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武道カラテ稽古日記

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自らを観る…そして

 例えばよく道場生たちにこんな話しをすることがある。
「例えば、大会と公立高校受験は、似ている。何故なら、実力の拮抗した者たちかが集い覇を競う。違いは一人の優勝者を出すか、一定数の合格者を出すかの違いだけ」

「では400名余の受験生のうち合格者は380名前後が、公立高校の前提基準だが、では落ちた20名余は、何が足りなかったのか!?そんなに点数に開きなどないのに…」

「どの大会をみても…ベスト8もしくは4は、いつもと同じ顔ぶれが並ぶことが多い。それは、当然実力があるからに相違ない。では、ベスト16以下の者たちが、上位の者とどう違うのだろうか!?」
「例えば、体力、技術力等にそんな大きな開きがあるはずがないのではないか。先の例に上げた通り、そこに集う者たちの実力にそれほど大きな差は、認められるはずは無いのにかかわらず…」

 私は、何も役に立たない精神論や根性論を振りかざす気は毛頭ない。
あくまでも、自分自身を客観的に俯瞰し理知的な判断をその都度下し、それに的確な対応策をとること。
そして、それが、とれるための「精神力」と「集中力」をふだんから養うことを提唱して久しい。

 ただの希望なら大言しても、いい。
いや大いにするべきだと思っている。
大きな夢を口に出し語ることは、実現への一歩となり、そして、その過酷さを知ることになるのだから。

但し、今の自分自身の実力を冷静に客観視することを忘れてはならない。
今の自分が、どこが優れていて、どこに欠点があるのか。
そして、その欠点を埋める為になにをするべきなのか。
そして、その欠点をどこまで埋めるべきなのか。
つまり、今の現状にそぐわない、つまり無理無茶な対策を講じてはならない。
いきなり30点の教科を90点以上にしよう…夢は、そこにおいても構わないが、現状はそぐわないだろう。まずは、基本点を確保できる基礎力をあげていくことに誰も異存はないはず。
なのに、人は時としていきなり90点を目指し猛進し始める…。

誰もがチャンピオンを目指す。
しかし、すぐには実現出来ないと知る。
そして、そのためにまず…と自分に見合う試合に臨み、そこで実績を積んでいくことであろう。
しかし、その「常道」が、時として外れ「迷道」に迷い込む。
…どれも、人の「業」なのか…。

では、いかにして、それらの「夢」は「現実」のものとなるのか…
確かに正しい方法論は、用意はされていない。
いや無数に存在もするのかもしれない。
あるとすれば、その過程を正しく踏襲していける確かな精神力ではないだろうか。
何も血眼になって勉学や修行にのめり込めということではない。
世界大会まで上り詰めた者たち、そして稽古に励みながら淡々と最高学府に到達した者たちは、その誰もが、いたって「普通」なのである。
どんな状況下にあったとしても「普通」を平然と維持し、今成すべきことを正しくこなしていた。
その当たり前のことを当たり前に行うことの「難しさ」を知り、そして、行う。

ただ、それだけのこと。そして、それが、どれほど「覚悟」がいることか知らねばならない。

 例えば、チャンピオンになりたければ、最高学府に到達したければ、人に言われて物事に当たっているようでは到底覚束ない。
ある日、何かを自分で決めたのなら、それが適うまで「実行」する。
ただ、それだけでいい。
それが、出来れば誰だってある時限までは、必ず到達するものである。
それをハナから無理だと諦めたり、幾度となく繰り返される失敗や挫折に挫けていては何も生まれない。
「よい失敗は、成功への貴重な体験となる。しかし、悪い失敗は、ただの後退にしかならない」
よい失敗とは、その失敗や挫折から学ぶ姿勢を忘れないことであり、次への成長への確かな糧とすべく冷静な判断と客観性を維持していることである。
悪い失敗とは、わけの分からぬ言い訳やいつまでも愚痴に浸る感傷。
そして、大した準備もしていないのに事に臨み大敗を顧みず、また同じ轍を踏む論理性の無さ。

人は、どんな年齢であっても絶えず成長しなければならない。
人は聖人君主には、到底なりえない。
人は、いつまでも失敗をするものだ。
だからこそ、失敗から学び、成長そして発展昇華するのである。

だからといって「次の試合は、負けよう」「この高校は落ちよう」などとふざけたことを考える者はいまい。
どうにかして、まずは一試合勝ち上がろう。前の試合結果より上回ろう。
どうにかしてあの高校に受かろうとするだろう。
だからこそ、そこに「戦略」なり「意識」なりが重要となり、働かなければならない。

 何も考えずに闇雲に稽古し勉強に励んだとしても、その多くは徒労と課す。
何を強化しどうしていくか。
時として「捨てる」ことも、厭わず。

苦手なものやすぐに強化できないものは、その維持に終始しても構わない。
長期的に鍛えていけば、それも欠点ではなくなるであろうが、今にそぐわなければ「捨てる」ことを選択する勇気も必要。
但し、強化し間に合うものであるのなら「徹底的」に突き詰める「覚悟」を持つ事。

 厳しい言い方だが、そこにベスト4とそれ以外の者たちの歴然とした差が生ずるのである。
歴代のチャンピオンたちは、持って生まれた資質と体格を十二分に意識し、それに甘える事無く常人では、考えられない過酷なトレーニングを日々重ねていた。
それに追いつきたいと切望するなら、せめてそのトレーニングを真似る事から始めるべきであろう。
人に追いつきたいなら二倍ではない!三倍、四倍やりなさいとは、総裁の口癖。
確かに、その通りなのです。
そして、それが、例えすぐに結果として出なくとも構わないと思わねばならない。
何故なら、私たちは凡人なのだ。はなから体力資質に劣っていることを忘れてはならない。
しかし、それでも、その努力・継続という才が花開く、誰もが均一に持っているその力を確信しなければならない。

 手順を違わず成すべき事を為す。
日々絶え間なく、それこそが真の王道。


…私には、早逝した次兄がいる。
高校に入るまでの彼は、優しいだけが取り柄の何も出来ないひ弱な少年だった。
しかし、高校に入り得難い師に遭えたことから日々の生活が一変し、三年で豹変した。
毎朝、三年間かかすことなく500回のスクワットを自身に課し完遂した(記憶にある限り彼が、それをやらなかったのは三年で二日だけ…高熱で医者や家人に止められたから)
帰宅してからの勉学も、それに比類する熱心さでたちまち学年で一二を争うまでに…
筋力の鍛錬は、全身に及び、大学に入る頃、彼は誰にも劣る事の無い心身を手に入れていた。
ただのひ弱な少年が、誰もが認める才人となった。
私は、この眼でそれを見ている。
人とは、こうまでも変われるものだと言う事実をただ呆然と見とれていた。

今私は、多分その兄を想い、その後ろ姿を追っているにすぎない。
彼が、そうしたであろう道を見るためだけに…。

覚悟とは、容易い事ではない。
しかし、やるだけの価値があると確信している。
やらないで浮遊している者たちが、あまりにも多すぎる。
なんとも勿体ない。私や先人たちよりも、もっと才も資質もあるのにも関わらず…。

優勝したい、いい高校大学に入りたい!?
簡単な事だよ。
今の4倍やればいいんだよ。
そう「次兄」が、あの優しい笑顔で囁いている…
私は…笑うしか無い。
そして…それに従うしか術を知らない。
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by katsumi-okuda | 2014-05-20 01:43 | 稽古日誌