2015年 10月 07日
変わらないもの、変わるもの
考えてみると、自分の中にある「本質」「本音」は下手をすると十代の頃と大して変わってないのではないかと思うことがある。
良く様々な経験によって「変わった」ということを聴くが、本当は、多くのそのような経験や積み重ねてきた道徳心、理性によって何重にも守られているのではないかと思う。 何気なくふと出てくる弱気や不安は、ひょっとして若い頃の弱く腺病質なそして本能的な本来の自分なのではないかと… しかし、それらが、全て悪いという訳ではない。 それらが、たまに表に出てくることによって今の自分に制御をかけたり、客観的に観たり思慮する助けになっていると感ずることがある。 そのため、時として物事の無謀さや無茶を控えたりするブレーキになっていると感ずる。 また時として、少しずつの負荷を自身にかけることによって今までに成しえなかった新たな感覚を身に纏うことが出来る。 私たちで言えば、少しずつ稽古にそして組手に慣れていく。痛みや不安、焦燥感に立ち向かうことが、少なからず出来るようになること。 それらを私達は、「自信」と呼んでいる。 自分を信じるとは、自身を客観的に観る理性である。そして、それらは、稽古ばかりではなく、ふだんの行い全てから築き上げられるもの。 つまり、弱い自分を真正面から認め、その上で多くの経験を積み重ね構築していくものだと考えております。 何重何層にも積み重ね積み上げられた「自信」、 そして、心の奥底にある「心根や本音」 それらを均等に意識するではなく感ずるとき、私達は、いつでも新たな「挑戦」が出来る。 そしてまた、新たな自分を感ずることが出来る。 これらを私達日本人は、謙虚、謙譲そして物事や相手に対しての尊敬の心として古から受け継いでいることを特に私達大人は、忘れてはならない。 その大切なことを私達が、実践し次に続く子供達に受け渡してあげなければならないのですから。 ですが、子供達に小難しい講釈は不要です。 子供達が、理解出来る言葉や行動で示すことが肝要ですね。 時には、私も声を荒げ注意叱責もします。 いつもゞ優しく穏やかでは、伝わるものも伝わりません。私達大人が、こんなに真剣なんだということを感じて欲しいと願い、そうしています。 ふだんの行い全てにおいて、どんなにつまらなく見えることであっても、いつも真剣に懸命に向き合う姿勢を稽古を通して伝えていきたい。 そうすることが、自分を本当に「強くする」要なのだと言うことを伝えたい。 「ふだん出来ないやれないものを何で試合や大切なテストで出せるの⁉︎出せるはずがない!ふだんから真剣にそして懸命にやって初めてやれるようになるやれるかもしれないという自信がつくんだよ!どんなことでも手を抜くんじゃないよ! 上手い下手や強い弱いは、関係ない。 真剣に懸命にやってるかどうが大事! 型の稽古やふだんの稽古は、それほど長いものではない。たったそれだけの事決められたことを守れないで、どうして他の難しい事が出来ると言えるのか? 何故、型をやるかって? 頭の中に正しい「回路」正しい「考え方」や「体の動かし方」を簡単に学ぶため。 他にも、いろんな理由はあるけど、まずみんなは、そう思いながらやってみよう。 自在に型が出来るようになれば、きっと他の運動も出来るし、頭も、もっと使えるようになるよ!
by katsumi-okuda
| 2015-10-07 14:58
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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