2011年 03月 28日
復興支援と日常
寄せられたコメントにも「こんなときに大会などやらなくとも、いいのではないか。もっと役に立つことをやるほうが心の修行になるのではないか」というものが、ありました。
復興やそれに関する思い、そして考え方、関わり方は人それぞれだと思っておりますし、その一つ一つに批判めいたことを述べる気は、当然ありません。 それだけにここでは、私見として思うところを書き留めておこうと考えております。 復興とは何か!?端的に言えば「日常」、物心共に取り戻すことである。 現時点で被災地に素人のボランティアは、不要との声を聞きます。まずは、公的機関の活動と各自治が機能し出してからのことであり、単に混乱を招き易い現時点、私たち素人が出来ることは「物資、義援金」を確かな諸団体に送ること。そして、停電や物不足に正しく対応する「ふだんの日常」こそが、第一だと考えています。 誰だって「こんな普通の生活をしていていいのか!?」と悩むはずです。 現に悩み過ぎてストレス障害を起こす人もたくさんいると聞きます。私にしても、被災地に飛んでいって何かしたい気持ちで一杯です。何もかも、放り出して…。そんな思いは、私一人ではないはずです。 しかし、今私たちが、しなくてはならないことを正しく思考すべきときだと思っています。 被災の少なかった(千葉、茨城の一部は損壊大)私たちまでが、慌てふためき、日常を放り出してどうするというのでしょう。ここに「ふだんと変わらぬ日常」そして前にも増して「強い日常」が、厳然とあるからこそ、被災地に復興の手助け(物心両面の補助、供給)が、成り立つというものではないかと思っています。確かに、こんなときこそ武道は、役に立たねば…という思いもありますが、反面、こんな時、私たちは何の役にもたっていないのではないか…という強い悔恨にも似た思いも立ち上ることも事実です。そして、それは、何も私たちだけではなく、多くの人たちが抱えている一つの「考え」でもありましょう。 だが、しかし、それても、私たちは、日々の稽古を惜しまず普通の日常を精一杯行うようにしようと思っています。大会が、挙行されるのであれば、それに出たいという選手(当然、震災前に出場は決まっていましたが…)が、いるのであれば、それに向けて邁進します。 無念を抱えた人たちの分までと心に定め精進している選手たちを私は、知っています。 そして、復興を目指す福島や多くの仲間たちの為にも、私たちは今ある「日常」を今まで以上に「揺るぎないもの」にしていくことが大事だと強く思っています。 東北の要、福島の門馬道場が復興に心血注がれている今、私たち被災の少なかった者こそが、その「心」「意」を組み、より以上の精進をしなくては、それこそ笑われてしまいます。 カラテで培った心身は、人それぞれ使い方、活かし方が違うと思っています。 被災された現地で医療、消防そして自衛官等として公式にそして懸命に従事されている道場生の皆さんを知っています。また、普段の生活の中で被災に負けぬご苦労をされている多くの道場生そして師範たちを知っています。その多くが、ふだん稽古で精進された心身、そして仲間の絆を深く感じながら日常を過ごされております。 そして、被災の少なかった私たちは、それを活かす状況と時を来る日を待っているとも言えるでしょう。復興とは、特に今回の復興は何年にも及ぶことと思います。一過性の義援に終わるのであれば、それは意味が無い。継続し真に復興がなる、その時まで私たちは、心身、物心両面の協力体制を現時点、整えていくことが大事と思い定めております。 そのためにも「強い日常」を作り続けねばならないと思っています。 鍛えた身体を使うことも、ありましょう。 そして、それが正しいときも当然あります。 しかし、使うべき時に使えない、活かせない心身では、意味が無い。 その時まで、私は、皆と共に鍛え続けていくことでしょう。 平時の物事の意義と非常時では、確かに相違のあることも多くありましょう。 「カラテの意義」一つとっても、そうです。 端的に「強くなりたい」「上手くなりたい」「試合で勝ちたい」等…どれもが正しい。 そして、それに人格形成や社会的な有効性を見いだすことも決して吝かではない。 また、そのどちらの局面においても、私たちは平時の稽古、鍛錬から培われた心身があるという事実。 要は、それを如何に使い、活かすかだと思っている。 今回の震災を前にして、そのことも真摯に考えもした。 しかし、偉そうな御託を並べ立て、真の「義」に役立たぬ考えは持たぬよう心がけた。 私の思う義援は、もっと先にある「日常」にあると思っている。 今自身が問う、今ここで成すべきことを真摯に懸命に行うことである。 それこそが、その時々の「意義」に相違ないと確信している。 今この時点で、私の「カラテの意義」は、自身を慎み、怠り無く続ける稽古とふだんの営みから生み出されるものである。正しいことを正しく、今やれることを一つずつ丹念にやり尽くす心と意を鍛えているとも言える。道場の長である私が、ばたついていては始まらない。 盟友、門馬師範がそして福島の道場生が、見ておられる。 恥ずかしい格好は、決して見せられない。 皆が、普通の生活を、いままでと変わらぬ日常そして稽古を渇望している。 そして、その時に確固たる「団体」として動いていけるよう私たちは、口惜しくとも後方で日々の稽古、鍛錬を怠ってはならないと確信している。 ただの精神論や慰めだけに終止していて事は、始まらない。 ただの支援に留まらず、強い日常を取り戻す為にこそ私たちが、いると思わねばならない。 一人が、立ち行かぬ時、代りの者たちが、その代りをそしてそれ以上に務めること。 それが、今私のやるべきことの第一となっている。 …言う間でもない事だが、出来る状況と各個人に余裕(時間的、金銭的)があるのであれば、過不足の無い「物心両面の義援」は、継続して行うべきだと思ってもおります。 どちらにせよ、今回の震災を傍観し何も考えていない者は、いない…。 小さな子供たちも、全く関係ない人たちまでもが「心配」してくれている。 そのことを忘れぬよう、これから形にしていきたいと切望し止まない。
by katsumi-okuda
| 2011-03-28 17:28
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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