「武道」を嗜んでいると言えると思っています。

さて、まだあちこち痛いですが、気持ちを新たにし、明日の稽古に臨みます。
毎度、稽古は「初心」です。
 
by katsumi-okuda | 2007-06-03 22:51 | 稽古日誌