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武道カラテ稽古日記

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審査考…いつも思う

如月も終わろうとして、少し肌に当たる風が春を感じさせる。
審査会からもう、一週間になろうとしている。
さて次は、大会の準備に追われてさが、細やかでも、参加してくれる皆さんに満足のいく大会を心掛けねばならない。

…いつも審査の後、思うことがある。
審査する側であり、そして昨年、自身が受けたがわでもあるからか余計に考えてしまった。

確かに素晴らしい審査会であったことは、疑いようもないし、その価値は誰にも周知して頂けるものだと確信している。

が…「あの激しい連続組手を見て感動することは、あっても、ヨシじゃあ自分も挑戦しようと思う者、そして同じように出来る者が、果たしてどれほどいるのだろうか?」
それだけあの審査そして連続組手は、価値があると思うだけに、一抹の不安と言うか矛盾を感じざるを得ない。冷静にふりかえれば振り返るほど、そう感じてしまう。

結果、激しい連続組手は、やはり特別な者そして若い者それも選手にしか出来ないのではないか。その為若い者の挑戦はあっても、年長者の挑戦への弊害になりはしないか?

年長者や子供達、女性の為の審査基準は、暗黙の了解のもと存在はしている。
ただこれから多くの人たちに門戸を開いた真の武道としての審査そしてその明文化された基準は、必要になっていくことだろうことは疑いもないと確信している。

単に体力を見るなら事前に稽古の中でわかる。受審する者の出席率や稽古姿勢でそれは判断できよう。組手に関して言えば倒し倒されは、試合であり大会であろう。それを審査に持ち込んでは判断の基準は、変わろうというもの。

試合のように本気で戦うのであれば、せいぜい全力で十分ももたないのが現実。

審査の組手は、その者がふだんの稽古で培ってきた稽古の全てを観るものであると思っている。だから、私は倒し倒されのような組手は審査の際に望まない。
そうでなければ、要らぬ感情のシコリや軋轢ひいては、先細りの未来しか見えないのではないかと危惧するのは私の老婆心なのだろうか?

理想を申せば、ルール等の違いはあれど剣道や弓道の高段者審査のような真の心技体を、観れる審査そして基準を構築出来ないものか…

無論、私達は実戦の徒である。
実戦組手を抜きにしては決して語れないのが当然の有り様ではある。
だからこそ、それを踏まえた審査での組手基準は、あるべきだと考えている。


例えば…年齢五十路以上、組手の相手も同年代かそれ以上の受審者同士。
組手は、試合形式三分一本勝負。
勝ち負けは判定するものの、その組手の有り様全てをもって判定し昇段の可否を認定する。

無用な怪我は年長者や女性の受審者には、あってはならない。
ただし、受審に至る謂わば前審査は、これまで以上に拘ることとする。稽古姿勢は、もとより出席率、体力等、型の精密性とその理解度…全てにおいて認定された者のみ本審査を受審出来るものとする。

例えば、そんな規定なら私もまた七十路になっても受審出来るかもしれない。その年まで受審出来てこその武道ではないかと、こんな時夢想もしてしまうが…さて、如何に…
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by katsumi-okuda | 2015-02-28 15:18 | 稽古日誌