2014年 05月 29日
鍛えどころ
「どのスポーツが、一番凄いかな!?」
ふと、そんなことを雑談の話題にしたことが、ありました。 確かに私たちの「競技」も、何も知らない人たちから見れば相当「異常」だと思われる。 実際、私たちにしても自分が、やるより見てるほうが「ひいてしまう」ことがないわけでもないです。 曰く「時速150㎞近くで飛んでくる、まして頭で反応しきれない小さな球を10㎝に満たない丸い球を棒でしっかりとらえ140m近く吹っ飛ばす野球選手」 「とんでもない高さからスキーはいてジャンプ(いや自然落下)するって尋常じゃない」 「魚でもないのに何あの高速で泳ぐって…」エトセトラetc どんなスポーツにしても分野にしても、その高見は普通の人から見れば「尋常じゃない」ことなんですね。あらためて、そんな当たり前のことを思ったり感心したりしてしまいました。 雑談も、時にはためになるかもしれません。 さて、そんなことを思いながら考えついたことがあります。 私たち動物は、誰しも一定の「攻撃力」を持っています。 それは、活きる為に本能として持っているものと解されます。 しかし、「防御力」という点に関してはなきに等しいようです。 ですから特に四足歩行の動物は、弱点である胴体を下にし服従・安心するとそれを見せるとも言われていますし、防御のために足を使って、その場から逃げることをします。 …なのに私たちは、その弱点でもある胴体を無数の打突にさらしながら打ち返さなければならない… これらのことは、私たちの競技特性に少なからぬ意味を与えているのです。 攻撃力もさることながら、まずは打たれても大丈夫そして怯まない防御力、つまり「打たれ強さ」を作ることは、とても大切な項目となっているのです。 どう頑張っても、打たれるのですから鍛えておかない法はありませんね…。 ですが、過ぎたるは及ばざる…あまり「打たれ強さ」を過信しても、良くはありません。 いくら大丈夫だと言っても打たれてばかりでは、試合には勝てません。 まして、少なからず身体の故障も発生するでしょう。 いつも言うことですが「所詮、私たちは物理の理世界にいる」のですから、相手が自分より大きく重かったとしたら真正面から当たることは、あまり頭の良い方策とは言い難いのです。 威力とは、質量(体重)×速さの二乗です。 加えて言うなら筋肉量は、背の高いほうが多い つまり、威力が出せるということ。背が高く体重がそこそこあるほうが、よいことになります。 でも、それだけでは、あまりにも夢がなさすぎます。 人は、そこを頭を使って(技であり戦略であったり)切り抜ける術を模索し実行するのです。 ですから、どんな物事であっても、初めから無理だとあきらめたりするのは良くないですね。 しかし、どんなに優れた技をもっていても、人一倍威力のある攻撃力をもっていても、的確適時に相手に当てていかなければ、ほとんど意味をなさないのも道理。 そのために私たちは、ふだんの稽古いや日常さえ「意識」して取り組まなければならないのです。 無論、技にばかり走るのは良くありません。 体力(スタミナ・打たれ強さ)があって初めてなされるものだと自戒しなければなりません。 特に若いうちは、鍛えて鍛え抜くくらいに心身を強化して欲しいものです。 そのうえで、相手に応じた「戦略」を駆使していくことをお勧めします。 相手が、ふと気を抜いた瞬間なら大して力もいらず倒せることが起きるのが、この世界なのですから。 例えば、ふだんから「疲れたり痛そうな顔するな」と言うのも、相手にこちらの手の内を悟られないようにするための一つなのです。ただ我慢してるのとは、少し違いますね。 打とうとして打たない。 打たないふりして、いきなり打つ。 これらも「兵法」の習いです。 また、同じことなのですが、相手へ入ろうとして入らない。入らないふりして、いきなり入る。 つまり「出入りの速さ」とは、このことですし、これも兵法の習いです。 それらを習う一つの手立てとして私たちには「型」があるとも言えるのです。 技の強弱・緩急の多くは、そのことを指しているのですから一考あるべきですね。 遮二無二、打突を繰り広げるのも確かに一法ではあります。 ただ、そんな中でも意識するしないに関わらず出入りや呼吸の間を外すことの出来る者が、勝者への近道だと私は、実感しています。 但し、言うは易しとは、このことです。 私たちの競技は絶えず相手がいる。それも無数の打突を繰り出してくる相手が…。 そんな中でその戦略を駆使していかなければならないのです。 やはり、私たちの世界も「尋常」ではないのですね。 どんな状況下にあったとしても「平生」を保ち且つ「熱情」を発露すること。 痛みや苦しみの中で一歩引いてしまうのは、簡単なこと。 それをしないのは、ただの意地の張り合いだけに終始することなく、冷静な判断と不断の意志の強さによってなされなければならないのです。 ただ意地でその場に立ち尽くせば、相手の猛攻の餌食になるだけ。 そんな中でも、次の一手を確かに打てる感性なり意識なりが、とても大切なのです。 そのためにふだんの稽古そして鍛錬、いや日常があるのです。 ふだんからやってないことは、試合で出るものではありません。 もし、ふだんからやっているのにその戦略なり技が、出ないのであれば、そこを客観視し反省することも必要だと私は思っています。 どんなことでも、毎日の繰り返しが大事なのです。 失敗しても何が、その原因なのか自分でわかることが大事。 よい失敗とは、次に活かせるということ。 そして、同じ過ちを繰り返さない意識をもって次の稽古そして試合に臨むこと。 …ちなみに… 「Aは攻撃力90。防御力10。Bは攻撃力10で防御力90。Cは攻撃力防御力ともに50だとして皆なら どのキャラでゲームしたい!?」 選ぶ人の性格が出たりしますね。 さて、今の私は…。
by katsumi-okuda
| 2014-05-29 01:54
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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