武道カラテ稽古日記

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質と量の稽古の狭間

 出来る事なら、有り余る時間を使い稽古三昧でいるならば、どんなことでも、ある程度にはなれるものです。しかし、現実は違います。
普通の一般部、ましてや壮年部の皆さんは、当然のように日々忙しく仕事に家庭に大切な時間を費やされている事と思います。無論、学生さんたちも同様ですね。ちゃんと授業に出ていれば…ですが。

 何にしても同じです。
例えば塾で勉強を教わったとします。精々週に二三回、時間にして4〜6時間がいいところです。
それだけで他に何もしなくて、本当に勉強が出来るようになるでしょうか。
それは、一つの幻想に過ぎません。本当は、塾で教わった事を切っ掛けとし本来の学校での勉強に弾みがつく、つけられるということに他成りません。

 同様に私たちの「稽古、鍛錬」も同じ事が言えると思っています。
本当の稽古、鍛錬とは、ふだんの生活そのものにあるといっても過言ではないのです。
ふだんから何をするでも、意識を持ちその身を動かし、思考することこそが、武道なのですから。

小難しくしかめっ面した形が、武道なのだなどと勘違いをしてほしくありませんね。
私たちも、当然忙しく貴重な時間を使っているわけですから、その時間を有効に使う事を旨としなければなりません。
そして、折角、時間を割いて稽古に来られている以上、無理をせず自身の今ある体力に沿った意識をもって、稽古に臨んで頂きたいと思っています。

「その日のうちに精一杯の力を使い切る稽古をしなさい。明日に残しておくようでは、何にもならない。残り物の力なんぞ、次の日になっては、ただの澱にすぎない。使い切れば、明日必ず新しい力を体内は宿してくれるものなのだから…」
ふと思い出したのですが、若い頃、誰かに享受された一言です。
その時も、大いに会得し、それこそ足腰が立たなくなる程、気絶する程、稽古した記憶が蘇ります。
(ちなみに…人によるのかもしれませんが、気絶する一歩手前、目の前周辺の風景が白んでいき、視界が徐々に、そして一気に狭まったことを幾度か経験しています。多分、今で言う酸欠か何かだと思いますが、とても、皆さんには勧められませんね。)

稽古を試合のように試合を稽古のようにとは、武芸の嗜みです。
つまりは、意識を高く持ち、身に沿う稽古を本懐としなければ功は希薄なものとなります。
…どこまで自分を追い込めるか…どこまで集中していられるか…。

私は、寝ても覚めても「そのこと」を思考してやみません。
考えている事は、いかに相手を倒すか、いかにこの身を使いこなせるか、今ある限りある体力を存分に余す所無く使い切ることが、出来るか否か…。
考えても、つきる事はあるはずもありません。
ですが、その思考の先に結果が、あるものだと確信しております。

少ない稽古時間でも、それを補うのが「質」というもの。
それを無意識のレベルまで作り込む作業こそが「量」だと思っています。
ですから、今日にしても、短時間のうちに「量」を圧縮した稽古となった次第です。

今、次の試合に臨む人たちに新しい課題を提示している最中です。
それを使いこなせるかどうかは、それこそ、その人次第です。
それを試合で使いこなせるか、将又、意識、体現出来るかどうか…。
これからの、そして、ふだんの「生活」にかかっていると言えましょう。

…道場での稽古なんぞは、タカがしれてます。
本当に難しく、そして大事な稽古は、ふだんにあるのです…。
by katsumi-okuda | 2011-02-25 01:05 | 稽古日誌