2010年 10月 10日
今一度、正しさを
久しぶりに「上級者」のみの稽古となりました。
何かの拍子で土曜はTさんとマンツーマン稽古となりました。 幸いではないですが、月末の合宿と特別昇段を控え、さまざまな稽古を行いました。 といっても、高度なものは何もありません。 気をつけて行ったのが、改めて基本の「形」の確からしさとその使い方です。 その一つが、私が「独り稽古」の時に行う「ゆっくりとした」稽古です。 前屈のまま逆突きを行います。そのさいの手首の返し…付きを出す早さに沿って手首、拳を反転させていく…決して当たる直後で一気に捻るような突き方は、しないように…。 やってみるとクセのあるTさんは(以前伝統派での経験があるため)、呻吟として難しそうに唸っております。直後に捻るのは、あくまで顔面を狙うことを主目的とした伝統的な突き方、手首の使い方です。 それに加え、私たちの競技では相手の胴体に当てていきダメージを浸透させていく突き方を思考しなければなりません。また、極端に手首をひねったりする突き方では、近い将来、手首、肘そして肩にダメージを残してしまう危険性が大きいと言えます。 そして、組手の足運びの元となる「移動」も同じです。 前膝と前足首の使い方、腰の運び方と力の入れ方…出来るだけ後足で蹴る進み方は慎むこと。 その相手に悟られない「滑るような移動、歩法」は、私たち年長者の一つの「技」となるのですから… 力やスピードで若く勢いのある者には、到底物理的に無理があります。 そうであるなら、余計に意味ある「動き方」を自身でマスターしていく必要があるというものです。 但し、何度も言いますが、それも相手の突進をある程度真正面から捉えられるだけの「ふだんの体力」が、あればこその話しです。 私は、組手に関して言葉遊びはしてはならないと断じています。 理屈では、そうであっても、競技として成り立たない技は、技ではない。 極端なことを言えば、万人が、出来る事でなければ、今の時代に伝承するに値しないさえ思っています。古伝の型にさまざまな意味合いは、確かに存在するものです。 しかし、それを今の世界(競技)に使う応用するかは、別問題なのです。 部位を徹底的に鍛えることも、よいでしょう。 身体能力をその動きの中から思考し上げていく事も、大切な事だと思っています。 しかし、そのどちらも競技として成り立たないのなら、別の道筋をつけていくべきだと思っています。 すべてのことに応用の利くのが武道のよいところでもあります。 健康の為に動きの質を高めていく事。 老齢のカラテを模索する手立てとなる基本と移動の関係性。 そのどれもが、ふだんの稽古に横たわっているものだと思っています。 そのことを少しでも、思考し実践していくことが私の一つの標でもあります。 痛いところ不具合な所をあげれば、本当にキリがない。 しかし、だからこそ見えてくる考えられるものもあると思っています。 とは言っても、そんな身体を騙しだまし使っていて良いとは…。 そのへんが、もう一つの悩みでもありますが…。
by katsumi-okuda
| 2010-10-10 18:40
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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