武道カラテ稽古日記

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 これからの為に…

 これからの為に…

前から気になっていたことですが…
子供達は、お互いにあまり年齢を気にしてないのか、学年が上の子や女の子に対して殆ど、よくて愛称で呼ぶか呼び捨てにし「君」や「さん」付けをしていない。

私が古いのかもしれませんが…
流石に年齢が上がり道場という場では、それなりに対応はしているみたいなのですが…

私は、道場生の呼び方にある決まりが、あるようです。子供時代から私のそばにいて成年になった指導員達は、名前で呼びます。ただ公の場では姓名で…。
成人で入門し社会人なら必ず年若くても「さん」付けで呼ばせてもらっています。
堅苦しいと言われる方も、いないではないですが、私の細やかな「流儀」ですので勘弁してください^_^呼び捨てなどは、全く慣れていないものですから…。

道場だけで過ごす人は、そんなにいません。大部分は、学校そして社会の一員として過ごしています。
ならば、正しい言葉遣いをするよう皆に心掛けてもらいたいと思っております。

何十年も武道に携わり、最も使っていること。
それは、挨拶であり言葉遣いです。
それらは、人を尊び思い遣る「はじまり」

これからの為に特に子供達にカラテの術だけではなく、そのあり様である心の使い方を伝えられたらと思っております。

例えば、ふだんの稽古の中でも、色々なお話をさせて頂きたいと思っています。
カラテ以外のことを…
そして、それが自身のカラテ、武道に繋がるように…
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# by katsumi-okuda | 2019-06-25 20:33

はじめは、何でも大変…

はじめは、何でも大変…

 先日の日曜、恒例の合同錬成会を行いました。
春と秋、普段なかなか会えない道場生たちと共に稽古をする。
時間帯や稽古場所などが違い、会う機会の少ない一般部や上級者達との稽古わを見遣る。

 思いの外⁈大勢が集まり、会場は、人混みで…
いつもと違う雰囲気に気圧され、緊張気味の子供達、特に初心や幼い子供たちの中には、涙目になっている子や会場に入れず、表で号泣してる子…などなど。

 たしかにいつもと違う雰囲気…
大人でも少し緊張します。
それも年端のいかない幼年では、致し方ないことかも…
ただ、やはりというか、個人差はあります。
全く物怖じしない子(特に女の子に多い^_^
いつもと変わらずニコニコしてる子など…

こんな経験、子供達にとってそうあるものではありません。
大勢の人目に晒され、いつも通りにやらなければならない…とても大変なことだと思います。
ですから、初心や幼い子供たちは、ここへ出てくるだけでも、大いに褒めてあげたいといつも思ってしまいますね。

 どんなことでも、そうですが、初めてのことは大変なことだと思います。

ですが、それを一つ一つ経験し積み上げていくことで、良い経験そして良い意味での「慣れ」を身につけていけるものだと考えております。

初めのうち、満足に出来なくて当たり前です。
キチンと立っていられなくても、仕方ない。
ただ少しづつ、やれるようになれば大いに褒めてあげたいですね。

幼い子供たちにとって、どんなことでも初めてのこたは、知らず知らず緊張もするし怖気もします。その大小は、人それぞれ。

何事でも自身に沿うよう、人と比べることなく慣れていければ良いと私は思っています。

上手くなる強くなる以前にそんなことからまず「挑戦」は、始まるものなのですから。

そんな幼い子供たちが、いつのまにか上級者となり、年少者の補佐にまわり、そして幾年かののち私の補佐を担うまでになってくれる…
そんな風景が…何にまして嬉しい。
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# by katsumi-okuda | 2019-06-18 20:43

カラダが、教えてくれる…

カラダが、教えてくれる…

 殆どの指の皮が、剥けてくる^_^
なぜなのかは、不明…多分アレルギーとのこと。丁度、梅雨に入りはじめの頃からなりはじめるので、皆に「もうそんな季節なんですねぇ」などと風物詩にされて久しい^_^

あまり痛くはない。夏本番になると治る。
でも、酷くなると汗でも沁みるので、少し煩わしいのと見た目が…

そして、特に右腕全体が…
考えてみれば、右腕だけで大きな怪我(骨折)は計7度、細かい怪我は数知れず…
なので「気圧」やら何やらで疼痛などが出ても、これも致し方なし。
出来ること「調整」は、やるようにしている。
ただ、ここ数年全力で力は、使えていないのが、なんとも歯痒い。

それでも、要は考えようと定め、他のことに注視し鍛錬なりを勤しむ。
たしかに楽観的ではあるが、嘆いていても何も始まらない。

出来ることから、やるのが「武道」

稽古は道場だけでやるものではないとは、先人の教え。
寝てる時間以外、使える時はアタマの中でも稽古すれば良い。使える部位を鍛え直し、今に沿うようにすれば良しと思う。

「稽古の稽古」になっては、いけない。
禅問答のようだが、何のための稽古なのか、その折々に思考しやらねば、進化は何もない。
そのことが皆に伝われば良いのだが…
特に子供達に伝えられるよう自身も自戒して臨まなければと、深く思う。

カラダを鍛え、そして、そこから何を学ぶのか、先ずは自分のカラダと語り明かさねば。
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# by katsumi-okuda | 2019-06-11 19:26

道着の着方…

道着の着方…

道着とは、戦闘服であり死地に向かう「死装束」が由来と一説にあり、故に道着は「白或いは木晒し」とされている。
無論、本土に伝わり柔道着に範を受けたことも間違いはないが…
兎も角、その着方が「さまになっている」者は、間違いなく「上手く」そして「強い」
または、強くなる者の現れであると断言できる。

 現代だからといって「ファッション」や「写りの良さ」を衒い着崩したり、色物などは、私たちのそれには、ありえない。

故に特に旧弊な私は、道着の着方と帯の締め方には、喧しいかもしれない。
例え乱打戦であっても、着崩れない者は、相手を能く観て相手に応じていることを観ることが、多い。逆に簡単に着崩れる者は、第一に帯の締め方が、なってない。
そして、何より相手を能く観ずにただ我武者羅に手足を振り回す者に多い。
そしてまた、そのような戦い方の輩は、進捗は覚束ないのもまた事実。

 初心とは、まずそんな所作から始まり、いくつになっても、忘れてはならないものであると度々思う。

今は、特に子供達にそのことをまず伝えたいと思う。キチンとした所作は、素直さや実直さにつながり、全ての物事の上達につながるのだから…
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# by katsumi-okuda | 2019-06-04 20:41

…試合とは

…試合とは
私たち武道を標榜する者達の「試合」とは、どのような基点となっているか再考してみたい。
ただ、あくまで私見であり、違う見解もあろうことは重々承知の上で書かせて頂くことをご理解頂きたい。

 三月の自分の大会後、なにせ多忙と自身の身体的な都合により書けなくなっていたことをまずお詫びいたします。

さて、どのような試合であっても、「ルール」があり、それを客観的に見る「審判」が存在する。たとえ、それが子供達の試合であれ、プロの試合であれ、それは同じ。
もし、それらが、蔑ろにされれば、それはもう試合とは、呼べない。ただの「私闘」と成り果てることは、いうまでもない。

但し、こと「武道」と名のつく「試合」は「スポーツ」のそれとは、違うことを選手、及び関係者は、理解しなければならない。

試合後、ガッツポーズをしない。
試合前後の礼節を重んじること。
また、審判の判定に不服の声をあげない。
その判定が例え、明らかに間違えていようとも。何故なら、武道だからだ。

判定が不服なら、不服のない勝ち方をすれば良い。圧倒的な勝ちを誰の目からも明らかな勝ちを納めれば良い。

相手の反則を審判が、取ってくれないという声をよく聞くが、私に言わせれば旧い意見なのかもしれないが…それでも、黙して語らない。
語らせない。
反則をやられたら、半分は自分の不注意だと私たちの時代の習いだった故。
(やられたら、正当な技で倍にして返せ…ただそれだけだ。それが私たちの武なのではないか)

何故なら、それらも含めて試合なのだから。
確かに審判の技量にも、可分はあろう。
だからといって、それをことさら自身の判定に優位になるような「愚行」は、残念ながら「らしくない」といえよう。

あまりに判定の酷い試合、大会は、程なくしてなくなるので、そんな試合は、今後、再考すればいいだけの話と私は思っているが…。

あくまで「人」が観て判断する試合である以上、それをより正しいものにしていく日々の努力は、忘れるべきではない。
ただの権威付けのためだけではなく、その日の為に努力した選手達のためにも、それ以上の労力を惜しまず、審判の技量を上げていくこともまた、忘れてはならない。
また、そのような審判、そしてそのような試合は、次々と盛況になるものであることを見聞する。

ルールや審判基準を細分化したり明確化すること自体は、決して悪いことではない。
ただ、そうすることによって「スポーツ化」してしまう危惧が、あることもまた、忘れてはならない。要は、それを行う者達の大きな意識の問題であることを提案したい。
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# by katsumi-okuda | 2019-05-14 19:40

  不安定な季節と…

  不安定な季節と…

暦通りに暖かくなりつつあるが、時に寒の戻りもあるこの時節。

どうも昔から春先は、調子が良くはない。
何度となく風邪っぽかったり咳が続いたり、はたまた、体の節々の都合が悪かったりと…

そんなこんなで今ある身体と相談しながらでしか稽古鍛錬は、出来ないでいる。

歳を言い訳にはしたくない。
出来る限り「現場」に立ち続けたい。
その為に普段の節制が必要となる。
カラダを鍛えるとは「鍛える。休む。適度な滋養」の三要素。

若い頃と同じ鍛錬や暴飲暴食は、厳に慎まなければならないと自戒してはいる。

その中でこの歳だから出来る稽古鍛錬のあり方を提唱出来るよう考え続けている。

武の究極の目的の一つは、やはり「壮健」にある。健康でなければ、強さも何もない。
悪いところはあるにせよ、それと真摯に向き合い日々試すことでしか、得られないことを知らねばならない。まして、年長であり人の上に立ち前を行く者として…。

ただ、だからといって誤魔化しに逃げたくはない。型や基本を、ただ健康のためだけにやるには、まだ早かろう。

齢を重ねた戦い方、いなし方はある。
若い道場生達と真正面から打ちあわなくて何が実戦か…その思いは、まだまだ変わらない。

その為に私には「空手」があると実感している。型の解釈は、それをやる者によって無数にある。いやなくてはならない。
 ただ一つの解釈に固執してしまうのは、いかにも勿体ないと思うのは、私だけだろうか?

折角の先人の知恵、それを読み解き今の自分の身の丈に合わせる工夫がなくては、物事は廃れるのではないかと危惧してならない。

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# by katsumi-okuda | 2019-03-31 11:46

漸く…季節の変わり目

漸く…季節の変わり目

日に日に暖かくなっていくこの時節を体感しながら、過ごしておりますが、やはり、現代病なのでしょうか花粉などに煩わされております。
御同様の皆様、なにぶんご自愛のほど…。

高校生の頃!まだ花粉症などという言葉もなかった頃、春は決まって目が開かなくなるほど悩まされておりました。

ですが、大学生あたりから、どうしたことかピタっと治った経験があります。
定かではないのですが、激しい稽古鍛錬が、その一因だったのではないかと…勝手に思ったりしておりますが、さて、この歳になるとまた再発し始めてるのはまた、どうしてなのでしょう。

そんな中、春は、何かと多忙。
大会の残務処理も、少しは落ち着いたものの、まだ暫くは、かかりそう…。

お世話になった体育館に挨拶に行きがてら、気が早いかなと思ったのですが、来年の予約(?)をしてみたところ…決まりました!
来年の千葉県大会は3月28日(土)となりました!

何故こんな時期にと…確かに来年は、こんな地方にも、オリンピックの余波があります。
なので、早々に予約やら何やらが、動き出したとのこと。幸いでした!
もう少し遅かったら、場所取りが、出来なかったかもですね^_^

道場関係は、春を迎え、何かとこれまた忙しく準備に追われております。
また、現役は退いたのですが、未だ「塾関連」の仕事も、少なからず請け負っておりますので、これまた、呻吟として準備に追われております。

仕事が忙しくあることに越したことはないのですが、それに追いつくカラダが…。

新しい年号を迎え、また少しづつ鍛えなおさねばと…ただ、やはり無理は出来かねます(^^)
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# by katsumi-okuda | 2019-03-26 20:00

 瞬く間に…

 瞬く間に…

私ども主催の大会が、ありまして、はや一週間が過ぎようとしております。
…大会が終わり、何かと未だ片付かぬ残務処理に苛まれ、周りを見渡す余裕も…。

 一週間たつだけで、街の其処此処に春の訪れが、感じられるほどになっております。

本当に今回の大会は、開催前から何かと色々ありました…
無論それを言い訳にして良いはずもないのですが、こんなに色々なことが重なったのも珍しいと思いました。

結果、参加された選手の皆さんやご協力頂いた多くの方々にご迷惑をおかけすることになりましたこと、ここに深く深謝申し上げます。

ただ幸いなことに…
試合そのものは大変盛り上がりを見せ、それまで以上に皆さんのまとまりを感じさせてくれる、とても素晴らしい試合が、数多くありましたこと、嬉しく思います!

素晴らしい試合を繰り広げた選手の皆さん、そして参加ご協力頂いた付き添いの先生方、御父兄の皆様、本当にありがとうございました!

今回のことを踏まえ、より以上の大会になれるよう主催者として猛省研鑽して参りますので、これからも何卒よろしくお願い申し上げます!

 さて、本部席で多くの試合を観させて頂き感じたことが、あります。
特に子供達にとって大切なことなどは、それぞれの道場で稽古内で話していきますが…

身体の大小だけではない。
体重が重いから、身長が高いから、力が強いから…
それだけで勝てるほど試合は、単純ではないということを見せてもらった。

強いそして上手い選手達は、何が自分達と違うのか⁈
ただ、表面的なことだけを観て「真似」をするのではなく(例えば…あの選手はこんな稽古をしてるとか、あんなことはやってないだとか)
それらをもって何が今の自分に大切なのか、しっかりと「考える」ことを忘れないでもらいたいと感じた。

誰しも一朝一夕に強くなるわけもない。

強くなれるのは、そこまで数多くの挫折、失敗、負けを経験すること。
そして、それをただの経験にせず、自分の「糧」にすること。

今、弱くとも、それを次に活かし、また挑む姿勢がある限り、負けや失敗は、ない。
あるのは、貴重な体験と次の為の「方法」を見つける手立てとなる。

ただ そこで辞めてしまえば、それは本当の負けとなり、ただの後悔しか残らないことを知らねばならない。
試合や大会は、ただ勝った負けただけではなく、様々な人達の立ち振る舞いや多くの方々のやっていることを見るとても素晴らしい体験ができる貴重な時間なのだと、いつも改めて思わされます。

慌ただしい閉会の為、皆様に満足な挨拶もできませんでしたこと、お詫び申し上げます。
また次につながる大会となれるよう、これからも精進してまいります。
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# by katsumi-okuda | 2019-03-22 11:10

 新しい道のり…

 新しい道のり…

誰しも、そしていつまでも同じ道を共に歩いていきたいと願っている。
でも、卒業であったり転出であったりと…
出会い、そして、別れがある。

既に皆様の耳目にあがっていることと思いますが、同じ仲間でも、袂を分かち別の道へと向かう方々が、この春いらっしゃいました。

確かに「また分裂だ!何やってんだ!」と誹謗中傷する声も、なくはありません。

しかし私は、当事者であれば、あるほど、そのような粗暴な言葉を論う気にはなりません。
お互いがお互いを認めたからこそ、自分が今、出来ることの形とした成したこと。
そのことに関し私は、何の意見見解もありません…あるとすれば、少しばかり「残念」「寂しさ」はあるのですけれど…。

遠く昔…総裁の元から幾多の高弟の方々が、去りました。
そして、それは、今となってはフルコンタクト界の隆盛の元を築かれたことは周知の事実。

ましてや、時代錯誤的なものの考え方は、今はありません。選手達、特に未来ある子供達の行動は、制限されるべきではなく自由なのですから、それこそ、また「挑戦する場」が増えたくらいに考えてもらっても、私は構わないと思っております。

2月に齢を重ね、オモテから身を引きたかったのですが、そうもいかず、今少しこれからの成り行きを見守りたいと思っております。

何にせよ、そこに集う道場生そして大会試合に挑む者達のために、
今少し私も、尽力しなければと思うばかりです。

口ばかり喧しい輩は、無視しますが…
それ以上の憂いがあれば、話は別です…
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# by katsumi-okuda | 2019-03-05 20:06

2月3日関東大会に出向かせて頂きました!

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2月3日関東大会に出向かせて頂きました!
新津先生はじめ志優会関係者の皆々様、本当にご苦労様でした。
900名以上になる出場選手、そして関係者の規模たるや…次の月に小さな大会を開くだけで胃が痛くなるほどなのに…本当に感服するばかりでした。

そして、今回も、大会試合という場で多くを学ばせて頂きました。

無論誰もが、勝つ為にその場に立っている。
技量そして体力の差を毎回考えられる限りやってはいるが…
やはり手が届かない現実と向き合わされる。

しかし、緊張し、そして悔しさを感じることこそ人として大きな成長の一つではなかろうかと思う。緊張や不安は、それまでやったことが正しかったかという自問自答の表れでもあろう。
悔しさは、もう少しやれたのにああすればよかったという経験から滲み出る悔恨の呻き。

それらを経験した者とそうでないと者の差は大きい。
失敗や負けをそのままにすれば、ただの悔恨。
それらをこれからどう活かすか考え、そして、実行し続ければ大きな成長の糧となる。

今回、時節柄、流行病に罹患し完治はしたが、ふだんの動きが全く出来ていなかった者が、少なくなかった。
しかし、それも、含め臨むのが試合。
自分に都合のいいことばかりないのが現実と思い定め物事にあたる真摯さを私も含め改めて学んだ貴重なひと時でした。

# by katsumi-okuda | 2019-02-05 12:29