2013年 01月 12日
お陰さまで今回、初の千葉県大会にもかかわらず、大勢の出場申込を頂き関係団体及び諸先生方に、まずは、深く御礼申し上げたくこの場を借りて書き記したいと存じます。
初回ではありますが、真摯に正しい大会そして試合が、行えますよう私共も懸命に向き合いたいと思っております。 ただ、まだまだやることの多いことには変わらず、毎日違う問題でない頭を痛めております。 さて、今回初めて大会に出場する「選手」も少なくありません。 そのため何をどう教え、どう導いていくか難しいところではあります。 試合を楽しめとは、それ相応に経験も積んでいなければ出来ない相談ですから、まずは、出来る限りの稽古を試合までに積めるよう示していくことでしょうか…。 「組手は、一発逆転もありうるが、型の試合はない。型は平時が、すべて。稽古の蓄積だけがモノをいう。」 稽古そのものに向き合う姿勢を問うものが、型だと実感している。 私が幼年の頃、型の一つの動作だけを延々と繰り返しやらされたことを思い出す。 「型は、やった数だけ上手くなる。だから、その日まで一つの型1000回やってごらん」 「でも、ただ流してやってたんじゃ意味がない。一つ一つ止めて確かめ、自分自身の姿をきちんと見て、繰り返しの稽古の中により良いものにしていこうという気持ちがなくてはいけない。」 その日々の姿勢を問うのが、型の試合だと私は考えている。 どうしても、組手至上主義に走り易い私たちの世界。 しかし、だからこそ型の静謐さと確からしさを希求しなければならないと実感してならない。 型を組手に活かすだのと難しい講釈は、今はいらない。 それと向き合う姿勢と心身が、大事なのだと思う。 何事も、手を抜かず懸命真摯に取り組む者は、どの世界でも大成するという。 至極、当然のこと。 ならば、私たちの稽古もまた然り。 武道と標榜している以上、そのどちらがではなく、その両翼を鍛えねばならないと、だから思う。 難しいのは、その競技の両方で優勝すること。 そして、それをどこの大会、試合でも実行してみせること。 それを特に若い人たちには、大きな目標としてもらいたい。 それこそが、私たち「武道の本懐」なのですから…。 #
by katsumi-okuda
| 2013-01-12 01:23
| 稽古日誌
2013年 01月 09日
例年なら正月も明けきらぬうちに稽古しているはずなのに…
今年は、いつもと様相が違った。 確かに冬期講習に謀殺は、されたものの何かが、違う。 そうです。 本年三月に控えた「大会」開催があります。 そして、そのことやら団体のことやらで、ふとした拍子に手が止まる程考え込んでしまう。 そんなこんなで、いつもの稽古が出来ずじまい…。 ただ、いつも以上に充実しているとも言えなくもない。 それに加え、しばらく休んでいた(半強制的、能動的休息!?)せいでしょうか思いのほか身体は軽かったのは、気のせいでしょうか。 ともかく、稽古、指導は何事もなく「普通」に始まりました。 これから、そう多くない稽古時間です。 選手として出られる皆さんは、有意義に時間を過ごす過ごしてもらいたいものです。 そして、私たちは、そんな選手の皆さんに正しく良い環境を提供出来るよう努めねばなりません。 限りある時間を過ごすために何をしたらいいか。 どのように稽古に向き合うかが大切だと思います。 初めて「大会」に出る子供達は、何も分からず不安でしょうし、また期待もあることと思います。 でも、試合に出るだけでも「大きな経験」ですし、試合場に立つだけでも「勇者」だということを伝えてあげたいと思っています。 試合は、確かに一人で戦うものです。 でも、そんな君たちの後ろには多くの「仲間」がいることを忘れないで下さい。 一人で戦っていても、皆が応援してくれています。 必死で戦っている姿を見て感動し勇気づけられている人たちも、いることを忘れないで欲しい。 試合に勝てば当然嬉しい。 でも、負ければ又当然、悔しいし哀しい。 まして、試合に臨むまでの緊張感や恐さ、不安は一人で感じなければならない。 それでも決めた以上、それに真正面から立ち向かわなくてはならない。 それを本当の「勇気」ということを知って下さい。 一人で戦うとは、そういうことを一番に感じられるものなのです。 そして、それを感じられる時こそが、人を成長させていくことを忘れないで欲しい。 悔しさや哀しさとは、本当に勝ちたかったからこそ出てくる「強い思い」なのです。 そして、それを感じられることこそが大事なのです。 それを経験した人とそうでない人とでは、この先に大きな違いが出ることを私は幾多も見ています。 そしてまた、この貴重な体験を次にいかせられるよう悔いのない稽古をしなければなりません。 「どんなに稽古しても上手くても勝てるとは限らない。特に対人競技は相手があってのこと。 でも、稽古しなければ勝てるはずもない。また次も生まれるモノではない」 これらを正しく理解するのに子供達は、時間がかかります。 ですから、親御さんは、それらを理解した上で子供達の稽古そして試合を暖かく見守り、強い後押しを頂きたいと思っております。 勝敗に関わらず、試合を終えた子供達には、等しく大きな称賛を与えてあげましょう。 そして、遠方から来られる子供達にも、どうか惜しみない称賛をお願いします。 さて、子供達も、そして他の選手の皆さんも、この限りある時間を懸命に稽古に励んでもらいたい。 そう願うばかりです。 #
by katsumi-okuda
| 2013-01-09 02:55
| 稽古日誌
2013年 01月 03日
昨日、娘の希望で東京「東郷神社」「乃木神社」そして「靖国神社」を詣でて参りました。
案の定、原宿にある東郷神社までの道行きは、大渋滞。 その後、車で近くの乃木神社へ…そちらは裏道ということもあり、正月らしく空いてました。 そこで乃木会館に車を止めさせてもらいましたので早めの夕食!? 昔、若い頃都内のホテルでバイトしていた頃を思い出してしまいました。そして、それも娘と一緒なんて…なんか感慨深いです。 そのあと、靖国神社へ…何故こんなに「神社巡り」かと申しますと、私と娘の共通の趣味が「近代史」それも明治から昭和初期の軍人等なものですから…中三女子でこの趣味って、どうかと思うのですが、流石に私娘というところで半ば諦めてます。原宿行くのに竹下通りに眼もくれず、神社まっしぐらです(- -) そのあと秋葉原を通って帰宅ですが、その「明るいこと」 私共の街は「都会の田舎」ですから、こんな光景は眼に痛いです。 さて、明けて三日。 今日は、毎年恒例の「鹿島&香取詣」です。 三が日ということもあり、いつも以上の人出でした。午前中からで向いたのですが、近くの「香取」もそれ以上の混雑。 参道をくぐり社に辿り着くまで、すっかり午後の日差しになっておりました。 ですが、境内はこの時期いつもそうですが、足下から津々と寒さが這い上がって参ります。 お参りを済ます頃には、きっちりと全身寒さに纏われてしまいました。 これも、新しい年「身を引き締める」という意味では良いことだと思って我慢です。 さて帰り道、千葉の「小江戸の風情」と言われる「佐原」に立ち寄ってみました。 夕刻が迫り、少し早足となってしまいましたが、その風情…よいものでした。 また今度、暇ができたら是非、ゆっくりと尋ねたい街の一つになりました。 帰り道…車中では家人達の寝息が、聞こえそうなくらい首が、落ちています。 そんな中、なんとなく明日からのことを考え少し緊張している自分がおりました… お陰で、疲れていたのですが、眠たくもならず無事帰り着きました。 #
by katsumi-okuda
| 2013-01-03 21:25
2013年 01月 01日
あけましておめでとうございます。
本年も皆様方にとってより良い年でありますよう御祈念申し上げます。 私共は、本年初の大会開催を控え、より一層の精進をさせて頂く所存でおります。 皆様方のご参加御協力なしには、なしえないものと心得ております故、 旧年中にもまして、何卒宜しく宜しくお願い申し上げます。 より良い未来をつくりたければ、今この時、日常のどんな些末な物事でさえも、 懸命にそして真摯に過ごさねばならない。 そうするしか望む未来は、やってこない。 そして、その結果を怖れず、ただ日々を邁進すること。 日々、新たにして少しでも前に進められるよう努めること。 今年は、今まで以上にそう感じてならない。 そんなことを思いながら、いつもの道行きを戻って参りました。 …ひとり早めの「初詣」を済ませて参りました。 さて、明日から三が日… 何気に予定がつまっています。 どうやら能動的な休みとなりそうです。 #
by katsumi-okuda
| 2013-01-01 04:07
2012年 12月 31日
とりあえず業務終了…です。
午後の講習も終わり、一段落ですが、明日は「籠り」ながらの整理です。 ここ数日、いろいろと様々な方からご連絡を頂いたり、わざわざ千葉県大会申込の為に足をお運び頂いた他流派の先生が、いらっしゃったりと慌ただしい中にも、心強くも安らぐひと時を過ごしました。 さて、いつも毎年師走になると考えます。 …今年は、どうだったろうか… そして、来年は、どうしていこうか… また、どうなっていくのだろうか…期待と不安が、綯い交ぜになりながら、 それでも、どうであろうと固く決意し歩まねばならない。 人の前に立っている以上、今まで以上に確固たるものを作り上げていきたいと願うばかりです。 人は自分や他人の「経験」から多くを學ぶ。 例えば、その多くは「失敗」からだという。 それが、なければ先を作り上げていこうとは、人はしない。 だから、失敗とは次の成功のための「経験」だと人は言う。 しかし、人は中々それを認められない生き物でもあると思う。 失敗することで「惨めさ」を味わったりする。 そして、それのために次の「試み」に背を向けてしまうことが、少なからずある。 それがまた、子供達であれば尚のことだろうと思ってしまう。 組手で負けて、これ以上は無理だと簡単に諦めてしまう子供達がいる。 そんな子供達に敢えて伝えておきたい。 年だからと忙しいからとカラテを諦めている人たちに伝えたい。 確かに負けることは、辛い。 忙しく体力的についていけない挫折感も、分からなくはない。 でも、だからといってそんなに簡単に背を向けてしまっていいのでしょうか。 今一度、深く考えてみて頂きたいと願って止みません。 実社会とは、全く違う「時間」と「場所」で出会える「経験」。 それは、この時代だからこそ貴重かつ重要なことなのだと私は実感しています。 不安定要素の多い時代、子供達でさえも多くのストレスを抱えると言う。 そして、何より体力・壮健でなければ何事も進まない。 そんな中で「個」として「人と競い合う」ということ。 大勢の中で「個」として「自身を鍛え上げる」ということの意味とは 将にその「価値ある経験」から得られるモノ、かけがえのない「自分」を作り上げていく「糧」にほかならない。また人は、その「経験」からしか自身の「成長」をみることが、出来ないことを知らなければならない。 多くの「経験」そして「失敗」から學ぶことを怖れてはならない。 特に幼い子供達は、失敗すれば「腐ったり」そして「怖がる」。 当然、恐いし嫌になるものです。 でも、それこそが失敗を糧とする大事な過程であり、くぐらねばならない「門」なのだということを 知ってもらいたい。そして、その大事なことを親そして周りの大人は、正しく伝えなければならない。何故なら、これから幾多の「門」をくぐらねばならない子供達に「大事」な基礎となる「経験」を伝えることこそが、私たちの真の役割なのだから。 怖がるなとは、いわない。 精一杯、強がり、緊張して「事に向かう」ことを厭わないことを伝えたい。 そんな「強い気持ち」を親として大人として「後押し」しなければと強く思う。 人とは元来、辛く厳しい事から本能的に避けようとするものらしい。 そして、それでも、その「難敵」を退け、前進することで人は、人として進化してきたと言える。 ならば、先にくる「大敵」に備え、今をとらえ「鍛える」ことを忘れてはならない。 よく聞かれる事。 「組手の試合は、ちょっと…でも、型の試合も、どうかなぁ」 などと言う子供達の声をききます。 また「型より組手のほうが上」という風潮が、この世界にあることも事実です。 でも、本当にそうでしょうか。 組手は、例えば戦っている時間内、相手に勝てるチャンスはいくらでもうまれる。 一発逆転もある競技です。 身体がたとえ小さくとも、工夫次第稽古次第でいくらでも勝てる「機会」がある競技なのです。 ですが、型試合は、そうはいきません。 基本、点数制それも加減点法です。 つまり、一つでも不十分ならそれだけで「負けて」しまうこともありえます。 その場しのぎの一発逆転はありません。 ふだんの正しい稽古と強い「理」がなければ勝つ事は、適わない競技なのです。 その意味では、組手試合よりも難しい競技と言えます。 どっちが上ということは、ありえません。 どちらも「競技」である難しさと大変さは、あるものなのです。 自身の今の状態に合わせた「競技」に是非、挑んでもらいたいと切望して止みません。 「経験」は「人」を「自身」を育てます。 そのことを私たちは、大会を通し學んでいるのです。 私も幼い頃、恐がりで泣き虫でした。 それにもまして、人一倍負けるのが、嫌いでした。 負けるのが、嫌だし格好悪いと本気で思っていた。 負ければ、悔しくて後悔で寝れなかったことも、数知れず。 でも、そんなとき負けても平然と次を見据えて黙々と頑張っている自分より小さい人たちを見ました。そのとき、負けた時以上に恥ずかしかったことを覚えています。 それからも何度となく、いろいろな挫折・失敗を味わいました。 でも、立ち直れない程落ち込んでも、結局、次の事に向かうようになっていました。 何も言わないで見守ってくれた親や辛抱強く努力している兄達や友達たちを間近で観て… それが、私の弱い心をなんとか奮い立たせてくれたのです。 そうこうしているうちに自分の他の面に気づき始めたのです。 「続けていれば、こんな感じになるんだ。 負けるのは、嫌だし悔しい。 でも、負けっぱなしで終わるのは、もっと格好わるいし嫌だ。 だから、あと一つでも勝てるまで上手くなるまでやろう。 そのうち…もっと何かがあるかもしれない。」 と一筋の光が、たしかに見えたのです。 気持ち一つで何でも、やれるんだと感じられるようになりました。 やらなければならないという義務感も、そのころから芽生えたように思います。 始めから上手くいく事なんて、そう多くあるものではありません。 そのことを教えてくれるのも「経験」なのですね。 さて、来年、私はどんな「経験」が出来るでしょうか。 そして、子供達も無論大人の方々も、多くの素晴らしい「経験」をされますよう祈っております。 #
by katsumi-okuda
| 2012-12-31 01:23
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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