2014年 06月 09日
次を見据え…私見、型基準値
土日にかけ福島県白河市にいって参りました。
門馬道場主催の「白河カップ」今年で10回を迎えるという「内部試合」だが、その規模と内容は、普通に「県大会レベル」であり、盛大そのものでした。 いつもいつも感心させられることばかりですが、今回は総勢450名余の出場者を取り仕切り、滞り無く運営されている。運営に関わった多くの関係者の皆様には、この場を借りご苦労様でしたと御礼も申し上げたいと思います。 当然、門馬師範以下、道場生の皆さんの統制のとれた動きにも感嘆しきりです。 そして、二日にわたりお世話頂き本当に有り難うございました。 午前中は型試合、午後から組手個人と毎度大変な盛り上がりをみせる団体戦。 最終決勝戦では、せっかくだからということで私を始めとし県外から来られた師範・先生方で審判団を組ませて頂きました。そんな緊張感の中、(毎度!?)K師範のお茶目さに大変和ませて頂き、それはそれで有り難かったです(^^) いつも思いますが、気心知れた諸先生方との審判は、正直安心と安定感があり良いものです。 言わずもがなの意思の疎通が立てられます。 審判は、こうでなくてはのお手本のようでもありました。 さて、今回師範先生方には、少しお話しさせい頂いた件を述べておきます。 出来れば今年12月中に「型練成試合」を行わせて頂く予定でおります。 その代わり来年度以降「千葉県大会」は「組手試合のみ」の開催とさせて頂く予定でおります。 型試合は、どうしても併設開催の組手試合の「付随」のような観点になりがちです。 そこで、等しくどなたでも参加可能な「型試合」を執り行ないたいと以前より思考しておりました。 そのために「型審判」に至る「統一見解、基準値」をこの試合をもって試行していきたいと思っています。 型の解釈やその指導に関して各道場での見解は、ありますし、それを否定すべきものではないと考えます。しかし、一端、大勢の道場が一同に介し「試合」をしていくのなら、その試合に向けてある程度の「基準値」は、あってしかるべきだと私は考えております。 何を基準にするかは、やはり私たちは「実戦の徒」である以上「その技で相手が倒れるか」「相手の虚をついて攻防がしかけられているか」に重きを置くことになると考えております。 しかし、だからといって「どこの道場の型が良いとか悪い」を論じようというのでは、ありません。 私は常々「型の試合も組手と一緒。組手で相手が変われば戦い方を変えるのと同様に型の試合で判定基準が変わるなら変えられる自分の技量がなければならない」 ふだん道場での型と試合、大会での型を相互に出来る器量をもたなければならないと思っています。 そのために今回のような「型練成試合」は、あるものだと考えております。 何が正しいどこそこに反目しようなどというものでは、断じてない。 等しく皆で研鑽し作り上げていく機会の一つとして成り立っていけることを切望しているに過ぎない。 ただ、それでも一定の判定基準はあるべきであると思っています。 型を演ずる者、そしてそれを見守っているご父兄、先生方が納得出来る「見解」が欲しいと思っている。 その結果、判定がどうであれ負けたのであれば自身の糧にすれば良いだけの話し。 要は、私たちは「武道」を志向しているのであって、スポーツ的な勝ち負けだけを論じているのではないのだから…ふだんと違うから負けましたでは、残念だが芸が無さ過ぎる。稽古の幅が足りないとしか言えないと私は、思っている。 では、例えば、一定の判定基準とは具体的にどういうものか。 まず「基本技術点」があり、次に「演技点」があり、それぞれ「加減法」で裁定していく。 「基本技術点」例 適正な姿勢と形(極端に低い、また高い姿勢は減点) 前屈の前足爪先が内や外に流れている。後ろ足足刀部が、床から離れている。または引きずり。 後屈立ち前足が技の動きと共にぶれる。後ろ足膝の角度が開き過ぎ(がに股) 突きの手首が曲がっている。手刀が正しくされていない。抜き手の指が正しくない。 手刀受けの角度(肘の曲げ過ぎ) 受けの角度が、適正でない(肘が曲がり過ぎ、伸び過ぎ) 突き蹴りのとき、姿勢体勢が、崩れる。 演武方位のズレ。 「演技点」例 力ばかりで適正な早さに欠ける。 移動の早さが、適切でない(特に遅すぎたり早過ぎたり) 転身のスムースさに欠ける。 型の意味合いとかけ離れた動き(大袈裟で余計な動作が顕著) ☆加算として☆ 「相手を制し倒せる気迫と身に沿う十分な威力と早さ」を有していること。 「ときに大きく早く、ときに細かく正しく動けている意識」 ※失格と大きな減点※ 指定された型を演じていないのは失格。 気合が小さい。移動して際のブレがある場合減点。 極端な「二度踏み」とズレは減点。 息の調整が、なされていない(長い型の場合の呼吸の乱れは、稽古不足と判断される) わかりやすい観点から上記のようになるのではないかと思われます。 あとは、当日の試合前、審判の先生方と参加者との擦り合わせをしていければと考えます。 ちなみに、私が型審判の場合、上記視点にたち裁定しております。 あくまで私たちは「実戦の徒」であることを強く意識し、それに沿う「私たちの型」でなければならない。 型の解釈は、それこそそれを行う人の数だけあるものだし、伝統古来の型の意味合いもまた、これらとは、大きく異なるものだと理解もしている。 しかし、それはそれで意味のあることは、百も承知しているし違うことも理解している。 それでも尚、私たちが現代にあって型を志向していく過程で自らの見解を持つことも又大切な「創造」であり進取にとんだ「極真」本来の姿ではないだろうかと思わずにはいられない。 まだ型競技が一般化されてそんなに歴史もあるわけでもない。 だからこそ、私たちが、多くの機会を得て道場生と共に研鑽していくことは大切なことなのではないかといつも思考して久しい。 「組手の試合はラッキーパンチはあるけど、型の試合は絶対ありえない。どっちも難しいということを理解し、どっちも成果を出していける心身を作らねば、やってる意味がない。せっかく、やり始めたのだから少なくとも十年以上は、やってみよう。それからでないと、とてもカラテをいや武道をやってましたなんて言えないんじゃないかな…」 「この頭この身体ですべてをやるんだから型も組手も出来なくてはいけない。それらが、出来るくらいなら他のどんなことでも出来るようになる」
by katsumi-okuda
| 2014-06-09 18:00
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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