武道カラテ稽古日記

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大会考…

 型編
16日に行われた型試合は、極真として初の文部科学省後援の「全日本」を冠し実施されました。
審判として多くの試合を観た印象と考えた事を述べたいと思います。

 まず、一般で優勝された狩野、岩崎両選手は、他に比べて頭一つ抜け出した存在であり、現時点で全ての選手の良き手本であり、全日本の冠に相応しい力量だと感じました。
しかし、それはまた、それに続く選手の力量が整っていないことの現れでもあることを顕在化させてしまたとも言えなくもない。

 何せ初の全日本ということもあり、主催者側の試行錯誤と苦労が滲む大会、試合であったと思われます。極真は組手偏重主義を謳ってしまったがために型試合の練度が、伝統派のそれに比べ、まだ依然、稚拙であると言われても致し方ない。しかし、だからといって、やらなければ何事も、始まらない。
ここが出発点ということを認識し先に進めていく試金石が、今大会ではなかったかと思われる試合内容であったと感じた。

 極真の場合、以前にも述べたようにその型を習った時期やその指導者によって、一つの型が、さまざまに変異していることが、よくあった。また、伝統派の試合であっても近年以前では同じような事象が少なからずあったと聞く。しかし、試合が公式行われるようになってからは一つの基準を統一し、そこから大きく変える事は少なくなり、判定の明確化と競技化が、進んだと言われている。

確かに良く言えば「型が変わってしまう」ことも、進取に富む極真の風土のようなものと今では、解釈出来なくもない。しかし、こと試合となれば、そうもいかない。
そのために枝葉を詰めて当てはめようとしても、どこかに基準をおかねば本来優劣のつけようが無い。
そこで今回は、一つの試案としての基準値が審判員に示されていた。
それは、型を行う為の「基本的要素」である。
一つに立ち方や足の置き方、運び方の正確性であった。立ち方にブレがないか、足の置き所に無理や差異がないか、足の運びに変調がないか等である。
一例として「前屈、後屈、騎馬立ちの高さは一定」「突きの位置が相手の急所」等が、それである。
そして、型に「実戦性」があるか否かである。
その突き方、蹴り方で本当に相手が倒れるかである。
ために型本来がもっている「流れ」「力の強弱、緩急」が、お座なりになる傾向も否めなかったが…。

片や「技の一つ一つを(力強く!?)止めて」演じるもの、そして片や「技の流れを重視」するものに分かれたが、それも、それを演ずる者の力量により出来、不出来が顕在した。
それらも含めて「これから」だと感じたのも事実。

一つ老婆心ながら年長の者として言わせてもらえば一つだけである。
大会講評として大石最高師範が仰られていた「型は一つ三千回、万の数を超して本物」という言葉である。私たちの時代、黒帯になるまで鍛錬した型は「太極、平安、その裏、三戦、最破、転承」加えて、せいぜい二三種であった。特に平安、三戦はどれくらいやったことか…。
そして、それが今の自分、そしてこのカラテを造っていると信じている。
少なくとも型を競技として人様に評価してもらおうというのなら、まずは量の稽古、鍛錬を心がけてもらいたいと思っている。
 酷評となるかもしれないが、今回出場された多くの方々「まだ基本が、足りない」と言わざるを得ない。型も組手ならば、ブレないだけの基礎体力を基本そして日々の稽古、鍛錬の中で更なる充足を積み、次回に活かして頂きたい。

今一度、競技する者に問いたい。
「その演ずる型を何回うちましたか!?」
「少なくとも三千以上やって、この場に立っていますか!?」
by katsumi-okuda | 2011-04-19 01:14