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武道カラテ稽古日記

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型の一つの意味…

 何気なく日々が流れ、普通に稽古が進んでいく。
悪い事ではないが、それぞれに目的・目標をもって日々の稽古に臨んでもらいたい。

 この時期になると私たちの道場では、年末の「審査」に重きを置くようになる。
今月の「東京大会」を山場に選手達も、一段落する。
そして、以前、交流会で学んだ事も活かしながら、そして、自身のカラテを一つの観点から見つめる為にも稽古は、行われ、そして、審査に臨む事となる。

「ケント君、型も出来るんだね」とこの前の交流会で本人言われたそう…
本人、苦笑いしてましたが、確かに彼には試合のイメージしかありませんものねぇ。
しかし、彼は、私が教えた全ての型を覚えています。
確かに現在は選手ですから、その修得に深みとまではいってはいません。
ただ「黒帯」に相応しい「型」の種類と修得は、完遂しております。

私共の「黒帯」の条件の一つとして「指定された型を修得していること」という項目があります。
いくら競技で強かろうと型の一つも出来ないカラテ家は、どう見てもカラテ家とは言えないのではないでしょうか…少なくとも私は、そう考えています。

現在の型が、いくら形骸化され競技のため審査の為のそれだったとしてもです。
いずれ競技という場を離れ、人に伝える立場となり、齢を重ねた時、そしてまた見知らぬ人たちにカラテを伝えようとした時の一つの手段として「型」が、出来る事は一助になるものだと思っています。
そして、実感として「型」をやっていて、競技の身体を作っていく上でも効果的であると知っていますし、その実例として多くの道場生を輩出してきました。

…今から三十年以上前…NYのセントラルパークで何気なく型の稽古をしていたとき、みるみる人だかりが出来た。乞われるがまま、いくつか演じてみたことがあります。
その当時、今ほどカラテが知られていなかった事もあり、好奇の眼差しがほとんどでしたが…
それでも、カラテを語る一つの手立てになった事は、言うまでもありませんでした。

「競技の型と演武の型は違います」
これは、とある大会で審判の方から型について質疑された時に返した私の一言です。
競技は、あくまで競技。どこまで定められた通りに行えるかであり、あまりにデフォルメされたそれは競技としては、認め難いこともあります。

しかし、型の中に「色香」をつけていくことは大切。
技の力強さと緩急とは、一つにそれをさす。
たった一幕の「型」の中で、それが演じられるようになるということは、一つの自身のカラテそして組手の形が、成ったことを言います。

何はとまれ、審査に臨む皆さんは、それなりの型の修得に心がけて下さい。
何も、そこから難解なことがわからなくても、構いません。
ともかくは、頭の鍛錬だと思って、まずは「完璧に覚えましょう」

覚えなければ、考えなくても自然に動くようになるまでやって下さい。
そこからしか始まりませんし、見えなくとも感じられないものもあるということを知って下さい。
まずは、出来なくては何も言えません。
出来てから、そして、やり込んでから「先」が見えてくるモノです。
by katsumi-okuda | 2011-11-06 14:52 | 稽古日誌