2012年 01月 27日
それぞれの稽古
持病の頸椎が…首そのものもそうだが、困るのは肩甲骨周りの鈍痛…。
こう寒さが厳しいと朝起きるのも難儀。 それでも、稽古となれば一応そんな素振りも見せずに動かねばならない。 激しく動いているうちに何とかならないかなぁ… 治らなくても、少しは緩和しないかなぁ…などと 本当に淡い期待を込めながら動いてみたが…あまり変化はない。 よって、まだ「重く、そして痛い」…。 さて、日曜は千葉での大会である。 選手のみなさんは、それぞれに思いを胸に精一杯競い合ってもらいたい。 相手に勝つということは、まずは自分に勝つということ。 試合前、そして試合中、最善の心にて「一心」に戦ってもらいたい。 結果は、あとからついて来る。 それくらいの気持ちで皆、伸び伸びと自分を顕わして下さい。 確かに試合だけが、全てではありません。 しかし、出られる環境や立場にいられるのなら最良の糧を得られる再考の機会なのです。 やった者にしか、わからないその実感を大切にしてもらいたいと願って止みません。 百回の稽古より一回の試合です。 そこから学ぶことは、大変多くあるモノです。 すぐには気がつかないこともあるでしょう。 ですが、それらは全て自身の血肉となることを忘れないで頂きたい。 試合は、眼に見える目標としては最適なものの一つでありましょう。 では、試合に出ない人たちにとっての目標とは…。 よく言われることですが、その目標も人それぞれなのです。 そして、そのそれぞれの目標に合わせた「間口の広さ」を私たちは、提供していかなければならないと思っています。 何も考えず、感じずに日々の稽古をただ踏襲していくだけでは先は臨めません。 伝統的な様式を正しく継承していきながら次世代に続く新たな取り組み方とその目標を見つめ直していかなければ武道とは、時代に取り残されかねないと杞憂しています。 革新的な競技化によって世界に広がった極真カラテも、それは同じです。 今どれほどに隆盛を究めていようが、先の展望を考慮しない動きは停滞、いや退化に等しい。 競技に邁進するのはいい。 しかし、ではその先に何があるのか。 このカラテを通して何が、自分にもたらされるのか。 特に指導に立つ私たちは、そのことを第一に思考し、明確な指標を立て実行していかねばならない。 子供達のその先の為に伝えねばならない大切なことを教え慈しむことも大事。 老齢に達しても尚、それをやる価値のあるものと伝えられるだけの本当の「武」がなければならない。 そのために無くしてはならない大切なものを正しく伝えること。 そして、そこから新たな試みを模索していくこと。 そのために私たちは、歩を止めてはならない。 稽古の一つ一つから、日々の行いの一コマから思考し実行していかなければならない。 今、私の頭の中の大目標は、それであり、そのことで一杯である。 そのためにまず、この身が壊れても、まず稽古ありき鍛錬ありきなのだと思い定めたりもしています。
by katsumi-okuda
| 2012-01-27 02:08
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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