2007年 05月 03日
武の心構え…心体
皐月の頃…彩りのある花が、咲き続けています。
その彩りが、一息つくと…また「夏」がやってきます。 もう、五月です。毎回言いますが、本当に年月の流れが早いです。 試合を観ていて、これもいつも思うことがあります。 「どうして普段通りに人は、事を成す事が出来ないのだろうか。」 組手そして型にあって、緊張・不安・焦燥・恐れ等…さまざまな感覚が人を襲う。そして、いつもなら出来て当たり前の事が、出来ない自分とまず葛藤してしまう。 何事も普段通り出来たら、誰もが功を成す事が出来る。 また、それが出来ないから面白いとも言えるのですが…。 しかし、それを本当に普段通り以上にやれることこそ、私達の目指している「武」の一端だとも思い知らされてしまいます。 「不動心」そして「体心」 これは、武芸にあってその心構えを言い当てた古伝の言葉です。 心を一つにとめることなく、その事象の隅々にまで心行き渡らせること。つまり、心を身体全体に沁み通すことを最上とする。 初心忘るべからずの言葉で有名な世阿弥「花伝書」の一節です。 組手にしても型にしても、それは同じ心構えと知らなくてはなりません。そして、そうなるために普段の「稽古・鍛錬」が必要となることは言うまでもありません。 一つ一つの「動き」、自身のそして相手の動きに捕われる事無く、ただそこにある事象に沿うように事を行うこと。 考えては、いけません。相手とその状況に応じ、最上の手立てを感ずるままに施す事。 考えながらやっている型は、まだ「形」になっていません。 型には、大袈裟に言えば「テーマ・ストーリー」そして「山・谷」があるのです。それを稽古の果てに理解し体現する事を目指す。 それでこそ「型の実利」を知ることが出来るのではないでしょうか。 組手にしても相手と調和し、自身のリズムの中に相手の全て、そして自身の心までもそこに留め置き「動く」ことなのです。 相手を無視し、ただ突き蹴っていくだけで倒せるには限りがある事を知るべきなのです。 例えば、自身の構えの中に相手を誘い込むことも、その一つです。調子を変えて打突を行うことも同じです。 だからと言って「待ちの組手」に徹せよと言っているのではありません。気構えで相手を圧倒し静かに相手を調和させる術を持ち合わせて出来る技と知るべきです。 難解でしょうが、それこそが「武」なのです。 まずは、たえず「平生のように動くこと」から「相手の動きに刹那を合わせる」ことから始めなくてはなりますまい…。
by katsumi-okuda
| 2007-05-03 02:22
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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