武道カラテ稽古日記

ブログトップ | ログイン

其々にある「目的」

このブログでも、かなり取り上げていることですが…

近年、少年部に限らず壮年、女子部の方々の勢いが、津々浦々盛り上がりを見えていますね。
そのこと自体、とても喜ばしいことです。

ですが、その試合特に壮年、女子(女性)の試合を見ているとつくづく考えてしまいます。
防具をつけて安全性に考慮した今の試合形式、悪いとは言いませんが、やはり当たり前ですが完璧では、ありません。

何故なら、その試合形式は元来少年部を想定して作られたものであり、様々な矛盾を抱え試行錯誤しながら、それこそ時代とともに成り立ってきたもの。(例えば、防具とは、本来、自分と相手を不用意に傷つけない為のもの「防ぐもの」の意味合いがあるにも、関わらず、それを付けながら相手を倒そうとする矛盾、不条理を抱えている)

試合や大会が、盛んになればなる程、そこに出てくる人達は、多くなる。
ですが、その多くは、やはり一般部のそれと同様に「体が大きい」「力が強い」「何がしかの経験など特徴のある」人達が、大部分を占める。

これらは、有り体に言えば、現状の試合形式に即した「勝てる選手」ということに他ならない。

残念ながら今の試合形式では、どう考えても普通の壮年の方々が、全員参加出来るモノとは言い難い。確かに体格に恵まれなくとも丹念な稽古鍛錬を重ねそこに至る方も、いないでは無いが、やはり、僅かではなかろうか。

私は私達のカラテが、「武道」として成り立つ為にこれまでの試合形式と並行して様々な試みを行う時期にきているものと考えている。
でなければ、せっかく道場に集って頂いた多くの壮年、そして女性、いや全ての道場生に申し訳が立たない。

道場に集う方々は、それこそ様々な目的で来られている。その様々な目的に応えられてこそ、これからの「武道」であり大袈裟に言えば、道場の存在意義でもあると考えている。

しかし、当然私達は「実戦の徒」である。
実戦を想定しない稽古鍛錬は、ありえない。
だからと言って、長くこの世界に入る者と、初めて間も無い同年の方のそれを比べても、意味は無い。要は、それぞれに即した稽古鍛錬の意味合いを努めて研究研鑽し伝えていかなければならないと考えている。

「何故この稽古が、大事なのか」
「どのようにこの形(型)が、使われているのか」
「それがどのように自分の身体にプラスになるのか」

私達、指導に関わるものは、目先のことにこだわることなく、様々な観点で稽古鍛錬そのものを見つめ、どう伝えていくか絶えず悩まなければならない。

理想は、七十になっても普通にこの稽古が、やれることである。
普通にとは、「若い者を相手に負けない組手」「相手をしてやれるカラテ」である。

綺麗事は、言わない。
歳がいけばいくほど、稽古鍛錬は、厳しくなる。
身体も自身を取り巻く環境も…

しかし、それでも今の稽古鍛錬は、必ず十年後に結果を出してくれる。
それは老いも若きも、同じ。
私は今の歳になって、強くそう感じている。

だからこそ、武道としてのカラテを模索し、まだまだ試行錯誤の毎日を過ごしている。
a0026020_14151045.jpg








# by katsumi-okuda | 2016-06-28 13:24

しばらく間が…

春早くに引越しをし、仕事の環境も大きく変わり、これまで以上に濃密な時間を過ごさねばならなくなり、ついと更新が、ままならなくなりました。

どうにか日々の時間配分も、少しずつではありますが、おさまってきておりますので、週一のペースでと思っておりますので…

さて、団体としては、この6月週末何処かしらで大会が催され出向しておりました。

元々、休みは無いのでのが日常的なのですが、流石に疲れが…。哀しいかなその体力が、落ちてきておりますね。
ただ、稽古に指導に動く分には今まで通りなので何とかやっております。

しばらく振りなので近況報告となりますが、ここ数カ月思考していたことも、ありますので、すぐにでも書き留めていきたいと思っております。
a0026020_19162328.jpg


# by katsumi-okuda | 2016-06-21 19:07

私見…型の捉え方色々

私たち所謂「直接打撃系空手」の世界が、ある地点から型の習得とその競技化に勤しむようになった。その経緯は、その場所、時間を過ごした者とそうでない者で様々な差異を生むこととなったのは、致し方ないところ…当時、そのことに本当に理解している者など果たしていたであろうか。

ともあれ時を経て様々な時代の要請と共に「型の習得と競技化」は、当然のように数多の団体そして道場へと伝播していった。
そして、そのこと自体、空手を武道足らしめるための一つの見直しとして喜ばしいことではあるのだが、当然、未だそれは、かけた時間の総量の少なさ、要は、かけた稽古研鑽の時間、歴史の少なさにより、未熟脆弱に過ぎない代物でしかないと言って過言ではなかろう。

仮に古くからある先人達の教えや秘匿の折り重なった「伝統的な型」を教え伝えていくなら、私たちは私達なりに研鑽しなければならない。少なくとも自分の弟子や競技として審判を務める者は、至極当然のように努めていなければならない。

ここで、いつも言われることなのだが…
「伝統派の型に比べれば…」「フルコンタクト空手なんだから型なんて…」と言われることが間々ある。厳につとめて言いたい。
まず、私の解釈、私見だが…伝統派の方々と比べるつもりは毛頭ない。伝統派の空手は、それだけで一つの世界を構築しているのだから、比べられる方が、迷惑だろう。例えて言えば、野球とソフトボールの違い。軟式と硬式テニスの違い。この世の中に「似て非なるものは」ゴマンとなる。
そして、それらを同じ土俵にあげて論ずる愚かさを知るべきではなかろうか?

どんな分野でも、学ぶべきものは、ある。
その中から真摯に学ぶことをしなければ、自身の成長も創造も成り立つわけがない。

良いものは、何でも取り入れる進取に富む気風は、私達の空手の本来の姿。
古くは回し蹴りを背足、スネで蹴ることを実践し後ろ回し、そして、かかと落とし、胴回転回し等、数え切れないほどの技をあらゆる世界から取り込んだ先達の創造性と実践力には、今にしても驚くことに違いない。
ならば、型の捉え方習得にあっても、もっと様々な見方や捉え方を私達、年長の者は研鑽しなければならないのではないか?

型とは元来、それを作り上げた先人の秘匿そして得意秘伝の技が、織り込まれていたと言われている。だから、本当に修得する為には多くの時間を費やするか、本当の師に出会い教えを乞う以外に道はなかった。

要は、口伝によってのみその真意は、それこそ僅かな者達にのみ伝承されたという。
よって型は、時代と共に本来の姿を変貌させ今に至ってしまったと巷間に言われる。

そして、その型の本来の姿は、乱暴に言えば「護身の為、弱者が強者に負けぬ為の技の集大成」に他ならない。つまり、それを稽古すればする程、競技としてのカラテから離れることをも意味すると言えなくはないだろうか?

それでも、先ほどの言ったように私達の空手は「創造」に重きを置いている以上、新しい解釈と本来の解釈を違えることなく研鑽することに大きな意味があると言えないだろうか。

私達は、実戦の徒であり、それは惑うことなく進化させていかねばならない。競技化がある以上、そこで成果が出なければ、どんなご大層な言であろうが、ただのお題目に成り下がってしまう。

勝たねば強くなければ、私達の空手の一つの存在価値さえ危ぶまれかねない。そしてまた、武道である以上、数多老若男女を問わずこれを稽古する者に等しく効果が、なければ、それこそやっている意味もありはしない。

故に私達年長の者は、その研鑽と研究を怠るべきでは決してない。次世代に残すべく私達のカラテを深化させていく為にも…。

私ごとで恐縮だが、一言述べさせて頂くなら…
齢六十を超え何故二十歳代の者達と伍して戦えるのか?確かに日々鍛錬の賜物と人は言うが、それほど簡単な話ではないことは、どなたでも察しがつくことでしょう。

私の身体、要は動きは、大袈裟に言えば全てカラテで出来ている。
基本や型の動きが、私の今を作り上げてくれている。どんなに打突を喰らおうとも、それを身体は、覚え反応してくれている。
私は今の私を作り上げた基本や型にいつも目を見開かされ、そして日々新たに悩み試行錯誤を繰り返しているに過ぎない。

型は、それをやる人の数だけ捉え方が、あって然るべきだとも思う。
どれが正しいなどと世迷言を言うつもりも毛頭ない。ただ、それを競技として私達の空手に落とし込むのなら、、それなりの覚悟と研鑽研究が、あって然るべきだと断言しておく。

型の普及の為に多くの時間を費やしてきた先人達のように私たちは私達なりに考え実践していかねばならない。
個々の解釈は、あって当然。
それを元に皆が頭を突き合わせ一つの基準を作り上げ明文化し、指導者もそして道場生も、それに専心することを望むばかりだ。

私達のカラテが、更にもう一つ上の回廊に進む為に。
# by katsumi-okuda | 2016-04-26 18:51

ひとしきり…忙中閑

まだ春浅く、花冷えの地元流山にて今年も、大会をやらせて頂きました。
さまざまな制約が、ありましたが、なんとか皆様のお陰をもちまして無事滞りなく終えることが出来、何時もながら、本当に皆様には、感謝の言葉しかありません。

遠方からご多忙な中、お越し頂きました長谷川範士始め各県師範、先生方。選手のみなさんと付き添いに来られました先生、ご父兄の皆様。
本当にありがとうございました。

また大会運営にご協力頂きました道場関係者と少年部ご父兄の皆様、本当にご苦労様でした。

つくづく、皆様のお力添いあればこそと思うばかりです…。

今年は、いつにもまして年明けから私用(引っ越し)と仕事が重なり、多忙を極めました。
そのせいか、大会運営に関し、より細かくやらなければならないと実感もしました。

実は、年明けから風邪を長引かせ大会前持病の「喘息」を再発させてしまい、少し焦っておりましたが…なんとか持ちこたえました。
なので…まだ本調子には、ほど遠い有様(;^_^A

ですが、子供達の頑張りや道場関係者の皆さんに本当に支えられながら、やれたのが実感でした。

大会当日、いくつか嬉しいことがありました。
以前、道場関係者だった女性が、お子さんを連れ訪ねてくれました。その女性は、現在アフリカ、ダカールに住まわれ現地の方と結ばれ仕事もこなしておられる人です。

久しぶりに会ってもなんら変わらない。
道場の女性部の方々と語らっている姿を見て、そして、ホントに可愛いお子さんを見て、とても嬉しく、遠方から訪ねてくれたこと、有難かったですね。
ちなみに今年から大学生となるウチの娘も、大会運営の何がしかの手伝いをさせるため同行させました。何も知らないのですが、皆さんのやられてることを見て、とても勉強になったと言ってましたので…これからも、皆さんよろしくお願いします(;^_^A…

そして、大会の最中、少し見ることが出来た少年部の頑張りに歳のせいか、いつになく感極まるものがありました。

それも、最年少、最軽量で背も高くない子達
今回が初めての「試合」をする子供たちや女の子たちの頑張りや後輩たちのために走り回る先輩少年部と高校生たち。
みんな、とても素晴らしかった!

一切相手に臆することなく戦いきってくれたその姿に様々なことを考えさせてもらいました。(細かい試合内容に関しては、個々に伝えておりますので…)

またこれから、そんなみんなに感謝する意味も込め、新たな年度に入っていきます!
少なからず期待してもらえる道場にしていくことが、先ずは先決!
新しい教室も新しい仲間も、増えています。
このままの勢いを保ち、少しづつ前に進んでまいります!
a0026020_19413085.jpg


# by katsumi-okuda | 2016-04-05 19:04

見えないところの稽古

怒濤の引っ越しからはや一週間…
未だダンボールが!部屋の其処此処に…

加えてその前からひいていたらしい「風邪」が、本格化し、ここ一週間仕事にならなかった(ーー;)

本部道場からの帰り道、まだ今までの癖で、いつもの道順をなぞってしまい(ーー;)
あまりのことに呆れてます。

でも、そんなことも言ってられません。
大会まであと一ヶ月!
途端に気忙しくなるものの、まだ確定してないことだられで、先が思いやられます(ーー;)

今、稽古でよく話することがあります。
「運動のほとんどが、見えないところをどれだけ出来るようにするかなんです。例えば、ボールを投げる時、ボールを持つ手を見て投げる人はいない。相手を突く時、突く拳を見てる者はいない。」
全ては、自分の身体の動きなどを頭の中でイメージして動かしているのです。
ですから、私たちの世界でも「型の稽古は、鏡を見ないでやれ」と言われたのも、頷けます。

先生や先輩の動きを見て「真似る」。
真剣に「真似る」ことが「学び」になることは、世のすべての習いだと思います。

ただ時に確認の為に「鏡を見る」こともありますが、そればかりではダメだということですね。

特に型の稽古や試合などは、自分で見れないのが、当たり前なのですから、普段から頭の中でイメージすることは、大切なことです。

子供達は、無論、大人も頭の中を整理するためにも、それは大切なことだと特にこの頃実感しておりますので、皆さんも、様々なことで意識されることをお勧め致します。
a0026020_13372729.jpg



# by katsumi-okuda | 2016-02-25 13:19

それぞれの意味…

…どうにか引越しが、終わりました。
といっても、まだまだダンボール戦記の最中(ーー;)流石に引越し屋さんは、プロです、怒涛のごとくあっという間に搬出、搬入(ちなみにウチは他の家の間取りから想像するより荷物が多く(その大半が書籍…)結果、新居と二往復することに。

まだ片付けられないでいますが、仕事は、待ってくれません。ただ嬉しい報せも入ってきてます!高校受験の道場生たちが、それぞれに合格の知らせを…ホントに良かったと思います。
これからますます学業そして稽古に頑張ってもらいたいと願うばかりです。

さて、新学年を控え話題にのぼることが、あります。それは「学校と塾予備校の役割の違い」それと「学校部活と道場の役割の違い」です。

学校では、学校でしか体験できないことを学びます。また塾予備校では、進学受験の為のスキルを磨くためという目的があり、双方とも、それぞれの目的が、あるものです。

同じように学校の部活とまた私達のような市井の道場でも、その役割は、時として異なります。
学校では学校という集団団体の元に同じ年代の者達と正しい団結力や協調性、競争心を養うことが、出来ます。

道場では、それぞれに異なる年代の道場生達の中で一つの社会としての成り立ち方や接し方を肌で学ぶことが、出来ます。
また、私達の競技特性から「一人で対応する」ことを稽古や試合そして大きな「大会」で学びます。自分と親以上に年の離れた道場生達が、自分の試合のためにサポートしてくれる。そのことに大きな感謝をもって事に当たることを学ぶ。
また、そのために自分の両親のサポートも、いつも以上に感じられるものです。

親や周りの大人達の姿を間近で見られるのが、道場での一つのあり方だと思っています。

親や周りの大人が、サポートで汗している背中から無言の教育と限りない慈愛を道場生達は、肌で実感することが出来る唯一の「場」だと私は、考えております。

ですから大会や試合で頑張った子供達に勝っても負けても、良く頑張ったと心から褒め称えられる唯一の存在は、親御さん以外にいない。
そして、それらから真の「思い遣り」を学べるものだと実感しております。

さまざまな「体験」…学校での部活や学業。
そして、道場での日々の稽古と試合。

大変でないわけが、ない。

ただ、それを正しく理解し自身を管理し、全てを自分のものにしていける度量を子供達は、持っているものなのです。

多くの道場生の中で、学業と道場の両方で頑張った者達の多くは、遠からず大きく成長している事実が、あちこちの道場から聴こえてくる。

後押しをしてあげられるのは、やはり親御さん以外にいないのです。
新しい学年になり、そのことを先ず皆さんで考えていきたいと願うばかりです。
a0026020_15001841.jpg



# by katsumi-okuda | 2016-02-18 14:22

すべてが糧に

今年も、私どもの大会が近づいて参りました。

そして、初めて大会試合に臨む子供達も、多くいます。初めてのことであり、何がどうなるのか、全くわからないことだらけだと思います。

というより幼い子供達は、大会試合が、どういうものか、まだわからないと思います。
ですから、余計な緊張感や不安感は、今はまだあまりないと思います。

何が何だかわからないうちに多分、終わることでしょう。

大勢の人たちが、いる中で試合をする。

初めて会った相手と闘う。

相手の打突に戸惑いながら、負けたくないという本能と負けてしまうのではないかという不安が、小さな心の中を行き来する。

痛さと疲れの中で、それは、あっという間に終わる。

そのあとに残るのは、歓喜でしょうか。
それとも悔恨と悔しさの涙でしょうか。

試合そのものは、本当にあっという間に終わってしまうものです。

たった一人で物事に立ち向かう。
幼い子供達にとってこれからの貴重な経験となることでしょう。
楽しいことをやるのなら、ほっといても誰でもやるでしょう。ですが、つらく厳しいことには、中々一歩が踏み出せないものです。ましてや、子供達なら尚のことだと思います。
そんな中、子供達の背中を押し支えてあげられるのが親であり周りの大人たちです。

厳しく辛いことに耐えてきたなら、それだけで褒め称えてあげましょう。

そして、この厳しく辛いことに何故向かわなければならないか教え伝えて参りたいと思います。

いつも、様々な大会を見ていてそう強く思います。初めから強い選手は、そういません。
負けて悔しい。
だから、もっと稽古して次に頑張るんだと強く思い日々の稽古そして生活に挑める人たちこそが、本当に「強い人たち」になれると私は確信しています。
そんな選手皆さんが、納得して頂ける試合そして大会をやらなければならないと今は、ヒシヒシと感じております。
a0026020_11320858.jpg



# by katsumi-okuda | 2016-01-31 22:58

言葉のチカラ

私は子供の頃、今からは想像もつかないほど病弱でした。小学校は半分も通ってないほどでした。

加えて末っ子で母親が過保護だったせいもあり、運動らしい運動、子供らしい遊びをあまりやりませんでした。

ですから、中学に上がるまで当然運動と名のつくものは、あまり出来ませんでした。

ただ、性格なのか何なのか自分の中で出来ないとかやれないとは、一度も思ったことがありませんでした。単にやり慣れてないから出来ないだけだから、いずれ出来るようになると何故か変な確信が、ありました。

病弱だったせいもあり、必然的に家の中で過ごすことが多くなり、一人漫画を読んだり描くことが、多くなっていました。
そして、そのことを私の両親はなにも咎めるどころか、いつも賞賛してくれました。
親なのだから当然なんでしょうけど、そんな両親や兄弟の温かい応援を受け、一頃、本気で絵で身を耐えようかと思っていた時期もありました。


人は、どんな形にせよ長所と短所を持ち合わせています。
ただ、それを幼い時、周りから長所を伸ばすよう仕向けられたとしたら、必ず良い結果を生むものだと私は、思っております。

私たちの世界に限らず、勉強、運動そして競技において、例えば、身体的な優位さは、当然あるものです。

ですが、その身体的な優位さをも跳ね除けてしまう程のチカラが、私たちには、あると思っています。それは、想うチカラです。

そして、それは、幼い時、周りの大人特に両親からの応援が、とても大きいと思います。
親は、子供の最大の理解者であり最高の応援団なのです。
子供達は、特に感受性が高い。
ですから、子供に対し決して否定的な言葉は、使うべきではないと思っております。

例えば、身体が、小さい大きいことを否定的に言うことは、決してするべきではない。

例えば、身体の大きな子は、往々にしてとても優しい。身体の小さな子は、負けん気が、強い。
一つのことに没頭出来る子は、好きなことへの集中力が、とても高い。

運動神経が、ない(そもそも運動神経なんてないですが…)なんて、言うべきではありませんね。
単にやってないだけだし、そのことに慣れてないだけ。他の人たちより時間がかかったって、絶対出来るようになる事をまず教え、そして、一緒にやるべきなのです。

器用にすぐ出来てしまう子は、時として、飽き易い。なかなか出来ない子は、その分時間をかけてやり込むことが、時としてあります。

私は、いつも言います。
どんな些細なことでも、慣れて気を抜くヤツに成功した試しがない。
不器用でも、どんなことでも一生懸命やり続けるヤツには、絶対かなわないと。

だから、いつも、一生懸命取り組んでいる子を賞賛します。どんなに強くて巧かろうと気を抜く者は、誰彼なく厳しく叱責します。

言葉のチカラは、とても大きい。

自信を無くしかけ自分の劣等感に暗示をかけられている子供達には、その呪縛が、解けるまで、良い暗示が、そして、かかるまで私たち大人は、言葉をかけ続けなければならない。
私は、強くそう思う。

少なくとも否定的な言葉は、使わない。
いや、決して使ってはならない。

どーせ無理とか、やっても無駄だとか…

どこの誰が、そんな事を決めた⁇

やるのは自分でしかない。
やってもいない他人に言われたかない。

私はいつの頃からか、いや、両親のお蔭で否定的な言葉や考え方を持たないようになったのではないだろうかと今にして思っております。

子供達の未来は、無限です。

そして、それを推し進めてあげられるのは、他ならぬご両親であり、そばにいる私たち大人なのです。
ですから、私たち大人も、その手本としてどんなことでも立ち向かう背中を見せなければなりませんね…たとえやせ我慢でも^_^
a0026020_22223368.jpg



# by katsumi-okuda | 2016-01-23 21:34

挑むということ、続けるということ

春になると何かと慌ただしくなるのは、何も私だけではない。

道場生の中でも、ご父兄の転勤や進学などで道場を後にするものが、少なくない。
と同時に新しい道場生も、増えているが…。

ただ中には、何の理由か、わからない退会もある。特に大会などが、近づくと…。

大会や試合に出たくない。
ただそれだけの理由で来なくなったり、やめてしまうのは、どうなんだろうかと思う。

私たちの武道に限らず特に子供達の習い事は、まずある一定期間「続けること」そして、機会あれば「挑むこと」にあると考えている。

子供達は、何かあれば、興味を無くし、すぐに辞めようとする。そんな意見を尊重(?)してすぐに辞めてしまうことに同意するのは、如何なものかと、いつも思う。

道場にせよ習い事にせよ、また学校の部活にせよ、何故あるのか、今一度考えて頂きたいと願うばかりだ。

どんなことでも、楽しいことばかり嬉しいことばかりではない。時に辛く厳しいことの方が、世の中は、多いと感ずるものである。

そんな時、続けることや挑むことで得られた貴重な体験を元に人は、立ち向かい立ち上がることが出来ると私達は、経験則で知っている。

そしてそのことを年若いうちに知ることは、とても貴重なことだと私たちは、知っている。
でなければ、学校の部活も私達の武道や世に言う習い事は、全く用のないものになってしまうのではなかろうか?

少なくとも、例えば、一定期間始めたことは、やり通すことを身をもって知ってもらいたい。

これからのより良い道を歩む為に…。

…たった一人で試合場に立つ。

その緊張感、不安、焦燥…そして期待。

それらを全て自身の手でコントロールする途轍もなく難解な事に「挑む」

勝ち負けは別にしても、そこで得られた経験は、やはり、団体競技とはまた違う重さが、ある。

経験したことでしか人は、語れない。

経験したからこそ次が、見えてくる。

年若い道場生たち、

私の後の10年と君たちの後の10年は、違う。

今こそ、様々な経験を自ら歩んでもらいたい。
a0026020_15490978.jpg


# by katsumi-okuda | 2016-01-14 15:16

謹賀新年…明けましておめでとうございます。

a0026020_12162354.jpg

本年も、昨年同様よろしくお願い申し上げます!

今年は、私事ながら…
2月に引越しします(妻の実家で新たに二世帯同居)ので、今から気忙しいです。

今日から3月26日の千葉県大会に向けて本格的な準備にも、取り掛かります!

同じく2月は、関東大会と審査会。
続く3月26日には、私ども「千葉県大会」
4月以降も、大会は続きます。
加えて秋には「世界大会」

何やら今年は…

兎も角、皆様にとって何よりより良い年でありますようお祈りし、私も、益々の修養精進をさせて頂きますので…(^∇^)

さて、今日から仕事始め…
いや「稽古初め」です‼︎


# by katsumi-okuda | 2016-01-04 12:02