2010年 09月 13日
私評…そして再考
再び今回の試合を私見ながら、それぞれに再考してみたいと思います。
私は今回「型審判」が多かったのですが、そのことについて気づいた事を上げてみましょう。 まずは、身内から中学生で型試合に臨んだ「ウッチー」…自分で何がいけなかったか聞くと「気合いが小さかった」「わかってたらやれよ」ですが、本人知らず知らずに緊張していたようで足下を押さえるので必死だった姿が、アリアリでした。 結果、上手いのですがどこかに不安定感や無理が、散見してしまい肝心の表現力に一歩届かなかったというところでしたね。 ただ彼に限らず今回出場していた選手の皆さんに関して言えば「上手」なのですが、何かが足りないように思えました。それは「型の練度、修得度」もありますし、もっと言えば「基礎体力」です。 私たちの型は実戦でなければならない。少なくとも、その意識をまず表現していかなければならないのです。良い悪いではなく、まずそこ(基礎体力)から再度見つめ直して頂く事。そうすることでさらに「上」を目指せる事を思考し稽古に励んで頂きたいと思いました。 上手いのですが、まだ手順を追っているだけ…その技で相手を制する事が出来るか否か。 型を行う時、私たちはいつも思考していかなければならないと思っています。 その意味では、今回の入賞者も含め僅差の判定と言ったところです。 ということは、もっと抜きん出た「形」を自身で造り上げて頂くよう心して頂きたいと思いました。 今回、特に一本負けで昏倒する選手が、多く見受けられました。 試合など緊張すると人の視界は、狭まり、いつも見えるものまで認識できなくなると言われています。 そのため普段なら何ともないような蹴りをもらったりする…。 そのことで私見なのですが、やはり「中高校生もヘッドギア着用」を義務づけるべきではないかと思いました。技術的にレベルの高い中高校生同士の戦いになれば、大人以上のスピードと技量、そしてそれに乗る威力は、相当なものになります。偶発的なバッティングや不意のアクシデントに少なからず効果のある防具の着用は、無駄な事故を軽減することにつながり、ひいては安全な競技として間口を広げることになると思っています。今回も、確かな医療スタッフの尽力で大事に至らぬ速やかな処置には感服は、しているのですが、大きなダメージは、身体以上に心の傷として残る場合が少なくありません。 それによって才能ある多くの青少年が、カラテから遠のくことを憂慮しないではいられません。 「極真カラテは、実戦なのだから…」とだけ門切りでは、少年部や壮年部を含めた意図拡大には、結びつかないことを私たちは考えなければならないと思っています。 その意味で今回審判に当たられた諸先生方の処置は、観るべきモノがあったと思っております。 特に子供たちの審判は難しいものです。その中、どこで「線引き」をするか、よく理解された先生方であったと感じました。無用な怪我やダメージを負わせる事無く「競技」として良く成立した試合が、多く、そこにレベルの高まりをも感じました。願わくば、さらなる精度の確立のための「師範講習」や「審判講習」を開いていきたいと願っております。 さて、その高校生の部で今回出場したHくんは、試合そのものが久しぶりですし、もともと「大人しい」そして「真面目な」普通の一道場生。少年部の頃から、いる一人ですが、高校になり思うところがあっての今回の出場。「負けてもいいから全力でやること」テーマの一つはそれです。 さして身体的に優れている訳ではない彼にしてみれば、今回の大会は大きな壁でもありました。 初戦は何とか突破したモノの次戦は、相手に呑まれ何も良いところが出せずじまいで負けてしまいました。よく戦って負けて悔し涙にくれている幾人の道場生…その悔しさを忘れぬ事ですし、その結果を自身の生活にまで広げてこその武道ということを忘れないで欲しいと思いました。 「試合の為に強くなる為に勝つ為に何をしたらいいのか」 どんな物事でもそうですが、単純に足したり引いたりして答えの出るものではないことを改めて選手たちは、思い知った事と思います。 よく連覇は、難しいと言われるのは、そのことなのです。 どんな試合にせよ何にせよ、人に勝つ事は難しい。 そして、それを実行・実践する自身の心を統御することは、さらに難解なのです。 何をすればではないのです。 何をしたから勝てないのかを、まず俯瞰して観る事も大事だと思っております。 前日、門馬師範が「オーストラリアのジャド・リードは一万本の上段回しをやった。それをやり切る体力もだが、やろうとするその心が、凄い」と仰っていた。 その通りだと今回の試合を観ていてふと思いました。 だからといって、その真似をしろというのではなく、その「意識、気概」を日々の稽古・鍛錬で養う事を忘れてはならない。ただ合理的な筋力トレーニングだけをやっていては、掴めない何かを絶えず自問自答し自身に足し引きしていかなければならない。 「偏った稽古は、それ以上にもそれ以下にもならない」 その意味を全ての道場生は、改めて自戒しなければなりません。
by katsumi-okuda
| 2010-09-13 16:59
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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