2010年 11月 02日
技術交流会…補足
私も門馬師範も、そして今回稽古に参加された釘嶋、鈴木両先生共々、当たり前のように道場生たちと共に稽古をこなしている。
しかし、この私たちの「常識」が、この世界では非常識…今まで通説となっていたのです。 適切な稽古、鍛錬と意識の元、このカラテはどこまでも深化すべきもの。 そのことを今回、共に稽古して頂いた師範、先生たちに強く感じました。 「トップが向上心の無い会社は、伸びるはずが無い。我々も、それは同じ」 今出来ることを精一杯やらなくては当然人もついてくるはずもない…。 そんなことを強く感じる今回の「合宿」でもありました。 何故、私の道場では「補強」と呼ばれるモノが多いのか !? 下手をすると稽古=鍛錬に終始することもしばしばです。 何故なら、私が若い頃(総本部に通っていた十、二十代の頃)ともかく痩せていた、体力、つまり力もスタミナもない…あるのは、小器用に動かせる手足だけ…その結果、一つの稽古で身体は、いつもボロボロ。 真剣に悩みました。「この手足に金属でも、埋めてやろうか」と本気で考えたこともあります。 一度怪我をしてしまえば、それだけ体力も技の修得も遅れ、結果、道場から足が遠のいてしまう。 どうしたら先輩たちのような身体を持てるようになるのか…。 そのためには、稽古しかないのは、わかるが、今のまま、やっていてよいのか…。 そんなことを始終考えていました。 何故なら、この「極真カラテ」が「実戦」故、初めに「真正面」からの「体力ありき」だからでした。 時は移り、今もその頑さは変わらないかもしれませんが、ただ稽古のやり方と意識には少し洗練(!?)され、より合理的、効果的に身体を鍛えられる(苛められる!??)ようになってきています。 身体を鍛えてこその「フルコンタクト」です。 頭でいくら屁理屈を並べても、百の連打と対面し、対処出来る心身をまずは作らねばなりますまい。 ただ「身の丈に合う」ことをやらなければならないことは言うまでもありません。 出来ないモノは、出来ない。出来る限りの中で少しずつ焦ること無く続けていくこと。 どこを動かせば、どう身体に利くか。この動きは組手の中でどう転用するのか。 それをいつも、考え意識していくこと。それが、私の矜持であり「基本」なのです。 壮年だから、女子だからなどという「括り」は、ないのです。 適切な鍛錬は、どの年代、性別にあってしかるべきなのです。 身体を鍛えていないアスリートなど見たことありません。 カラテを嗜好している多くの人たちは、確かにプロではありません。 しかし、そうでないからこそ、余計に鍛えるべきだと思っています。 健康でない強さは、夢想でしかありません。 適切な強度を与えた心身は、何ものにも耐えうる自分を造ってくれるモノです。 今回の稽古では「補強」のほんの一部でしかありませんでした。 本来、「補強」とは、無数に存在するものです。そのやり方、回数など、それを行う人の数だけあると言って良いでしょう。それをどう適切に配置していくか…それが、私たち年長者の役割だと思っています。年と共に、どうしても理屈っぽくなってしまいがちです。それを超えるだけの「鍛錬」も、私は絶対必要だと思っております。 身体を強化していく鍛錬、そして、身体に覚え込ませるための鍛錬…。 頭で意識し身体に覚え込ませることも、その役割の一つ。そのためにも、体力は入り用なのです。 私は、よく「稽古で覚えた技やコンビネーションが、すぐに試合で使えると思わないように。覚えたら試合では、意識せず「忘れて」戦うこと。試合、実戦では相手に「反応」することが必要。」と言います。無意識で出せる技こそが、本物とよく言います。 そのためにも、自信にあった器を満たすだけの「補強」は、絶対に行うべきなのです。 …ふだん、気がついたとき姿勢を正す、早く歩いてみる、手をしっかりの正拳で握ってみる…そのどれもが、鍛錬そして補強であることを忘れないで頂きたい。
by katsumi-okuda
| 2010-11-02 01:05
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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