武道カラテ稽古日記

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武道の黒帯は法律上凶器扱い!?喧嘩で使うと重罪!?

 これは、以前中学生の道場生ほか多数から質問されたことですが、驚くことに数十年以前からこの質問は繰り替えされています。ある意味「都市伝説」です。
 答えから言うと「NO」です。例えばカラテの黒帯になったからと言って警察各位に登録も申請もしません。仮に喧嘩になってもカラテの黒帯だから罪が重くなるのではなく、あくまでその場の状況と経緯によって判断されるのです。
 二つの事例があります。一つは相手が刃物を持ち何人もの人たちを傷つけ今まさに自分まで刺されそうになった。つまり「緊急避難」としてカラテの技を用い相手を制圧した。しかし、反対に相手に重傷を負わせた場合。もう一つが男女の痴話げんかを勘違いした米国人男性が、言い争っている男性を制するうち相手が物での攻撃を仕掛けたと勘違いし反撃、致命傷を負わせた場合。いうまでもなく後者の事例のほうが、過剰防衛であり重大な事実誤認があり、この米国人男性の非はそのことによるものと判断されるべきものであり、カラテの技うんぬんではないはずです。ですが、当時(今から十数年前)の新聞各社は、「空手=悪」の論調で書かれていたことをひどく残念にそして憤りをもって見ていました。
 確かに何らかの格闘技を喧嘩で用いた場合、科料の度合いは重くなりますが、それをもつて「特に空手の黒帯は、凶器扱いであり、警察に届ける」というのは全くの嘘です。驚くことにこのことを警察関係者や法曹関係者まではっきりとした理由もないまま信じている人たちも多いのです。
 市井で武道や武士道について真摯に取り組んでいる人たちにとって大変迷惑な話であり、また武士道を歪曲した暴力団まがいの格好をした格闘技団体が武道や武士道を標榜することに激しい嫌悪感をもっています。そんなことからも武士道やその精神が誤解されているのです。少しづつですが、真摯に取り組まれている皆さんの手によってそれらを変えていけるよう私も努めたいと改めて考えました。
# by katsumi-okuda | 2004-10-23 12:28 | 評論

ここらで分かりやすく「武士道」を考えてみませふ。

「恥ずかしいからやめなさい」とか「周りに迷惑のかからないように」とか誰もが耳にしていますね。どんなときに使われているでしょう。多分親御さんが、自分の子供に対して何かをしたときに咎める意味合いをこめて何気なく使っているフレーズではないでしょうか。 実はこのフレーズこそが、忘れ去られた武士道の名残りの一つなのです。そして最も大切なフレーズだからこそ現代まで脈々と残ってきたと言えるかもしれないのです。
「廉恥心」(れんちしんと読みます)という言葉を知っていますか。先ほどとは逆に知らない方が、多いと思いますが、では「恥を知れ!!」というフレーズはいかがですか。叱責の時の言葉としてのみ機能して正しい意味合いが伝わっていないようですが、これこそが「廉恥心」であり、正しい意味としては「一度失敗して恥と感じたからには二度と同じような失敗はしないようにしよう」ということです。つまりこれこそが、先ほどの「恥ずかしいから…」という理由の一つなのです。考えてみれば凄いことです。江戸時代に開花した「武士道」が、現代でも日本人の文化・背骨として生きているのです。そして現代に生きる私達にこそ「武士道」は必要不可欠なものではないかと考えています。
 武士道精神が、社会を包んでいたからこそ江戸時代は数百年も大きな戦もなく過ごせ(そんな例は世界にないそうです)、明治維新後や第二次大戦後の目覚ましい「復興」の背骨を貫いていた精神と国民性こそが「武士道」そのものだったと今では再評価もされています。
 ちなみに、それほど優れた「道徳感」や強い社会としての「意志」は現代にあるのでしょうか。戦後教育や経済優先の社会は、質素倹約や感情を表に表さないこれまでの生き方を否定し、享楽のため単純に目先の利益追求のためにのみ機能し、人として日本人として最も大切な原理原則を無視し続けた結果が、現代社会の混乱と低迷を呼んだとも言われています。
 ここらで私達市井の武道家たちからもう一度「武士道」を考えるべきではないでしょうか。武の道を説いている以上、実践と理論が一致しなくてはならないしそれ以上にその考えを社会に何らかの形で還元していくべきだと考えます。
# by katsumi-okuda | 2004-07-07 08:49 | 評論

何かが違う!?ぱーとつー。

現在の損傷箇所一覧。右肩靱帯損傷から始まって左肘及び前腕筋の損傷、左腰疼痛、右足親指脱臼etc。自分としてはかなり真面目に稽古を積んだここ一年で得た代償。計画通り年1〜2kg動ける筋肉を手に入れはしたが…。
普通に五十代が若い人と対等に競い合おうとしたら挌技・武術の場合大かれすくなかれこうなるはずではないだろうか。打たれずに打ち返すことは理想であり、自分の弟子相手ならいくらでもやれる組手が存在します。それは、技を教えたのは本人ですから、相手の動きはある程度先読みできますし、師弟関の微妙な心の温度差によって、先生のほうが有利に働き前述のような達人的なことが出来るのです。但しそれでは先生一人が出来ることであって弟子に伝わる「技の継承」にはなりません。私自身の考える武術・武芸者とは、相手誰であろうと正面から打ち倒せ且つ叉制することが自在に出来る技と心身の鍛練を怠らぬ者。そして現在ではその技をいかに広く自分の弟子達に伝えるマニュアルを確立している者でなくては意味をなさないと考えます。 つまり普通に考えて身体を使って指導していれば簡単に身体は痛んでいくものです。達人と言われるなら少なくともこんな思いをしなくてはならないのではないでしょうか…。私はそうします。それしか知りませんしそれが最短・最良と考えます。
# by katsumi-okuda | 2004-06-28 11:19 | 稽古日誌

何かが違います。現代社会にとっての空手とは…

 とかく武道社会では一般に通用しない語句の使用が平気で横行しています。その代表的な一つが「気」です。ないとは言いませんがその一言で済ませられる程武道とは簡単ではないはずです。
 もしそれが理解出来たらだれでも何の苦労もなくすぐに達人になれるということですからねぇ…。私の持論ですが、理屈でどうのこうの言っている皆さんにいいたい。その理屈で暴漢に必ずだれもが対処出来るのか!?その理論とやらで一分間に拳・蹴りが100発飛んでくるフルコンタクト空手の試合に対処出来るのか!?
 そして、その理論とやらを展開しているみなさんは、今でも選手並みの稽古をこなしている上で言っているのかお聞きしたい。喧嘩の一つもしたことのない人や殴られる蹴られる本当の痛みや恐さを知らない叉は忘れた(特に痛み慣れという奴は継続が必要)人たちの言うことを残念ながら私は信じません。
 私は武道をやる人全員が思いつめた考えで稽古に臨まなくても構わないと思っていますが、少なくとも稽古と言う「非日常」の世界での経験を真摯に受け止めることによってさまざまなストレスに対処出来る抵抗力・免疫が作られるのではないかと想定しています。それこそが現代社会においての武道の一つの価値ではないでしょうか。
# by katsumi-okuda | 2004-06-25 09:39 | 評論

いつか辿る父の路

父の日に贈るメッセージは?五十路を迎えた自分が、九十路近くの父を見て、まだ信じられない。未だお互い若い気でいる。せいぜい親父が五十で自分が二十歳の若造に感じられるのは何故なんだろう。単に男の精神年令が低いせいなのか…。でも以前にくらべだいぶ老いは感じられるようになってきた。そんな姿を見るとなんだか物悲しくなってくる。でも、この年になっても面と向かって労いの言葉に戸惑ってしまう自分がいる。それが、親子というものかもしれない。いつかは自分もこのオヤジのようになっていくのだろうか。正直恐い。老いることの不安感・焦燥感がある。これからの十年どうオヤジと向き合っていくかで自分の今後がきまってくるのではないか。そんな気がする。どんなに肩ひじはっても所詮自分もこのオヤジと同じ老いの路をすすむのだから…。
# by katsumi-okuda | 2004-06-16 11:00 | ニュース

父の日に武道家としての父って…

 結婚が遅かったのでまだ子供が小さい。と言っても小学1年女の子なので当然武道家父としても大変かわいかったりする。ちなみにわが子だからこそ親の贔屓め・欲目で見ているが、子供からしても欲目で父を過大評価しているフシが、ある。
 特に普通の子の親と比べ武道家父の姿は、異質です。平気で人をなぎ倒し瓦やバットを粉砕します。あまつさえ私は「寸勁」(すんけいと読みます)を試し割りや組手に使います。この技は物に触れた状態からわずかに掌や拳を放し一気に力を加える技法なのですが、決して「気」だとかの怪し気なものではないのですが、見た目はアニメチックです。ですので、特に子供らには喜ばれます。

幼い子供にとって親は、とても大きな存在だと思います。いつのころからか心で思っていても言葉で表現しなくなります。でも、子供の時に感じた父の大きな姿は忘れません。私は、子供のためにも又弟子たちのためにも意地でもこのデカイと言われる広背筋を維持し続け怪し気な秘法(?)を追求したいと思います。
# by katsumi-okuda | 2004-06-16 10:33

初めまして

 初めまして!! ブログも初めてなら何もかも初めての五十路男ですので皆さん宜しくお願いします。
 何から始めればいいか分からないので簡単な自己紹介からさせて下さい。
私は、千葉県の流山市で30年程学習塾とカラテの道場をやっている者です。実は長らくは極真カラテに在籍したのですが、さまざまな意見の相違と自分の後の人生を考えて弟子共々団体を離れました。自分の願いですが、やはり武道を志した者として「達人・名人」とはどんなものか、また辿り着いてみたい願望がありました。そこで実戦系カラテでは五十路を過ぎて絶対に無理といわれている、選手達と互角に練習をし、ガチンコの組手をやりそして勝ち続ける負けないカラテを自分だけではなく教えている同年代の弟子の人たちにもやれる稽古体系を毎日研究実践してます。但し、言うは簡単、行うは想像を絶する地獄の日々であります。特に体力の維持・強化は実戦系カラテではなくてはならないもの。そしてこの維持・強化こそが曲者。体力の低下が著しい年代が、それを行おうとすると365日筋肉痛と疲労感との戦いなのです。ちなみにどんな稽古内容か、どんなトレーニングメニューなのかは、はたして本当に可能なのか。今後を随時書き留めていきますのでお願いします。
# by katsumi-okuda | 2004-06-08 12:34