武道カラテ稽古日記

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信じる力

ご存知の方がいるかと思いますが、5月27日栃木の鈴木稔先生が、仕事先の福岡で突然倒れられた。心停止5分以上、一時本当に生死の境を彷徨われたが、奇跡的に回復されたとの一報を知った。

ご自身のFBで書かれておられたが、心臓が止まっていた中で枕元で必死で呼びかけられたお仲間達の声が、聞こえたと…
そして、それに応えるように必ず戻るからとご自身も思われ、そして、その通り何の後遺症もなく復活されたと…本当に驚き以外の何物でもないと同時に思うことが、沢山あった。

この齢になると友達や知人の訃報に接することが少なくない。
そんな中、本当に奇跡的としか言いようの無い復活を知り、人の強さと信ずる力の強さを改めて感じさせられた。
そして、本当にいざという時、何をどうすべきか整えておかねばとも強く思いました。

何にせよ快癒を願い、暫くはゆっくりと養生して頂きたいと願うばかりです。

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# by katsumi-okuda | 2017-06-04 17:33

心のチカラ

先週、名古屋まで審判に行ってまいりました。

毎度思うことですが…

関西の特に子供達は「強い」ですね。

確かに技も身体の使い方も、試合の数をこなしているだけのことは、あるのかなと思ったりもしましたが…

何にせよ「気持ちが強い」ですね。

負けたくない勝ちたいという気持ちを自然に体現しているところは、率直に凄いと感じます。

審判をやりながらも、そんなことを感じてしまいました。

ただ、関西のやり方なのでしょうが、ヘッドギアをつける子供が、少ない。
確かに任意なので、ないほうがやりやすい。
結果、小さい頃から着けずにやることが、当たり前になってるようですね。

関東の私たちからすれば、大丈夫かなと心配したりもします。確かに慣れてる子供達ばかりですから、大怪我はないですし頭を付け合いながらの叩き合いも、ありませんから良い面もあるとは思います。

ですから安全面という観点からも、審判の私たちは余計に神経を尖らせることになります。

良い悪いではなく、その環境に応じたやり方をしていかなければならない。
ただ競技として誰もが、やれるようにということからすると関東のやり方なり何なり、これからも私たち指導する者たちが、考えていかなければならない一つだとも感じました。

ヘッドギアをつけてないから余計に選手達の表情が、伺える。

そこには「強い意志」と「絶対の自信」がありました。

それをいつどんな時でも発露していけること。
それこそが競技を突き詰める目標の一つ。

見知らぬ子供達にそんなことをまた気付かせてもらった試合でした。
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# by katsumi-okuda | 2017-05-18 22:36

あともう少し

昨年、右腕骨折が取り敢えず完治した春先から、今度は、同じ右腕の肘に絶え間なく鈍痛が…

五十肩の再来かと何とか誤魔化していたが、やっぱり診てもらうことに…(他のシロモノだと困りますので)

診断は、簡潔に言うと使い過ぎでテニス肘に似た症状とのこと(テニスって…( ˙-˙ )
どちらにしても、右腕全体、あちこちの靭帯やら何やらが、緩んでたり壊れかけているとのこと。

ま確かにこの歳まで右腕には無理させてきましたから、無理もないかもと納得もしていますが…

でも、あと少し、もってもらいたい。

私生活にも、確かに影響は出ています。
満足に右腕が、上がらないこともままあります。

それでも、まだ少しとそんな弱い自分と向き合っております。
右腕が、ダメなら左手、それがダメなら脚…
そして、カラダとココロで対峙してこその武道と心得ておりますが、皆さんには真似されないようお伝え致します。
ただの自己満足ですので^_^

使い切ること。
それが、本望であり私の矜持。

これから雨模様の月日…
少し疎まれます。
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# by katsumi-okuda | 2017-05-09 16:39

当たり前のこと

誰もが、当たり前のようにそれを実感し学ぶ。

「失敗や負けたことから学ぶこと」

物事の進化発展が、そうであるようにどんな些細なことでも、私達は、過去の失敗や不出来な事柄から、かけがえのないことの多くを学ぶ。

しかし、時として人は自身の失敗や無様な姿から目を背け、失敗をなかったことにしようとする。また、失敗することそのものから避けようとする

特に経験則の浅い今の子供達は、失敗して「恥をかく」ことを極端に嫌がる。
いつもゞ褒められて育ってきたせいなのか誰かが、庇ってきたせいなのか?

もとより人は、失敗や負けを本能として怖れる。
それらから打ち勝とうとすることに人たる所以があると言われる。

だがそれも、親や先に立つ大人たち、そして、様々な社会から励まされ教わることから学びとる。

失敗をそのままにしてしまっては、ただ自分の汚点そして後悔でしかない。
失敗しようとも「あきらめない」「続けること」で失敗は、大きなそして貴重な「経験」となる。

そのことを子供達に機会あるごとに学ばせなければならない。
失敗しても負けても、前を向いて元気にまた挑むことを教えてあげられること。
加えて言うなら私達大人も、常にその気持ちを体現して見せねばならない。

手本となる私達大人が、挫けてたりだらし無い姿を見せては、ならない。
たとえ、やせ我慢だったとしてもです^_^
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# by katsumi-okuda | 2017-05-09 11:22

大会を通じ

ゴールデンウィークの最中、埼玉県大会に出向かせて頂いた。
何もこんな時期にと思われるが、体育館との折衝上、致し方ないこと、橋本先生始め関係者の皆様のご苦労が…。

にしても晴天に恵まれ、さして道行も難儀することもなく会場入りしましたが…昨年に引き続き両範士不在のため、私と門馬師範が審判長らを務めさせていただきました。

毎度のことですが、各地方大会と言えども、そのレベルは毎次上がり続けている。
どのクラスも一つ勝つのは、大変なこと。

どうすれば勝ち上がることが出来るのか?
適切な稽古は、どうすればいいのか?

試合を見させて頂き、そんなことを考えていたが試合特に大会などの大きな舞台の場合に立つということは、どんなことかをふと考えた。

試合に向け極度の緊張感と焦燥感に苛まれ、そこに立つ者は、須らく「自分」と向き合いこととなる。緊張や不安に押しつぶされてしまいそうになる「弱い自分」や傲慢、身勝手な自分と対面することとなる。

人と相対する競技の場合、特にそれらは顕著に現れる。そして、その弱い自分というものは、なおらない強くならないということを知る。

そんなに簡単に自分の性質が、変わるはずもない。変わるとすれば、そんな自分を理解すること出来たことである。

弱い自分だからこそ、どうすればいいか。
その絶好の機会が、このような大会試合なのではないかとつくづく思う。

弱い自分と向き合い、日々の稽古そして日常を積み重ねていくことが、大事。
それこそが、現代にあって我々が、武道を行う一つの意義。そう私は実感してならない。

それが、はっきりとわかるのが相対する相手のいる私たちの試合なのではないか。

そんな機会は、そうあるものではない。
特に子供達、そして機会あれば多くの人たちにその「場」を体験してもらいたい。

これからは、子供達だけでなく女性や私たち壮年にかかる年代の皆さんの機会も増えていくことでしょう。
変な言い方ですが、怪我のないよう大いにそんな経験をしてもらいたいと願っております。

…実は、大会中も今も…
持病の偏頭痛に悩まされております。
ということで日がな一日、臥せっておりました。
ですので、余計にそんなことに想いを巡らせておりました。

大会を開催されました橋本先生始め関係者の皆様、本当にご苦労様でした。そして、ありがとうございました。また一つ色々なことを学ばせて頂いた大会でした。

まだまだ結果が、出せない私どもの選手達も、負けて学ぶことの多かった試合だったように感じましたが、少し光明が見えてきた、そんな試合でもありました。大きな怪我もなく、また次に繋げていきたいと切に思っております。
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# by katsumi-okuda | 2017-05-06 02:04

人それぞれ

今日は、午前中から車の車検にきている。
ここしばらく家のクルマとして軽自動車に乗り継いている。

若い頃は、それこそ車が唯一の趣味と公言していたので、送迎用のバスも含め、最高五台同時に所有していたこともありました…。

子供が生まれ、知人から薦められ軽自動車に乗ってみて、あまりの性能の良さに吃驚し、それ以来経費もかからず街場を徘徊するに手頃な「足」として乗り継いでおります。

まぁ、あと少ししたらまた「趣味」を再開するかもですが、今しばらくは…ですね。

さて、先日、偶々知り合いの方ととあるブランドのお店に顔を出しました(その方の用事に付き合ったまでの話(^^)…私にブランドは無縁^_^

そこであるキャラクターの顔がプリントされたTシャツ…その辺の◯クロあたりなら2000円前後で買えそうなシロモノ。
ふと値段をみると…35000円!
そのキャラクターの皮のキーホルダー20000円!
一瞬なんかの間違いかと…桁が違うかと疑ったが
…うーん( ̄∀ ̄)

まず私なら買わない( ̄∀ ̄)
でも、観てると買ってる人もいたし。

まぁ人それぞれの価値観なんでしょうね。

車にしても利便性だけで考えるか趣味と「ミエ」の為に高価なクルマにするか。
無論、それ以外にも理由はあるんでしょうが、所詮その辺りは、個人の感性の問題であり、よく言えば「こだわり」なんでしょうね。

私たちの稽古にしても、側から見ればわざわざ金払ってまで痛い思いや辛い思いして何してんだって話しですしね(私は同輩からお前は何がしたいんだと不思議がられております(^^)

それぞれの中で自分が、納得することが一番大事なのかなと思ったりしてます。

…さて、車検終わりまであと二時間って…

仕方ないから、ここでシゴトの真似事でもして過ごします(^^)
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# by katsumi-okuda | 2017-04-26 10:10

思いをカタチにする

先週末、東日本大会の為静岡入りしていた。

土曜は型試合、日曜は組手試合と選手の皆さん、そして引率された御父兄や大会を運営された道場関係者の皆様、本当にご苦労様でした。

毎度、大会に審判やらでお手伝いをさせて頂くために出向いておりますが、それ以上に多くのことを感じ、そして「学ぶ」ことがあります。

審判は、冷静客観的な観点から勤めさせて頂いております。
ですが、時に選手たち(子供達も含め)の闘いそのものを観て感心すること考えさせられることが、本当に多くあります。
だから、指導員や先生達には、出来る限り審判として来られることを推している。
ただの観客では、知る事のできない多くのことを間近で観られるまたとない機会なのですから。

今回は、一般部で優勝した志優会の選手は、まだこの春高校を出たばかり。まして身長は170前後、体重56kg前後と痩身。
ただ、この選手、少年部から今まで幾度となく挫折を味わいながらも、ここまで辿り着いたと聞き及びます。多くの仲間たちが、進学する度に減っていく中、黙々と日々の稽古を重ね、何度となく試合に臨む…その焦燥感、寂寥感は如何許りか。

単に試合に勝ちたいから。
大きな相手に挑んでみたいからという純粋な思いを見事にカタチにした。
だが、言うは易し。
それにたどり着く為、日々の稽古、いや生活をどのように過ごしてきたのだろうか。

勝負は時の運も、確かにある。
そして、それを味方にするのもまた自身のそれまでの過ごし方ではないかと常に思う。

勉強を教えていても同じことが言える。
指導にあたり、確かに私達は「教えている」
しかし、やるのは生徒個人であり選手個人。

教えて学んだことをどう自身で「考え」活かしていけるか。
何よりも、そこが大事。

ただ単に教えられたことを実行していては、それ以上には、ならない。
そこから何を感じどのように考え実践していけるかは、本人次第。

そして、その考える最良の機会が、試合であり試験なのだ。勝つにせよ負けるにせよ、何がしかのことを感じるもの。

そこから一歩、では、どうしたらいいか日々の稽古に活かす試すことを忘れない。

人の進化とは、そういうものなのではないか。

成功するとは、最後の最後まで「諦めない」ことだと古今言われている名言。
そして何よりも、それが難しいと知った上で毎日を過ごす「淡々とした強い日常」が大事であると思わされた試合であった。

だから、出来る限り多くの道場生達や指導員達に多くの試合に関わってもらいたいとも、感じられた。
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# by katsumi-okuda | 2017-04-19 15:31

久々に…

暫く訳あって書くことから遠ざかっておりました。

その理由を書き連ねるつもりは有りません。
一身上の都合とでもしておきましょうか。

何かと嫌なことがあると、不意に熱が冷めてしまう性なので…。

それなりに多忙な月日を重ねておりますが、また以前のサイクルで書き留められれば良いと思いますので、これからも一つ良しなに。

昨年11月に右腕の骨折以来、体の不調は数知れず⁈これも、歳のせいなのかと少し諦めてもおりますが、粛々と日々の稽古に身を委ねてもおります。

どちらにしても春は、体調のナミが激しく儘ならないものですね。

それでも、小さな道場生達が、頑張ってる姿を見て、また頑張れる自分がおります。

今、皆に良く言うのですが
「若い人たちのこれからの二十年と私の年代のこれからの二十年とでは、訳が違う。何せ棺桶に真っしぐらなんだから、それなりに意義のあることを毎日していきたいし、それまで全力でこの身体を使い切りたい」

冗談ではなく、そう思うのです。

若いつもりは頭の中だけで確実に身体は、坂道を下っております。
あとは、いかに緩やかに下っていけるか…。

さて、これから大会シーズン。

これも大会に向かう新幹線の車中で書いております。
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# by katsumi-okuda | 2017-04-15 09:38

願わくば

後少しで総極真として第一回目の世界大会…

何も出来ずじまいで歯痒いばかりですが、日本選手団の皆さんに改めてyellをおくりたい。

特に若い選手の皆さんには大いに期待しております。別段、餞けでもお世辞でもなく今の若い選手の皆さんは、これまでの体力勝負一本槍な画一化された戦い方ではなく、それぞれの資質にあった戦い方を良く体現されていると感じております。

軽中量の選手、まして若い選手が、勝ちあがる姿それこそが、競技、武道として一つの応えでもあろうと思います。

その技量を体現するために並々ならぬ稽古と鍛錬、そして個々の葛藤苦悩が、あったことと思います。
そして、それらを乗り越えるためそれぞれの想いが、あろうことを感じております。

そしてまた、忘れないで頂きたい。
いや、それらを自身のチカラに変えて頂きたい。

それは、陰日向から皆さんを支えてくれているご両親や御家族そして共に稽古に汗してくれる仲間達と精神的支えであろう師範先生方…数え上げればキリがないほどの人々に支えられ、そしてその大舞台に立てることの誇らしさを感じとり、出来る限りの「大暴れ」をして頂きたいと願うばかりです。
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# by katsumi-okuda | 2016-10-16 08:04

真似ると学ぶ

特に少年部の男子に多い。
すぐに覚えることは出来るが、その後の反復練習を疎かにしがちであからさまに手を抜く。
他のこととと稽古の切り替えが、出来ない。
そんな子供たちに私は、容赦無く叱責する。

同じ様に、稽古始めの柔軟準備運動や基本で手を抜く者を私は、決して認めない。

物事の初手から手を抜く者や日々の単純な稽古鍛錬を疎かにする者に大成する者はいないことを断言して憚らない。

例えば、世の中に稀有な人材というものはある。
拳立ての少しも出来ない者が格闘技の世界で活躍している例もある。
しかし、これは稀有な例であり、その個人の資質によるところが大きい。よって、凡人の我々が、その稀有なやり方を「真似」たからといってどれだけの効果があるのだろうか?
いや、あるはずもない。

我々普通の者は、少なくとも日々の単純な稽古鍛錬を積むことに本義を見いださなければならない。
「天才の真似をしても天才には、なれないしならない。」

「真似る」とは、その語源が示す通り「学ぶ」に通ずる。
師を真似る。他者の良きところを真似、そのから自身に合うべきものを取捨選択し活かしていくこと、そのものが学ぶということではなかろうか。

特に若い道場生や子供達には、苦言になろうが、敢えて私は、そのことに厳しく言下におくこととする。この先、彼らが、物事を成し遂げていく為に必要なことを私たちの道場で学んで欲しいと願うばかりだ。
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# by katsumi-okuda | 2016-10-02 07:43