2011年 07月 27日
続けることの意味と意義
今日も、というか試合後次の日からケントは、少年部の指導、そして一般稽古に参加していた。
まるで何事もなかったかのように…。 確かに今回は、ある意味対戦相手と噛み合った試合をしたため身体へのダメージが少なかったせいもあるが、よい心がけそして習慣だと思う。 因に行動が先か、心が先かとよく言われるが、まずは行動が先のほうが一般的に取っ付き易い。 これは行動療法の一つとも言われるが、人は何かを成すとき、少々辛いかもしれないが、続けることを一つの方法とすることがある。 私たちの稽古そして鍛錬も、その意味では「行動療法」と言っていい。 辛かろうが何だろうが、まずはやってみる。そして、続けてみること。 そしてそれらは、必ず大きな成果を生むことを私たちは、知っている。 …ただ、その続けることの難しさも、知っている。 そして、続けることによって「らしさ」を自然身につけていくことも忘れてはならない。 また、その逆に心がけから一気に変え、行動を高めていける者もいる。 どちらが優れているのではなく、その人となりによると思うが、こちらのほうが成果は出易い。 俗にいう「モチベーションが高い・維持出来る」者ということになる。 今の自分に満足すること無く、次を目指す。 そのこと自体、心が先だと言える。 しかし、それを維持し続けていくことが難しい。 日々、自身の心を奮い立たせ、意味を持たせること。 どんな物事にも、その難しい有り様は存在する。 日常の些末なことや仕事そして学業。 それらを淡々とそして意欲的に取り組む姿勢も、稽古に真摯に取り組む心構えも同等である。 一つの頭と一つの身体である。 ふだんのすべての心がけが、自身に降り掛かる。 ふだんの物事に適当な者には、繊細な組手そしてカラテは、成り難い。 ふだんどんなことでも、真摯に取り組む。 そして、稽古も必死に立ち振る舞う。 それらが、自身の大きな柱を作る。 つまり「絶大な自信」である。 誰にも、絶対否定しきれない自信に裏打ちされたものは、何事よりも「重く、そして強い」 私は、絶えずそう自問して止まない。 それは、例え年端も行かぬ子供達でさえ、いや子供達だからこそ…。 それらをどんなシーンでも、よく垣間みることがある。 すぐに成果の出ることならまだいい。 しかし、どんな物事でも、そう簡単に事は運ばない。 丹念に丹念に…出来る事から少しずつ続けていく事。 必ずその成果は、現れるという事を私たちは、伝えなければならない。 そして、実践してみせねばならない。 ただし、何度も繰り言を言うが… 「やるのは、続けるのは自分である。誰でもない。確かに助言はあるだろうし仲間もいるやも知れぬ。 しかし、続けるのは自分自身であることを忘れてはならない。苦しさも達成感も、何もかもすべて自身に振りかかるものである。甘んじてそれらを確かに受け止め、歩を進めることを忘れてはならない。」 「今日、出来たのなら明日も、続けられる。今日一つ積み上げる事が出来たなら、明日やれば、必ず二つ目に到達する。そうやって、ふと気がつくと確かな段階に自分がいることに気がつく。確かに進歩していることに…その時の達成感を皆に味わってもらいたい。」
by katsumi-okuda
| 2011-07-27 01:39
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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