武道カラテ稽古日記

ブログトップ | ログイン

自らに問う

忙しさにかまけ中々書けないでいる。

あまり体調の芳しい方ではないが、今年に入って本当にあちこち「壊れかけて」る。

治し治しことに臨むようには、しているが、それなりに深考してしまう。

幸いなことにまだ道場生達と一緒に稽古できることに改めて細やかな幸せを感ずることもある。
時に子供達の喜怒哀楽に振り回されながらも、それが一番大切だとも感ずる。
これも、歳のせいや少し弱くなった身体のせいなのか…そんなことを思うと流石に少し脆弱な自分が、疎ましい。

「二十歳の人達のこれから20年と私達のこれから20年では、全然意味合いが違う。だから、できるだけ元気で楽しいことやそんな人達とお付き合いしたい」と。
私と同年代の道場生の方々とお話したときに出た内容。

私ももちろん、皆納得されてました。
当然ですね。
ある程度年を重ね社会的な役割も果たし終いのことを考える年代ですから。
出来る限りそんな要望に応えられる「場」と「時間」を提供する事を私の一つの目標としています。

それぞれの年代には、各々の役割や立ち位置があると常々感じている。
置かれている立ち位置に抗うわけではなく、健やかに立ち振る舞うことの大事さを実感しております。
a0026020_12293829.jpg

自らに問うこと。
その為に皆さんとの日々の稽古がある。
…夏の終わりの秋波の訪れに夜の稽古も、過ごしやすかろうと、何時しか思う。
# by katsumi-okuda | 2016-08-31 11:32

夏の物想い…まだまだ

猛暑の夏と極寒の冬の道場…
どっちが、いいか?

稽古終わり、戸を開け放ち外の空気を虫の声と共に入れ道場の板場に一時大の字になっていると、やはり夏がいいかなと勝手に思う。

以前にも書いたが、やはり、昔より今の方が夏場は、過ごしにくいのではと思う。

だから、稽古も決して無理せず、させずになってきた。子供達もだが、私達のような年長者も、注意が必要になってきたのは、致し方ない。

「先を見据えて、一年、三年、いや十年後の自分の為に」今の稽古、そして、生活がある。
それをこの酷暑の中実感もする。

…しかし、だからなのか、思うことがある。

何の為に、どうして続けているのかと問われることがある。
その返答に「まだわからないことがある。それを知りたくて、ここまで来たのに止めるのもどうかと思うから」などと言ってるが…

強ち間違いでもない。

武道歴だけで四半世紀をとうに越したのに、やればやるだけわからないことも出てくる。
それと同時に少しは、自分の体が知れるようにもなってきた。

六十過ぎたら武道は、面白いと先人の諸先生方は、仰られた。

確かに言えてるが…

さてさて、今年の夏も、どうにか無事に鍛えていけそうかなぁと一頻り思う。

この身体、これからも根を上げさせずにやらねば…

a0026020_07474307.jpg




# by katsumi-okuda | 2016-08-07 07:28

合宿後記…それぞれの意味

夏本番前に夏合宿が、終わりました。

毎年恒例ですので…大体の形は決まっているのですが、参加した人達、特に子供達の目的は、さまざまな「経験」にあります。

新しい型や組手の動きを学ぶことが、先ずは第一にあるでしょうが、それよりも大切なことがあります。

それは、親元を離れ、年の違うみんなと一緒に「生活」をするということです。
楽しいこともありますが、自分にとって嫌なことも、多々あります。それが、みんなと一緒に動かなくてはならない「団体行動」の一つなどが、そうです。また、我を抑え相手に寄り添うことも大切なことの一つです。

身内だけなら自分のワガママも、ある程度許されることも、他人と一緒の場合、中々そうもいきません。それを普段の生活の中で体験する。
それが、他人と寝食を共にする「合宿」の大きな「目的」だと私は、考えています。

ですから、少しの諍いなどは、当然あります。
それをどのように受け止め自身の中で消化していくか。それを学ぶことが、子供達にとってとても大切なことだと考えています。

ふだんの生活や考え方や感じ方、それらは必ず自身の全てに現れてくるものです。

ふだんから他人に「合わせられない」者が、どうして激しい組手の最中、相手に合わせることが、出来るでしょうか?出来るはずが、ありません。

相手のあることとは、何もカラテ、組手に限ったことではありませんが…
例えば、いつも力任せの組手だけで相手に勝てるほど競い合いとは、甘くありません。

相手の強弱や気持ち、心を読む。
つまりは、相手を「思い遣る」ということでも、ありましょう。

それを、ふだんの生活から学ぶこと以上に合宿などの特別な環境の中で体験そして学ぶことの大事さを感じてもらう。
それが、私たちの「合宿」の本来の意味なのです。多くを経験体験するとは、そういうことです。
どんなことでもそうですが、特に子供達にとって何事も全て「貴重な時間」であり「学び」なのです。
a0026020_20333334.jpg



# by katsumi-okuda | 2016-07-19 20:04

心を遣う。

私と師範代の付き合いは、旧い。

彼此、三十年以上…その間、お互い「ガチ」で組手をやったのは、それこそ数えるほどしかない。

今ほど確かに防具や稽古体制が!整っていなかったとはいえ、稀有である。
ただ、当初から「みんなに怪我をさせたくない」との考えから「当てない組手」「速さは試合並、チカラは五分以下」「相手に当たるかどうかの間合いの中で」等…様々な「組手の稽古体制」を模索していた。

そして、その相手が、いつも側にいた師範代であった。だから、いまでもそうだが、阿吽の呼吸の中で互いに技の精度を上げていることに勤しんでいたのである。

ただ、それだけを磨いた。
その結果、後から続く後輩(全日本に出ようという選手たち)に彼は、一切遅れをとることを知らない。いくら現代的なトレーニングやらスパーリングやらを彼等が、やっていても、である。

何がどう違うのか?

「相手に合わせる」
相手が、例え蛮勇をふるっても、それを諌める心の「しなやかさ」と「ゆとり」がなくてはならない。道場の中で出来ないことが、何故、実戦や試合で出来ようか?
否、決して出来るものではない。

相手が、子供なら女性なら、そして、一般の選手が相手なら…全て変えて当然。

なのに時として何故それに至らないのか?
「つい熱くなって…。難しいですねえ…」
などと言う者がいるが、ハッキリ言って失格である。難しいのは、ハナから分かりきってること。

例え、相手に反則である顔を殴られたとしてもである。顔を殴られるのは、単に「自分が未熟」なだけで自らのその未熟さを知らねばならない。

ルールだから、相手が反則を犯したから⁈
だから報復していいのか⁈
自分の未熟さや本能に負け、手足を振り回しているのなら、今すぐやめたほうがいい。
ふだんの稽古鍛錬で何も学んでないことになる。
相手が自分より格下なら尚のことである。

相手が10でくるなら精々三程度でかわせなくてどうすると強く言いたい。10でくるから10で返せば、相手は、それ以上になるかもしれない。
そんな「力比べ」に何の意味がある。

そんなことをやっていては永遠に「大きくて強い相手」に勝てるはずもない。
相手を制するに等しい体力、力量を日々備えること。そしてその上で相手を推し量る「ココロ」を養うことを常に意識し稽古鍛錬せねばならない。
特に上級者、指導に携わる者は、必須である。

何をするにせよ、頭を遣い、そして「ココロ」を遣うことを常に意識しなければ私たちのやっていることは、武の道にならないと強く思う。
a0026020_18242143.jpg




# by katsumi-okuda | 2016-07-10 07:44

頭を使うこと

「型をやるには、まず何も考えずに出来るまでやること。それが出来るようになったら、今度は、色々と考えて、そして感じながらやること。出来るようになったからと言って、気を抜いたり疎かにするようではいけない。」

子供の頃に言われたことを今でも、稽古の不文律としております。
そして、それを特に子供達に伝えております。

子供達は、大体どんなことでも特に興味があれば大人の何倍ものはやさで物事を習得していきます。型の手順だけ覚えて無邪気に喜んでいるのは、微笑ましいですが、それで良しとしてはいけないことを絶えず言い伝えております。

簡単に出来てしまったことは、存外簡単に忘れたり惰性で流され、やってしまいがちです。

自転車に乗れるようになるまで、あんなに苦労したのに乗れるようになり楽しくなっていくと注意が、散漫になり転んで怪我をしてしまう、そんなことは普段の生活の中で沢山あるものです。

ですから、いつも私は言います。
「これは何もカラテだけに限ることではない。この頭と身体で全部やってるんだから、どんなことでも、いつでも、そうしなければならない。」

何も考えずに言われたまま、やってるようでは決して、進化も成果も出るものではない。

何も考えず稽古鍛錬してるものに大きな深化変化は、見られない。
ただ言われるがまま、目の前にある物事をこなすだけで本当の強さも巧さも、うまれるものではない。

だから上級者、そして指導に携わる者は、例えば組手の稽古の時、相手のことを考えてやることが第一。相手の巧さ強さを引き出してあげられる「相手に合わせた組手」が出来なくてはならない。しかし、だからと言って、ただ軽くダラダラやったり、突っ立てるだけの組手の相手(特に子供達や女性、壮年の方々に対し)になっては、ならない。

子供の早さに合わせて、こちらもそれ以上に動く。女性や壮年の方々の間や柔らかさに添う。

稽古で様々なことに対応出来ない者に大成した者は、いない。稽古で出来ないことが試合や実戦で出来るはずが、ない。

頭を使うとは、そういうこと。
上級者や指導に携わる者は四六時中そのことに腐心しなくてはならない。
それが、出来ない者は上級者でも指導者でもないと常に私は、言う。

加えて自らが、道場生の規範であるなら道場生のそれをいつでも凌駕していなければならない。
決して口先ばかりの者に成り下がってはならない。
a0026020_20190662.jpg


# by katsumi-okuda | 2016-07-05 19:47

一言申し述べたい

「…まただ」
この時期(選挙)になると、何がしかの会合や集まりの折、その話になることが、ままある。

大抵、分別と常識を心得ておられる方々ならば、あまり明らさまな話は、しないしならない。

無論、個人の主義主張は当然あって然るべきだし、侵すことのない権利だとは承知している。
しかし、それも「場と自身の立場」を鑑みて貰いたいと常に思う。

例えば、そんな政治的なことに何の関係もない会合や楽しい集まりの折に酔歌の果てなのか何なのか、唐突にそれこそ「議論」を吹っかけられることが、ある。
大抵は、笑ってごまかすが、どうにもならない時や腹に据えかねた時は、相手を論破する。

例えば、私達のような市井の「指導者」「教育者」は、人に何がしかのことを伝えることを生業としている。
その為に私達の言動は、少なからず「影響」があることを常に意識しなければならない。
時に私は「私塾の先生」であり、時に「地方の一道場主」そして「武道団体の関係者」である。

その私の何気無い、それも「本業に関係のない」言動が、多くを揺るがしたりすることを厳に慎み意識しなければならないと考えている。

例えば、本業の「武道」「カラテ」のことに関してなら私は、夜を徹してでも話す。その理由の一つは、その普及であり研究研鑽であるからに他ならない。武道を志した者の心得は、四六時中そのことに腐心し探求して止まぬことと考えて久しい。

確かに個人として世の中の様々な事を思うことは、当然ある。
しかし、それを発信していい「場と常識」はなければならないと常に意識している。こんな私の意見でも、少なからず影響があるとしたら…いや誤解されたり誇張され正しく自身の考えていることが、伝わらなかったとしたら…こんな嫌なことはないし私の思う武の道では到底ない。

どんな人たちでも、社会人であれば一定の「立場」を有する。例えば、学校の先生、お医者さん、会社員の方々、農家の皆さん…
そのどれもが、一人で成り立つものではなく他者との交わりや「団体」としての意思の元活動をしているはずである。その枠組みにいる限り、その中の「流れ」を完全に無視することは、出来ない。

なのに団体としての「私」を忘れ、個人として発言したいから発言する「たった一人の我儘」から団体全体が、まるで世間からそうであるかのように見られてしまう危うさを私たちは、忘れてはならない。私たちが、まだ「若手」ならそれも許されよう。しかし、立場ある年代になったら、そうもいかない事を考えて然るべきではなかろうか。

あまり特に政治的なことは、述べたくはない。
何故なら、ここは私の武道、そして稽古鍛錬の日常や考えを書き留めるところだから。

歳のせいもあるが、そのような臭いのある「人達」が、いる所は、今後立ち寄らないし出向かない事を宣する。たとえ、それが重要な宴であろうが何であろうがである。
折角、楽しい集まりなのに、そして私を呼んでくれた主催者に申し訳がない…何故なら、私は、そんな方々が、正直疎ましく言動に出てしまう為に。
a0026020_07544894.jpg



# by katsumi-okuda | 2016-07-03 07:05

其々にある「目的」

このブログでも、かなり取り上げていることですが…

近年、少年部に限らず壮年、女子部の方々の勢いが、津々浦々盛り上がりを見えていますね。
そのこと自体、とても喜ばしいことです。

ですが、その試合特に壮年、女子(女性)の試合を見ているとつくづく考えてしまいます。
防具をつけて安全性に考慮した今の試合形式、悪いとは言いませんが、やはり当たり前ですが完璧では、ありません。

何故なら、その試合形式は元来少年部を想定して作られたものであり、様々な矛盾を抱え試行錯誤しながら、それこそ時代とともに成り立ってきたもの。(例えば、防具とは、本来、自分と相手を不用意に傷つけない為のもの「防ぐもの」の意味合いがあるにも、関わらず、それを付けながら相手を倒そうとする矛盾、不条理を抱えている)

試合や大会が、盛んになればなる程、そこに出てくる人達は、多くなる。
ですが、その多くは、やはり一般部のそれと同様に「体が大きい」「力が強い」「何がしかの経験など特徴のある」人達が、大部分を占める。

これらは、有り体に言えば、現状の試合形式に即した「勝てる選手」ということに他ならない。

残念ながら今の試合形式では、どう考えても普通の壮年の方々が、全員参加出来るモノとは言い難い。確かに体格に恵まれなくとも丹念な稽古鍛錬を重ねそこに至る方も、いないでは無いが、やはり、僅かではなかろうか。

私は私達のカラテが、「武道」として成り立つ為にこれまでの試合形式と並行して様々な試みを行う時期にきているものと考えている。
でなければ、せっかく道場に集って頂いた多くの壮年、そして女性、いや全ての道場生に申し訳が立たない。

道場に集う方々は、それこそ様々な目的で来られている。その様々な目的に応えられてこそ、これからの「武道」であり大袈裟に言えば、道場の存在意義でもあると考えている。

しかし、当然私達は「実戦の徒」である。
実戦を想定しない稽古鍛錬は、ありえない。
だからと言って、長くこの世界に入る者と、初めて間も無い同年の方のそれを比べても、意味は無い。要は、それぞれに即した稽古鍛錬の意味合いを努めて研究研鑽し伝えていかなければならないと考えている。

「何故この稽古が、大事なのか」
「どのようにこの形(型)が、使われているのか」
「それがどのように自分の身体にプラスになるのか」

私達、指導に関わるものは、目先のことにこだわることなく、様々な観点で稽古鍛錬そのものを見つめ、どう伝えていくか絶えず悩まなければならない。

理想は、七十になっても普通にこの稽古が、やれることである。
普通にとは、「若い者を相手に負けない組手」「相手をしてやれるカラテ」である。

綺麗事は、言わない。
歳がいけばいくほど、稽古鍛錬は、厳しくなる。
身体も自身を取り巻く環境も…

しかし、それでも今の稽古鍛錬は、必ず十年後に結果を出してくれる。
それは老いも若きも、同じ。
私は今の歳になって、強くそう感じている。

だからこそ、武道としてのカラテを模索し、まだまだ試行錯誤の毎日を過ごしている。
a0026020_14151045.jpg








# by katsumi-okuda | 2016-06-28 13:24

しばらく間が…

春早くに引越しをし、仕事の環境も大きく変わり、これまで以上に濃密な時間を過ごさねばならなくなり、ついと更新が、ままならなくなりました。

どうにか日々の時間配分も、少しずつではありますが、おさまってきておりますので、週一のペースでと思っておりますので…

さて、団体としては、この6月週末何処かしらで大会が催され出向しておりました。

元々、休みは無いのでのが日常的なのですが、流石に疲れが…。哀しいかなその体力が、落ちてきておりますね。
ただ、稽古に指導に動く分には今まで通りなので何とかやっております。

しばらく振りなので近況報告となりますが、ここ数カ月思考していたことも、ありますので、すぐにでも書き留めていきたいと思っております。
a0026020_19162328.jpg


# by katsumi-okuda | 2016-06-21 19:07

私見…型の捉え方色々

私たち所謂「直接打撃系空手」の世界が、ある地点から型の習得とその競技化に勤しむようになった。その経緯は、その場所、時間を過ごした者とそうでない者で様々な差異を生むこととなったのは、致し方ないところ…当時、そのことに本当に理解している者など果たしていたであろうか。

ともあれ時を経て様々な時代の要請と共に「型の習得と競技化」は、当然のように数多の団体そして道場へと伝播していった。
そして、そのこと自体、空手を武道足らしめるための一つの見直しとして喜ばしいことではあるのだが、当然、未だそれは、かけた時間の総量の少なさ、要は、かけた稽古研鑽の時間、歴史の少なさにより、未熟脆弱に過ぎない代物でしかないと言って過言ではなかろう。

仮に古くからある先人達の教えや秘匿の折り重なった「伝統的な型」を教え伝えていくなら、私たちは私達なりに研鑽しなければならない。少なくとも自分の弟子や競技として審判を務める者は、至極当然のように努めていなければならない。

ここで、いつも言われることなのだが…
「伝統派の型に比べれば…」「フルコンタクト空手なんだから型なんて…」と言われることが間々ある。厳につとめて言いたい。
まず、私の解釈、私見だが…伝統派の方々と比べるつもりは毛頭ない。伝統派の空手は、それだけで一つの世界を構築しているのだから、比べられる方が、迷惑だろう。例えて言えば、野球とソフトボールの違い。軟式と硬式テニスの違い。この世の中に「似て非なるものは」ゴマンとなる。
そして、それらを同じ土俵にあげて論ずる愚かさを知るべきではなかろうか?

どんな分野でも、学ぶべきものは、ある。
その中から真摯に学ぶことをしなければ、自身の成長も創造も成り立つわけがない。

良いものは、何でも取り入れる進取に富む気風は、私達の空手の本来の姿。
古くは回し蹴りを背足、スネで蹴ることを実践し後ろ回し、そして、かかと落とし、胴回転回し等、数え切れないほどの技をあらゆる世界から取り込んだ先達の創造性と実践力には、今にしても驚くことに違いない。
ならば、型の捉え方習得にあっても、もっと様々な見方や捉え方を私達、年長の者は研鑽しなければならないのではないか?

型とは元来、それを作り上げた先人の秘匿そして得意秘伝の技が、織り込まれていたと言われている。だから、本当に修得する為には多くの時間を費やするか、本当の師に出会い教えを乞う以外に道はなかった。

要は、口伝によってのみその真意は、それこそ僅かな者達にのみ伝承されたという。
よって型は、時代と共に本来の姿を変貌させ今に至ってしまったと巷間に言われる。

そして、その型の本来の姿は、乱暴に言えば「護身の為、弱者が強者に負けぬ為の技の集大成」に他ならない。つまり、それを稽古すればする程、競技としてのカラテから離れることをも意味すると言えなくはないだろうか?

それでも、先ほどの言ったように私達の空手は「創造」に重きを置いている以上、新しい解釈と本来の解釈を違えることなく研鑽することに大きな意味があると言えないだろうか。

私達は、実戦の徒であり、それは惑うことなく進化させていかねばならない。競技化がある以上、そこで成果が出なければ、どんなご大層な言であろうが、ただのお題目に成り下がってしまう。

勝たねば強くなければ、私達の空手の一つの存在価値さえ危ぶまれかねない。そしてまた、武道である以上、数多老若男女を問わずこれを稽古する者に等しく効果が、なければ、それこそやっている意味もありはしない。

故に私達年長の者は、その研鑽と研究を怠るべきでは決してない。次世代に残すべく私達のカラテを深化させていく為にも…。

私ごとで恐縮だが、一言述べさせて頂くなら…
齢六十を超え何故二十歳代の者達と伍して戦えるのか?確かに日々鍛錬の賜物と人は言うが、それほど簡単な話ではないことは、どなたでも察しがつくことでしょう。

私の身体、要は動きは、大袈裟に言えば全てカラテで出来ている。
基本や型の動きが、私の今を作り上げてくれている。どんなに打突を喰らおうとも、それを身体は、覚え反応してくれている。
私は今の私を作り上げた基本や型にいつも目を見開かされ、そして日々新たに悩み試行錯誤を繰り返しているに過ぎない。

型は、それをやる人の数だけ捉え方が、あって然るべきだとも思う。
どれが正しいなどと世迷言を言うつもりも毛頭ない。ただ、それを競技として私達の空手に落とし込むのなら、、それなりの覚悟と研鑽研究が、あって然るべきだと断言しておく。

型の普及の為に多くの時間を費やしてきた先人達のように私たちは私達なりに考え実践していかねばならない。
個々の解釈は、あって当然。
それを元に皆が頭を突き合わせ一つの基準を作り上げ明文化し、指導者もそして道場生も、それに専心することを望むばかりだ。

私達のカラテが、更にもう一つ上の回廊に進む為に。
# by katsumi-okuda | 2016-04-26 18:51

ひとしきり…忙中閑

まだ春浅く、花冷えの地元流山にて今年も、大会をやらせて頂きました。
さまざまな制約が、ありましたが、なんとか皆様のお陰をもちまして無事滞りなく終えることが出来、何時もながら、本当に皆様には、感謝の言葉しかありません。

遠方からご多忙な中、お越し頂きました長谷川範士始め各県師範、先生方。選手のみなさんと付き添いに来られました先生、ご父兄の皆様。
本当にありがとうございました。

また大会運営にご協力頂きました道場関係者と少年部ご父兄の皆様、本当にご苦労様でした。

つくづく、皆様のお力添いあればこそと思うばかりです…。

今年は、いつにもまして年明けから私用(引っ越し)と仕事が重なり、多忙を極めました。
そのせいか、大会運営に関し、より細かくやらなければならないと実感もしました。

実は、年明けから風邪を長引かせ大会前持病の「喘息」を再発させてしまい、少し焦っておりましたが…なんとか持ちこたえました。
なので…まだ本調子には、ほど遠い有様(;^_^A

ですが、子供達の頑張りや道場関係者の皆さんに本当に支えられながら、やれたのが実感でした。

大会当日、いくつか嬉しいことがありました。
以前、道場関係者だった女性が、お子さんを連れ訪ねてくれました。その女性は、現在アフリカ、ダカールに住まわれ現地の方と結ばれ仕事もこなしておられる人です。

久しぶりに会ってもなんら変わらない。
道場の女性部の方々と語らっている姿を見て、そして、ホントに可愛いお子さんを見て、とても嬉しく、遠方から訪ねてくれたこと、有難かったですね。
ちなみに今年から大学生となるウチの娘も、大会運営の何がしかの手伝いをさせるため同行させました。何も知らないのですが、皆さんのやられてることを見て、とても勉強になったと言ってましたので…これからも、皆さんよろしくお願いします(;^_^A…

そして、大会の最中、少し見ることが出来た少年部の頑張りに歳のせいか、いつになく感極まるものがありました。

それも、最年少、最軽量で背も高くない子達
今回が初めての「試合」をする子供たちや女の子たちの頑張りや後輩たちのために走り回る先輩少年部と高校生たち。
みんな、とても素晴らしかった!

一切相手に臆することなく戦いきってくれたその姿に様々なことを考えさせてもらいました。(細かい試合内容に関しては、個々に伝えておりますので…)

またこれから、そんなみんなに感謝する意味も込め、新たな年度に入っていきます!
少なからず期待してもらえる道場にしていくことが、先ずは先決!
新しい教室も新しい仲間も、増えています。
このままの勢いを保ち、少しづつ前に進んでまいります!
a0026020_19413085.jpg


# by katsumi-okuda | 2016-04-05 19:04