武道カラテ稽古日記

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大会…考弐

 組手編
 さて17日に行われた組手試合。
昨年に引き続いての大会ではあるものの前年以上の「レベルと意識の高さ」を感じました。
例えば、壮年部の試合一つとっても、今までのように「腕試し」「勢い」だけで勝てる程容易ではなくなった印象があった。皆、それなりに真剣に稽古に取り組んだ跡が、感じられる試合が多かったように思う。また、少年部、女子部に至っては、ここも「全日本」レベルを感じさせる試合が散見された。

 一般部のレベルは、今までのような「身内」の試合とは、明らかに一線を画し、選手はそれぞれの強い思いや「覚悟」を滲ませ、地味ではあるがレベルの高い試合が多かったように感じた。

全日本レベルに匹敵する多くの選手とそれに続く選手たち。
しかし、その「基礎体力指数」にそれほど大きな優劣は、見当たらなかった。
あるとすれば、やはり「意識の高さ」と「ふだん通り戦えるか、出来るか」という精神的な落ち着きや強さであろうと感じた。

だとすると戦う前から各人の「戦略」や「意識、精神性」の高さと強さをどうふだんから活かしているかが、これからの大きな課題となるものと思われる。
開会式が、終わると、すぐに試合が始まる。
当然だが、午前中からスタートである。しかし、多くの道場生の稽古時間は夕刻以降である。
そのため、十分なUPなしに、または万全な気持ちの切り替えなしに場に臨んでしまう事も少なくない。

どんな有名選手、どんなスポーツであろうと初戦は緊張と不安に苛まれるものである。
そして、それをいかに克服し、即転換出来るかが大切。
つまり、それを素早く行える者こそが、初戦を突破出来る要素の一つを堅持しているとも言える。
…心身の切り替えの上手な者、それが見てるもの(審判)に安定感を与えていることも忘れてはならない。相手を倒す事が本懐であろうと試合は、何としても勝たねばならない。そのために審判の眼を意識した「試合を作る」ことも大事。そして、それが出来るということは、一重に自身が心身共に安定している事に他ならない。

加えて「フルコンタクト」につきものの重大な「挫傷、打撲」を追わないだけの身体と防御力の高さを保っていなければ、トーナメントを駆け上がることは不可能である。
そして「試合を作る」ためにも、ここという刹那を見逃さぬ技を持たねばならない。
また、一気に「まとめる」連打をも、持ち合わせていなければならないことも同然。

つまり、ベスト4以上の選手たちには大なり小なり、ここに上げた条件を少なからず満たし、欠けている不足している点は、自身の長所にて補っている「上手さ」が見ていて感じられた。

…今日も、いや昨日も負けたケントは、怪我を押して「稽古」に励んでいた。
厳しい物言いだが、それも同然。
そして、本日は「反省」も含め、今後の「戦略」を思考し試し合った。
今までの良かった試合、悪かった試合内容を見比べ本人も、自身で気付くこともあったようだ。
そして、それを今後の試合で実践していくために稽古の内容や心構えを改めていく事とした。
確かに体躯的に中量級であり、その点の不利は否めない。
しかし、その稽古量と力量は、前述のようにそれほど見劣りするモノではないと思っている。
当然、これから更なるUPは、していくつもりではあるが…。
(以前、総裁にも言われた事がある「身長で180以上、体重で80以上のどちらかあれば、全日本で活躍出来るし、その両方と強い意志があれば世界が狙える」と…)

組手は、特に競技としての組手は日々進化している。
去年まで有効だった技は、今年利かなくなることも間々あるのが、競技の世界である。
そのために競技者自身が、絶えず心身の向上を図らなければ勝てるはずも無い。
相手と同じ事をやっていては、勝てる率は下がるばかりである。
相手の虚をつくような間の取り方、技の出し方、相手にとって早い出入りや力の強弱を絶えずふだんの稽古で意識しなければ、いざ火急の時、出るモノではあるまい。

各人が、自身に沿う組手を模索する事。
それが、組手の競技の命題でもある。
例えば、自分の身長、体重、スタミナ、得意技、弱点(スタミナが無い、蹴られ弱い等)、そして年齢…
自身に見合う組手をやる…簡単そうで中々そうならない難しさを秘めているものである。
スタミナがないのに真正面から長時間打ち合うのは、あまり頭脳的ではない。打たれても大丈夫な身体があるのに動き回りすぎる。手を開き相手に接してしまう癖が抜けず減点をとられてしまう等…数え上げれば、人の数だけ欠点や弱点はあるものである。
しかし、それに比例するようにまた長所もあることを忘れてはならない。
自身の特に身体的特徴を活かす事が第一である。
手足が長い。体重がある。スタミナがある。打たれ強い。突きが強い…。
それらを如何に活かすか、ふだんから腐心するべきであろう。
見た目に派手な技ばかり、自身の特徴に合わない組手を組み立てている者が、往々にして多いのもこの世界なのである。本当に勝ちたければ、今一度、否幾度となく日々稽古、鍛錬の繰り返しの中から模索しなければならないと確信している。

 それだけ競技としての組手は、日々深化しているのである。
勝つ為に何を為すか、その刹那から「試合」は始まっていると胆に命じ進むべきである。
by katsumi-okuda | 2011-04-20 01:31