武道カラテ稽古日記

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今年もあと少し

日曜、師範代の車で同乗し水戸ひたちなかまで出向きました。水戸の道場の皆さんとの合同稽古と審査を行うために。

今年は、まだ温かい日差しの中那珂湊の市場周辺は渋滞(´・_・`)
少し遅れて集合場所の「ひたちなか市役所武道館」に到着。本部からイブが、参加してくれた(彼女も同伴^_^…稽古後、デートだそうで、何より(^-^)

夏の合宿で使っている場所ですが、やはり日陰のせいか道場内は、足元から寒さが忍び寄ってくるが、稽古を始めるとそれも気にならなくなった。

審査は、私たちと同年の方と磯前さんが指導してる教室から中学生。
ふだんどれだけやられているか、その真摯な稽古姿勢から伝わってくるものがある。

ふだんなかなか伝えられない事をお話しさせて頂きましたが、急ぎ足になってしまい申し訳なかったですね。

約二時間の稽古後、取って返して本部まで戻り、そこから私は、八木南の子供達の審査と稽古に臨みました。

いつも通りケント指導員の号令の下、稽古は始まっておりました。
少ないながらも、皆、真摯に稽古に臨んでくれていましたね。一年の稽古納めの意味合いもありましたが、皆大変良く出来ていました。

あと一週間で全ての稽古納めとなります。

審査や稽古中にも、話している事を書いておきますので、これからの指針の一つにしてください。

例えば、本屋さんに行って数学の参考書を探したとします。すると沢山の参考書が、あります。
なぜでしょうね?
本当に最高の指導書が、あるのならこの世に一冊しか存在しないはずですね。
ですが、そうはいきませんね。

教え方や学び方は、それこそ人の数だけあります。同じ事を学ぶにしても、自分に適したものを探さなければなりません。
そして、それを自分に合わせられるよう勉強を重ねていかなければなりませんね。

これは何も勉強に限った事ではありません。
そして、それを自分のモノにする為に「必要なモノ」がある事を忘れてはなりません。

それは、「基礎学力」であり「基礎体力」なのです。折角、自分に適した数学の参考書や指導を受けたとしても「基礎学力」が、なければ、本当にモノにする事は難しいと言えましょう。
つまり、計算や語句をしっかり身につけてなければ、それらを応用する事は、難しい、例え出来たとしても、出来るまでに時間がかかったり、回り道をしたりすることになりますね。

私たちのカラテも、同じです。
「技は力の中にあり」とは、創始者の言葉です。
まずは、相手に負けないだけの基礎体力なくして技も何もありませんね。

自身に沿った体力の維持強化は、忘れるべきではありません。確かに体力がなくても、勝てる選手も、いないではありません。ですが、それが万人に適していることかと言えば、そうではないはずです。

勉強法にしても、同じ勉強法のように見えて決して皆同じではないのですね。
その人が、抱えている条件や資質によってやり方は、大きく異なるのが、普通です。

ですから私は、優れたやり方(勉強法やトレーニング法)を学ぶ事はしますが、そのままでは決してやりません。いや、出来ないです^_^…
そのやり方を自分に適したカタチにして応用することにしています。
無論、人に教えるのなら、尚更ですね。

技に走るという言葉が、武道には戒めとしてあります。鍛錬を重ね精進することを諭した金言なのですが、どんな事でも、やはり「王道」はあるものです…日々の積み重ねという「王道」が。


同じ年代、身長、体重の相手に負けないだけの基礎体力(筋力、スタミナ、打たれ強さ)なくして、やはり先は語れません。

それらを身につけ、と同時に「自負心」と「強い意志」を身に纏うこと。
そしてまた、日々の生活や稽古の中で纏わりつく「情念」までも自身の「チカラ」に変えていかねばならないのです。

みんなが、遊んでる時になんで自分だけこんなことを…と悩んだり苛まれたりするキモチさえも自分のチカラに変えていくことが大事なのです。
難しいことかも、しれませんが、気持ちを強くしていくとか、相手に絶対負けない、今までの自分に負けないという思いは、そんな、ふだんの思いから成り立っていることを忘れてはなりません。

私は、弱い人間です。
弱いから稽古や鍛錬に没頭しているのです。
歳を重ねる強さと弱さを知り、余計に稽古の質を高めたいと願い、道場生な皆さんと共に稽古しているに過ぎないのです。

基本や型の中から自身の体の使い方を学び、この齢に適したカタチを日々模索する。
その為に「鍛錬」は、欠かせるはずもないのです。出来ることは、徐々に限られていくでしょうが、それでも、私は日々の生活そして稽古に臨みたいと思っております。

人一倍、例えば、腕が強かったら、突きが強かったら…例えば、蹴りが強かったら…途轍もなくスタミナがあったら…打たれ強かったら…

そう夢想し、それを本当に自身の目標にし実行してみたら…その過程において、少しは今の強さと違う何かを感ずるかもしれませんね。

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# by katsumi-okuda | 2015-12-21 15:27

全日本ジュニアチャンピオンシップ…名古屋にて

29日、日曜、名古屋にて「全日本ジュニアチャンピオンシップ」が開催された。

当日、朝一で名古屋入りし午前中から夕方まで各階級の熱戦が繰り広げられた。

私も審判として勤めさせて頂いたが、毎度この大会には、驚かされる事ばかり。

各コートで一回戦が、行われたがどの選手達も皆、各大会の上位入賞者ばかり、つまり、一回戦から各大会の決勝戦の様相。

殆ど優劣のつきにくい好勝負が、繰り広げられる。その中で勝ちをものにしていくことの難しさたるや…。

私たち審判も、いつも以上に真剣な判定を心がけていたことは、言うまでもない。

ただ、実力が拮抗しているだけに「接近戦」や「縺れ合い」も多く見受けられた。
この大会、上位同士ということもあり「ヘッドギア」の装着は任意。その殆どが、つけていない。
ために「頭が当たる」「バッティング」が…。
また、相手を押し込もうとして突きが、首元に当たることが、多くなる。

そのこと自体、仕方ないことなのだが、それら「反則」を殊更「アピール」するしぐさや表情をする選手が、見受けられた。

勝ちたい意識が、強くなり過ぎるとどうしても、技量以外のことでも、気を回してしまう者が、いたのは、あまりいただけない。

折角、これだけの技量を持っているのだから、もう少し戦い方なり勝ち方なりを工夫することが、大事ではないかと感じてしまったのも事実。

それでも、その技量の高さと意識の高さは並ではない。どうすれば、あそこまで出来るようになるものなのかと考えてしまう。
ただ単に本人達の持って生まれた資質なのか、それとも多くの経験が生むものなのか…

どちらにしても、一度このような大会を子供達みんなに見てもらいたい。
いや、出来ることなら選手としてこの大舞台の上で活躍してもらいたいと切に思った。

やるからには「高見」を目指し、たとえ困難な頂きであろうが、目指してもらいたい。
そのことが、必ず本人達の貴重な経験となり、その人となりを作り上げる。

一口には言えないが、体力も技量も同じなら、あとは「意識」「気力」そして、日々の辛い稽古と日常を積み重ねてきた「情念」の高さなのかもしれない。

どちらにしても、毎回考えさせられる大会であることに違いはない。

このような大きな大会を運営された長谷川道場の皆様には本当にご苦労様でしたと申し上げます。また、このような機会を与えて頂いたこと本当にありがとうございました。

次の日、昇段審査会が、あったのですが…
私も同席したかったのですが、私用にてどうしても出席することが、叶わず、この場を持ってお詫び申し上げます。



# by katsumi-okuda | 2015-12-01 16:52

橋本道場昇段審査会

11月23日、祝日の日午後から橋本道場での昇段審査会に立ち会わせて頂いた。

私の所から小一時間、車を走らせ岩槻文化公園内
少し寒くなってきたそぼ降る秋雨の中、会場に着く。
体育館の二階に上がると殆どの道場生と門馬師範、橋本先生らがおられた。

午後2時過ぎから昇段審査会が、始まった。

事前に基本などは、終えていたため型と補強そして、10人連続組手と粛々とすすめられた。

流石にこの日を迎える為に二人の受審者は、身体も作ってきたようだが、やはり、緊張は隠せない。私をはじめ師範、先生らの眼の前でやるのだから仕方がないが…。

組手の相手として私の道場から七人門馬道場から四人釘島道場から四人その他も多勢集まっていたため、それだけでも緊張感は…。

受審者のお二人とも、その姿勢からとても真摯で真面目さを感じられた。
それだけに、これからが勝負ではないだろうかと感じてならなかった。

審査を通れば、それでいいというものではない。

道場生、すべての手本となるべく自身の稽古は無論のこと、後進の指導、生活全般に於いて心していかねばならない。

審査を終え、ホッとしていいのは、正直その日だけだと私は思っています。

これからお二人には、益々の精進を重ねて頂きたいと願います。

その後、橋本先生のお招きで瀟洒なレストランでの食事会。いつもながら楽しいひと時でしたね。

機会を設け、また皆さんと共に稽古をしたいと思います^_^
…ちなみにウチの道場生達も、ケント指導員以外いつも通りの組手とはならなかった…
これもまた皆にとって良い経験だったようです。

ここの所、何かと思う所や、やる事が多く…
ともかく来年の千葉県大会に向け、先ずは進めなければなりません。
私も、益々精進せねばなりませぬ。
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# by katsumi-okuda | 2015-11-23 21:55

黒帯とは…続けるとは

書いているようで書いてなかった項目ですね。

黒帯とは、一定期間の修行の後、師に允許してもらった者が、締める帯であり、そこが終着では無く、何ものにも染まることの無い「黒」からまた始めよ、何ものにも揺るがない者という具象具現化したものであるとされます。

確かに武道の場合、修行の長短はあれ「黒帯」は修行する者にとって一つの憧れであり目標でもありましょう。

ですが、当然そこで終わりではありません。
人それぞれですが、そこから、何を学び何を自身の生活全般に活かしていくかが、大事。

私たちの世界では、その競技特性のせいか、黒帯をとると、途端に稽古をしなくなる、やらなくなる傾向が一時ありました。
ですが、時代が変わり、そこからまた稽古に励まれる方々が、多くなったことは喜ばしい限りです。
ただ、どうしても、仕事の都合や体調面などでそこで「一区切り」つけてしまうことも、少なくありませんし、それもまた、仕方ないことと思います。

ですが、折角習い覚えたことなのですから、例えば、道場に来られなくともご自身の健康のために習い覚えたことをふだんの生活に活かした頂きたいと願っております。

武道は、スポーツとは違います。
体力がなくなったから、出来ないとか止めるというものではありません。

例え、道場という場から離れたとしても心の持ちようで成すことが出来るものだと思っております。武道としての考え方や行動そしてその感性は、ふだんの生活に活かしてこそなのですから。

これから昇段される方々、そして、黒帯の皆さんは、今一度、他の道場生以上にそのことを考えて頂きたいと願っております。
私も、齢老年の域に差し掛かっております。
出来ることも、少しずつ限られてくるものだと日々実感しております。
ですが、例え自身の身体が動かなくなっても、後に続く者に、何某かを伝えられることが、あるのなら、そうしていくことが武道を志した者の務めだと思っております。

人は人です。
誰かと比べて、成すこともありましょう。
ですが、日々の稽古を鑑み、思い巡らすのは、他の誰でもありません。
自分自身なのですから。

昨日の自分を省みて、また今日に努める。
そこに他者との比較は存在しないのです。

老若男女、すべての人たちに武道とは、あるべきもの。特定の人や年代だけが、出来る、そんなものは、武道とは、違うということを忘れてはなりません。

歳を重ね、若い人たちと比べ、自身を何気に卑下する方々が、いらっしゃいます。
自戒を込めて思うことは、悪くはありません。
ですが、それをもって、諦めたり止めてしまわれないようにしてください。

歳を重ねなければ、わからないことも、沢山あるのですから。

歳を重ねたからこそ出来ることもあるのです。
それが、武道というものです。

年末年始、彼方此方で昇段審査会が、ありますので…その前に述べておきました。
受審される皆さん、そして、既に黒帯の皆さん、今一度熟考しことに当たってください。
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# by katsumi-okuda | 2015-11-04 15:04

あらためて指導する者とは

昔は、たまに勘違いをする者もいた。
「黒帯になれば指導者になれる」と。

確かに私たちの世界で「黒帯」になるのは大変でした。それこそ冗談抜きで1000人入門してそのうち「黒帯」になれる者は、一桁でした。

過酷な稽古と鍛錬の日々を費やし、やっと手にした「黒帯」の重さは…。
何故それほどまでに過酷であったのか?
それは、私たちの競技特性である直接打撃性であるからと言われておりました。
実戦に見合うだけの体力が、あり、誰とも見劣りのしない実戦性を備えていなければならなかったため。
無論、技も然り。
どんなに激しい打突の最中にあっても、正しい技が、出せなければ意味ない。
そのため、多くの時間を費やし体力と技を練らなければならなかった。

だからと言って今の私たちの「昇段審査」や「黒帯」が、昔に比べてヤワだとは言ってない。
いやある意味昔より厳しさを増していることもあるのだから。

さて、そんな過酷な稽古と鍛錬を過ごし晴れて「黒帯」になれた者は、道場の中で下の者にとって羨望、憧憬に価する存在となる。

しかし、強さと指導は、当然別物である。
なのに昔から何かの勘違いか古い因習なのか「黒帯は指導者になれる」という間違えた概念が、ある。そして、それを許してしまう環境や状況が、道場には、ある。

確かに「先輩」が後輩の面倒を見る。指導することは、少なくないし、それも当然の風景。
しかし、指導者は、それとは「別物」であると思わなければならない。

指導者とは、教えている道場生の「すべて」を熟考し、一人ゞに見合う指導を心がけることが、当然であり、またそれなりの責務が、指導者には、ある。
そしてまた、自らが手本規範を示せるよう、それまで以上に他の道場生と共に稽古鍛錬をしなければならない。

私は、長く「教えること」を生業としている。
ただ、それでも、毎度教え方に悩む。
どうすれば、もっと上手く強くしてあげることが出来るのか?
どうすれば、もっと意欲をもってやってもらえるのか?
この年代の人たちには、どんなやり方がいいだろうか?
教えたい伝えたいことは、山ほどある。
だが、その全てを伝えきれないもどかしさは、毎度ある。

だから、ほぼ一日中稽古と鍛錬そして指導のことを考えている。勿論道場を運営する者として考えなければならないことも、多々ある。
だから、余計に黒帯は指導者になれるという間違えた因習に戸惑いを隠せない。

道場という中で、子供達を始めとする多くの人たちの「すべて」を例え一時でも、お預かりしている。それも指導者としての「対価」を頂いてである。それだけに私は、教えること伝えることに手を抜いたり惰性に流されることを忌み嫌う。

たんに大会で勝てるだけの指導ならそれこそ少し器用な者なら出来るだろうし、そんな例もなくはない。
しかし私たち団体の師範、先生方にそんな人は皆無である。
私たちは、道場という場で「その人のすべて」を例え一時でも預かり少なからず影響を与えていることに矜持と大きな責任を実感している。

だから、その考え方やその人の行動力(教えてる道場生以上に稽古し鍛錬していること。それが出来なければ、それ以上に指導とは何かを絶えず熟考していること)が、あるのなら、極論、黒帯でなくとも指導者の列に並べるものだと私は、考えている。

また逆に黒帯をとり、ろくに稽古もせず、たまに道場に顔を出し先輩面する輩は、本当の黒帯ではないと私は、考えている。
そんな者は、ただの道場OB(?)だろうと昔から思っていた。
但し、私たちの道場にそんな輩は、いないし、いたとしたら私、いや他の黒帯が黙ってはいない…
上座に座り文句だけ言うのは、私の歳でさえ憚られるし、まだ私も、そんな気もさらさら無い。
…偉そうなことを言う前に先ず身体で示す。
これが、私達の不文律であり矜持である。


私の道場生、黒帯いや上級者の中には私以上に黙々と鍛錬に日々を費やし朴訥としながらも、稽古そして、指導にあたるものが幾人もいる。
その姿こそが、他の道場生の良き手本であり規範であり、それこそが、教える者伝える者の真の姿であると、いつも実感してやまない。

私の考える指導者とは、その姿そして、大袈裟に言えば「生き様」を通し「すべて」を伝えられる者だと実感している。

例え教え上手でなくてもいい。
言葉足らなくとも、構わない。
その真摯な姿こそが大事だ。

例え一人の道場生とだけ稽古しても、それは、何ら変わらない。いや、変えてはならない。
一人に伝わらないのであれば、多勢の者に伝わるはずもないのだから。
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# by katsumi-okuda | 2015-11-02 13:52

鍛え方、それぞれ

例えば、強くなるために、勉強ができるようになるために、それこそ色々な方法がある。

そのどれもが、正しいとも言えますね。
まるでそれは、民間療法のようでもあります。
ある人には、とても効果がある。
しかし、ある人には、全く効果がない…。
以前なら良かったことが、今では、ダメなことも多くあるなどです。

結局、やる人次第。
やる人が、効果があると思ってやることも大事ですし、色々な方法をさまざまに客観的に試してみる事が、大切です。

ただ、体験上あまり効果がないとわかるものもあります。それは、俗に言う「天才」と呼ばれる人たちのやり方や考え方です。
やはり、私たちが、少しずつしか理解できない、または、やれないことを、勿論努力の度合いもあるのですが、あっさりとモノにしてしまう人たちのやり方や考え方は、大変参考になるのですが、そのまま鵜呑みには、出来ないですね。

私のように凡人は、やはり額に汗し心身を苛め抜かなければ、わかるものもわからないと思っております。

技は力の中にありとは、創始者の有名な言葉です。技を考えるとき、また使えるようになるためには、やはり、動けるだけの身体がなければ、始まりません。

そして、何にせよ身体を鍛えていくことでしか理解できないこともあることを忘れてはならないと思っております。

自身の今おかれてる環境や条件に見合う適切な方法やり方を探す事。
それが、大事ですし、さまざまなことに試行錯誤を繰り返す探究心もまた大切だと思います。

私は、技に溺れる事なく出来るだけ今の自分に適した身体を作り上げ維持し、正しい形つまり技を目指したいと願い稽古に臨んでおります。

まだまだできない事の方が、多い。

だからまた、興味深いのかもしれませんね。

道場生の皆と何がいいか、アレコレない頭を絞りながらやれるだけ幸せです。

身体は、消耗品だと思っております。
そして、いかに使い切るかを考えております。
さて、行けるところまで、行きたいものです…
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# by katsumi-okuda | 2015-10-29 14:11

恒例「技術交流会」in 千葉県野田

初めは、親交ある師範、先生方と始めた「指導者と壮年部の為の親睦と技術交流をかねた集まり」
今回で確か…6回目⁈
だんだん内容とその陣容も、様変わりをしてきました。

10月24日の秋晴れの午後、福島から門馬道場、神奈川釘島道場、埼玉橋本道場、そして私達武颯会の面々、女子部からは長妻さん末石さん、撮影のために田村さん、一般部は、小森師範代、坂場水戸指導員、ケント指導員、島村指導員、西川さんそして、今回、私の地元で古くの道場生であり現在名古屋の長谷川道場に在籍なさってる壮年部小松さんが、特別参加して頂きました。
和やかにそれぞれに挨拶を交わし早々に道着に着替え初日の稽古開始!

今回は、門馬師範と事前に「やはり空手に携わってるのですから武器術の基本をやりましょう」と決めておりました。

初め門馬師範指導による「棒術」です。
棒術の基本、触りだけなのですが…慣れない参加者は、戸惑うばかりでしたが、懸命についていきました^_^…ちなみに棒術などの古伝にあたる講習は、本来写真など映像に残すことは、ご法度。
なので、その内容も、省かせて頂きますが、本当に良い勉強、学びになりました。ものを手に取ると、たちまち、それに囚われ動けなくなる自分にみんな一応に驚いていましたが、機会あればまたやりたいとの声が聞こえました。

約二時間ほど棒術に費やし、後半は私が「ヌンチャク」の基本をお伝えしました。
こちらは、まだある程度皆さん振り廻せますから和やかに学んで頂きました^_^

稽古後、レセプション。
今回は、あまり弾けたことは二次会以降にしようとウチの面々(特にサトケンサン達(^_^)に事前に申し伝えておきましたので、成田指導員による司会?で和やかに済ませました!

二次会は、会場をホテルの下階に移動し深夜まで歓談しました!サトケンさんとケントにひきづられ夜の柏に行ったメンバーも、おりました!ちなみに高校生達は、近くのコンビニへ行ったらしいですので健全に深夜を過ごしたようですのでご安心ください^_^


明けて25日、東京から志優会の新津師範に引率され6名の中高校生が参加。東京友心会から8名の少年部と引率の若手指導員の皆さんが参加。
私達武颯会からも、本部指導員、日下部、飯村、天野、椎橋兄弟と坂東支部から新井指導員、平井さん水戸から磯前指導員そして北柏少年部数名参加(あゆむ、とうや、けいしゅう、れん)中学生一人で参加したユウト!


稽古開始は、基本を少しの解説を加えながら私の指導で始め、後半は、少年部、中高校生選手、そして壮年、指導員加えて師範、先生方に分かれての組手稽古開始!

今回のテーマの一つは、「考えながらやる」ことであり、折角、さまざまな師範先生方から教わったことを今後の自分の稽古そして指導に活かせることでしたので、できる限り私は、声をかけ続けさせてもらいました。

この集まりに参加された若い人たちやこれからそれぞれの道場にこの事を持ち帰り指導することで、全日本や世界で活躍できる選手が、生まれる一つの機会にしたいと熱い組手の稽古最中、そんなことを思いました。

私は、今回主催者、世話役ということもあり積極的には、稽古に参加しませんでしたが、多くの道場生の皆さんとお話ができたり聞けたことが、何よりでした^_^

にしても、壮年部、師範、先生方も、熱い組手の稽古をやっておりましたが…それでこそ、私達の集まりの真骨頂だと思いました!
動けるやれる師範先生方が、いるからこそ、その教えにも、現実味が、あるというものです!

あっという間の一泊二日の交流会でした。

お昼に終わり、それぞれに挨拶を交わし皆、名残惜しそうに会場を後にされていきました。

何とか無事に終え私と小森師範代も会場を後にしました…少し風が強いですが…良い天気でした。
さて、学んだことを思い返しながら…
明日から道場生の皆さんに伝えましょうね^_^
…ちなみに棒術…覚えたかなぁ…
流石に…覚えが…
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# by katsumi-okuda | 2015-10-26 12:50

型のあり方、さまざま。

型の解釈は、さまざまです。

本当の意味は、それこそその型を創作した創始者しかわからないのでは、ないだろうかと思う。

だから、今現在に生きる私達は、そのおかれてる立場、条件に見合うことを前提に思考し実践していくことから始めることが、その理解を深めていく最良の手立てとなると考えています。

例えば、その年齢性別、身体的特徴、おかれてる立場(選手、中高年等)によってその解釈と実践は、自ずと変わる、いや、変えるべきだと考えます。

若く力のあるときは、そのようにやればいい。
力がなくなり早さにかけてきたら、より正しさを求めればいい。

最も大切なことは、何を考えてやるか?
今やっていることが、今の自分にどのように糧となるか?少し考えてみることも大事だと思います。何も考えず、ただ例えば審査の為だけの稽古にだけはしてはならないのです。
なぜなら、せっかくやってるのです。
それこそ勿体無いですね(^ ^)


今週末に私ども主催させて頂く「技術交流会」では、そのことについても、少しお話しし稽古に充てたいと思っておりますので、またその折の話を後日書かせて頂きます。
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# by katsumi-okuda | 2015-10-18 20:25

ふだんのチカラ

私達が、ふだん最も「運動」しているもの。
それは、以前お話ししたように「呼吸」です。
そしてまた「歩くこと」と「姿勢を正すこと」です。

ふだん運動する機会がとれないとか、稽古の時間が、あまりとれないという皆さんにお伝えしたいと思います。

1日のうち運動したり道場やスポーツクラブでやっている運動の時間は、さてどれくらいでしょう。せいぜい二時間やってればいいほうですね。
いや忙しい人なら一時間もできないかもしれません。

ということは、ふだん「何気ない時間」のほうが、圧倒的に多いということに自然気がつきます。ですから、そのに何気ない時間を有効に意識し使うことをお勧めします。


例えば私も、稽古には毎日出ていますが、その多くは指導です。ですから、若い頃のように1日何時間も稽古や鍛錬に時間を割くことは叶いません。
まして、年齢からも体力や筋力は、少なからず目減りしています。鍛えるにも限りというものは、当然あります。自然の摂理には、逆らえないということになりましょうか…

ですが、私は、まだ一般の選手たちや子供達と同等に動けます。
別に私が、特別だからではありません。どちらかというと、ふだん不摂生もしてますし^_^
体力筋力は、スポーツクラブで頑張っておられる同年齢の方々に劣るかもしれませんね。

では、何故、動けるのか⁈です。
それは、一つに今まで積み重ねてきた「経験則」「智慧」に他ならないのではと感じています。
限られた体力筋力をどのように使えば、いいのか?その時々に動かせているように感じております。
無論、ふだんの稽古の中にその要諦があることは確かです。
しかし、さらに言うなら、やはり「ふだんのチカラ」が、物を言ってるのではと感じております。

これは、私が提唱していることでもありますが、よく見回してみると古くから言われている「養生訓」や「武道武芸の嗜み」由来することが、多いのです。

ふだんから少し意識し身を確かにすること。
姿勢を正し、少し大股早足で歩く。
ふと気がついた時でも構わないから「深呼吸」をしてみる。出来れば、人と話す折、出来るだけ快活に明るく笑顔をもって行う。
どんなことにでも興味を持って試みる心を忘れないこと。

そう考えてみると大きな声を出して快活に早足で歩いてる人に病他人は、いませんね。
どんなことにも興味を抱き挑んでる人たちに「老人」の二文字はありえません。いや興味を失った挑むことを忘れれば、どんなに若かろうとそれは、老成衰退でしかないということをお忘れなく。

合わせて「健康」の為に言えば…
ちなみに健康でない強者は、ありえませんね。

年代に合わせ暴飲暴食を慎む。
筋力が、衰えるのと同じく体の中も確実に老いていることを忘れてはなりません。
身にそう量と適切な栄養をとること。
過度な飲食は、何方にも良いことはありません。

また、ふだんから充分な「水」をとることが肝要です。お医者さんの勧めでは「1日3リットルくらいは、取ったほうがいい」とのことです。
特に私のような年代のものは、あまり水を取らなくなる傾向がありますので。
水は、何でも構わないでしょう。
水は、最上のデトックス効果があるとも言います。女性なら早い人で3週間ほどで肌や健康効果が表れるそうです(何も私は怪しい通販を進めてるわけではないですので、あしからず)


そう言えば…思い出したのですが…
昨年、昇段審査をやり終えかかりつけのお医者さんにいったところ、こう言われました。
そして、それは、今でも実践しています。
「過度の疲労になったら、食べるより先ずは横になる。寝るのが1番だよ。摂るなら水分補給だけで充分だよ。あっでも、今回は、点滴じゃないと…」

現代も昔も、先ずは健康からなのです。

どんな兵法者であっても、まず動けなかったら何にも勝てないのですから。
私なりの「現代版武道意訳」でしたが、これからあちらこちらで、このような講演やセミナーをやらせて頂く予定ですので、皆さんも、機会ありましたら、ご連絡ください^_^
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# by katsumi-okuda | 2015-10-09 14:51

変わらないもの、変わるもの

考えてみると、自分の中にある「本質」「本音」は下手をすると十代の頃と大して変わってないのではないかと思うことがある。

良く様々な経験によって「変わった」ということを聴くが、本当は、多くのそのような経験や積み重ねてきた道徳心、理性によって何重にも守られているのではないかと思う。

何気なくふと出てくる弱気や不安は、ひょっとして若い頃の弱く腺病質なそして本能的な本来の自分なのではないかと…

しかし、それらが、全て悪いという訳ではない。
それらが、たまに表に出てくることによって今の自分に制御をかけたり、客観的に観たり思慮する助けになっていると感ずることがある。

そのため、時として物事の無謀さや無茶を控えたりするブレーキになっていると感ずる。

また時として、少しずつの負荷を自身にかけることによって今までに成しえなかった新たな感覚を身に纏うことが出来る。
私たちで言えば、少しずつ稽古にそして組手に慣れていく。痛みや不安、焦燥感に立ち向かうことが、少なからず出来るようになること。

それらを私達は、「自信」と呼んでいる。
自分を信じるとは、自身を客観的に観る理性である。そして、それらは、稽古ばかりではなく、ふだんの行い全てから築き上げられるもの。

つまり、弱い自分を真正面から認め、その上で多くの経験を積み重ね構築していくものだと考えております。

何重何層にも積み重ね積み上げられた「自信」、
そして、心の奥底にある「心根や本音」
それらを均等に意識するではなく感ずるとき、私達は、いつでも新たな「挑戦」が出来る。
そしてまた、新たな自分を感ずることが出来る。

これらを私達日本人は、謙虚、謙譲そして物事や相手に対しての尊敬の心として古から受け継いでいることを特に私達大人は、忘れてはならない。

その大切なことを私達が、実践し次に続く子供達に受け渡してあげなければならないのですから。

ですが、子供達に小難しい講釈は不要です。
子供達が、理解出来る言葉や行動で示すことが肝要ですね。
時には、私も声を荒げ注意叱責もします。
いつもゞ優しく穏やかでは、伝わるものも伝わりません。私達大人が、こんなに真剣なんだということを感じて欲しいと願い、そうしています。

ふだんの行い全てにおいて、どんなにつまらなく見えることであっても、いつも真剣に懸命に向き合う姿勢を稽古を通して伝えていきたい。
そうすることが、自分を本当に「強くする」要なのだと言うことを伝えたい。


「ふだん出来ないやれないものを何で試合や大切なテストで出せるの⁉︎出せるはずがない!ふだんから真剣にそして懸命にやって初めてやれるようになるやれるかもしれないという自信がつくんだよ!どんなことでも手を抜くんじゃないよ!
上手い下手や強い弱いは、関係ない。
真剣に懸命にやってるかどうが大事!

型の稽古やふだんの稽古は、それほど長いものではない。たったそれだけの事決められたことを守れないで、どうして他の難しい事が出来ると言えるのか?

何故、型をやるかって?
頭の中に正しい「回路」正しい「考え方」や「体の動かし方」を簡単に学ぶため。
他にも、いろんな理由はあるけど、まずみんなは、そう思いながらやってみよう。
自在に型が出来るようになれば、きっと他の運動も出来るし、頭も、もっと使えるようになるよ!
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# by katsumi-okuda | 2015-10-07 14:58