武道カラテ稽古日記

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極真カラテ・適正な体力を手にするために

 フルコンタクト系空手では、俗に言う「体力」は必要です。
ですが、その人の年令・資質にあったモノを手にすべきではないでしょうか。行き過ぎた体力の向上には「年令」という限界が、あります。その人の年令や資質に応じた体力は、絶対条件なのですが、必要以上につけられた体力の維持・管理には自身の意志を保つ意味での限界が生じやすく生理的にも損傷をきたしやすいとも言えます。
 では、そのための体力を強化するためには何を元にするかです。
これは、生前大山総裁が、しきりに言っていた「自力本願」に起因します。出来る身体と資質そして環境(特に専門のコーチの存在)があれば、私もウェイトトレーニングは、否定しませんし大いに活用すべきだと考えています。ただ、私達は、人と相対しての打突を主としての筋肉や体力が、欲しいわけですから、「補強」に代表される自重をいかした拳立て・スクワット等のほうが、理に叶っていると言えます。素早い拳立て(ちなみに初動筋の強化)は、突きのスピードのそれに等しく、ゆっくりと行う腕立ては、筋肥大や持久力を促します。(細かいトレーニング方法は、いずれ公開)
 特に身体と言うのは、自身の意志や「思い」を反影させやすいものなのです。
例えば、腕をこうしてみよう。こんなふうに動かしてみようと意識するとしないとでは、その強さの度合いに歴然とした差が生じます。つまり、身体を動かそうという行為にあって、その意志の重要性を認識すべきであり、やれる時はやれるだけ「懸命」にやることが、大切なのです。ただし、その場合その時々の自分の身体状況を客観的に把握することが大切です。日々、心身の調子は違います。無理が出来ない時などは決して無理をせず、丁寧に行うことも忘れてはなりません。決して無理をして回数や強度を上げてはいけません。それでは続かないのです。この体力強化には、もうひとつ「続ける」という大きな要因が含まれているのですから。
# by katsumi-okuda | 2004-11-12 14:34 | 評論

極真カラテ・実戦をやり続けるには

 前回、健康の維持・管理について書きましたが、実戦を標榜する極真カラテにあってさすがにそれだけでは対応しきれないのが、常です。確かに、いろいろな技をもってそれに対応出来るんだとおっしゃる諸先生方もいらっしゃいますが、あくまでもそれは、その先生の技や人間性に大きく寄与するものであって、個人的な色合いが濃いことのほうが多いように思われます。(いろいろな技に関しての解釈もいずれ又…)
 私達、凡人にとっては日々の稽古で反射の域まで達した技をどのような状況下にあっても駆使出来る体力を年令に応じ強化・維持すべきなのです。叩かれ殴られ慣れてない身体は、突然の攻撃に身が竦んでしまいます。相手の攻撃を防ぐことは、私達の命題にとっても最重要項目なのですが、だからといって100%相手の攻撃を受け切れるとは言い難いはずです。試合形式の組手にあって相手を制し自身の攻撃を的確に与えようとすれば、そこに身を挺する場面は存在します。優れた攻撃力を持っていてもガラスの身体では意味がありません。但し、間違えないでほしいのは相手の攻撃をすべて身体で受け止めてしまえ・そんな身体をつくれと言うのではありません。あくまでも年令に応じた適正な体力の維持と無駄のない体力の使い方・防御の仕方を各自ふだんの稽古を通じて修得しておくことが大切なのです。叩かれ蹴られることに慣れた身体は、その時々で必ず的確に応じてくれます。
 よく見る光景ですが、どこといってとりえのない方が、黙々と稽古を続けることによって若い方と互角に組手で渡り合っている…。それこそがこの命題の最大のヒントなのです。
 では、適正な体力や技はいかにして自分のものになるのでしょうか。
# by katsumi-okuda | 2004-11-11 12:28 | 評論

極真カラテの矛盾点その2

 さて次の条件にあてはまる人たちが極真に形容される「フルコンタクト空手」が、出来るのかが前回の主旨でした。
 条件一 ごく一般的な資質・体格の持ち主で30以上の初心者の方
   二 選手を引退して暫く稽古から退いていた、今後そうなりそうな方
   三 一般道的な場生で初段までは取得したが今後出来るか考える方
 初めにお断りしておきますが、私は何もこ難しい理論を振りかざしたり、特別な解釈や技法を用いたりはしません。なぜなら、私達の主旨は、あくまでもいつまでも選手レベルや若手の人たちと試合形式において対等の戦いが、出来るか否かを論じ実践していくことにあります。少なくとも私の道場生と私はそれを現在実践していますことを表記しておきます。ただの「戯言」でないこと、そして誰もが出来ることであると確信しています。
 上記の条件下にあっても重要な要件は、二つあります。
それは、稽古の継続と心身の健康維持・年令に即した体力の維持・向上です。
何だと思われるでしょうが、最低でも心身の健康が保てない・不摂生をしている人に強くなれる道理はありません。不健康な武道家は、マンガの世界だけです。心身共に健康だからこそ気持ちを強く持って、厳しい稽古に自分を導くことが出来ます。稽古は、手を抜こうとすれば、いくらでも抜けるのです。特に運動とは「慣れ」の世界。気を抜いてやる「基本」など何の役にも立ちません。適当にやる腕立ては、どこに力がいくか分かったものではありません。かえって身体にとって「害」にさえなりかねません。不健康のまま身体に激しいダメージを与える稽古を続けることは早晩自分の生命さえも脅かします。本当に市井の武道家として「強く」あり続けたいなら毎日の稽古・食事・休息のバランスを第一に考えることからお勧めします。
# by katsumi-okuda | 2004-11-11 11:43 | 評論

極真空手の矛盾点

「極真に代表されるフルコンタクト空手は、若い間や才能あるものしかできない」
「極真の基本(移動・型も含む)と試合の戦い方が違い過ぎる。今やっているその基本に意味があるのか」という声を多く耳にします。それも他流派の方々に限らず、一般の方や、やっている当の本人達からも。
 ここでは、永く関わってきた者の一人として私見を述べたいと思います。
初めに「今の基本に意味があるのか等」に関することからですが、極真会館が、世に知られ始めた時、その戦い方は、限り無くいわゆる伝統空手の組手に酷似するものでした。ですが、大会が回数を重ねるごとに勝敗を優先することによって、その戦い方は、現在のそれに日々変貌してきたのです。当時から総裁もそのことには気付いておられたのですが、極真という団体を世に知らしめるためとだと覚悟しておられたようですが、ことあるごとにその中でも原点を忘れてはならないという思いから「理にかなった空手」を私共に厳命しておられました。大会指向だけの組手スタイルだけで本来の「空手」を忘れさせたくないがために喧しいほど「基本の重要性」を説いておいででしたが、哀しいことに当時の私達はそれを理解し解析しようと言う努力を放置していたようです。
 では第一の疑問点でもある「極真等の空手は若いうちにしか出来ないか」ですが、
もしそうなら哀しいことではないでしょうか。確かに一定の指針がないまま今の稽古を続けていけば、それは現実のものとなってしまいます。選手を引退後、先生と呼ばれ日々の稽古指導はこなせても選手に胸も貸せないただの「指導者」にしかなりません。それでは、柔・剣道始め多くの武道に精進され若い選手を手玉にとっている壮年以上の諸先生方との違いは何なのでしょうか。
 私は、少なくとも「昔はこうだった云々」の話ばかりの不摂生の固まりのような先生にはなりたくありませんし、ならないよう毎日稽古は続けています。
 私達は「極真カラテ」に出会い、それを続けることによって得られる大きなものを経験則として知っています。それならば、私達や若い人たちが、今後の「極真カラテの武道性」を日々の稽古を通して体現することこそ創始者大山総裁のお考えを実践していく唯一の方法だと考えております。
 次回、具体的な論評と解析を初めたいと思いますが、「体力が落ちても若い連中と対等に戦えるか」の問いに関して、一言述べておきます。
 それは可能です。そのヒントこそが「基本」にあります。
# by katsumi-okuda | 2004-11-05 13:24 | 評論

故障パート2

「うっ!!こ小指が!!」いきなり右手小指第2関節が、外側へ90°へし曲がった!!
組手の最中だったので、あまり痛くなかったのが幸い。怪我はつきものなので気にならないが、突然のことに毎度慌てる自分が、おかしい。あきらかに外れた(脱臼)のでその場で入れた。普通の人はマネしないほうがいいです。癖になります。
 どうやら腱や関節部分が、経年変化をおこしているようです。仕方がないと言ってしまえばそれまでてすので、やはり日頃の細かな身体のメンテナンスは、若い時以上にやらなくてはならないことをあらためて実感しました。
 今月は演武予定が、つまっているので少々悩ましい次第です。
# by katsumi-okuda | 2004-11-03 20:12 | 稽古日誌

町中の正義とは…

 町中や電車の中で粗暴な言動をする者に注意をし、逆に危害を受けるケースが多々あります。そのために命さえ落としてしまう事件がこの前もありました。本当に悲しいことだと思います。そのためにそのような行為を町で見かけてもそのほとんどが「見てみぬフリ」をするか、よくても警察に一報を入れるかです。
 私も仕事柄よくそんな場合はどうすればいいか、また自分に被害が及びそうになったときの対処法、世間では「護身術」といいますが、よくそれを尋ねられます。
 まず初めに断っておきますが一般の方々は「護身術」なるものに関しては考えない方が無難だと思います。身もふたもない言い方ですが、ほんの何回かやっただけの「護身術」まがいのものは、残念ながら実戦(喧嘩)では殆ど通用しません。なぜなら、その状況下にあって一般の方が、普通の精神状態ではいられないからです。つまり、喧嘩慣れ「場慣れ」しているのであれば別ですが、大抵の場合「怯え、怖がり、不安・緊張」が自分を支配しマトモな動きができなくなるのです。ナマ兵法は何とやらで被害が大きくなってしまうことのほうが、多いようです。
 では、そのような場合どうすればいいのでしょうか?
 子供同士の言い争いやイジメに関しても実は同等のことが言えるのです。何かと言うと「売り言葉に買い言葉」なのです。どう言うことかと言うと、例えばよくある光景ですが、コンビニで通路に座り込んで雑誌を見ている若者達。向こうへ行きたくとも行けません。そのときいきなり頭ごなしにまたは喧嘩腰で「どけ!!」と言ったら言われた方はどう感じるでしょう。逆にこちらがすこし屈んで「悪いけどどいてくれるかな」といったらどうでしょう。少なくとも相手はいきなり喧嘩腰ではきません。それでも無視されるようであれば、こちが遠回りをしましょう。電車の中で嬌声を上げている若者に対しても同じです。本当に他人に迷惑をかけているようなら、やはり、頭ごなしの注意や嫌悪の表情を浮かべての言い方はよくないでしょう。
 相手の土俵にこちらから下り、言葉を選び話し掛けるべきです。そうすることでそのほとんどが大事にいたらないと言われています。何も体力に自信があるものがそう言っているのではなく非行少年と毎日向き合っている老齢の先生方の御意見・体験なのです。 
それでも相手がかかってきたら!? わたしは、笑顔で受け止められる体力・気力はふだんから充実させておきたいと考え、実行しています。打たれても大丈夫だと自分に自信があるからこそ相手を思い遣り言葉を選ぶことが、出来るのではないかと考えています。私たちは、聖人君子ではありません。100%相手を信用し博愛の精神を発揮することは不可能です。絶えず不測の事態を考えその対処法をさまざまな面で実行していくことこそ私達武道家としての勤めだとも考えています。
 相手を思い遣る考えてあげるだけで、喧嘩腰の対処から全く逆のパターンが生まれることを世の中全体が忘れているようでならないのは、悲しいことです。
# by katsumi-okuda | 2004-10-28 16:14 | 評論

天災にみる日本人の強さそして優しさ

 新潟中越地震に被災された多くの方々。厳しい状況が続いておりますが、とにかく頑張って下さいとしか言えない自分が、歯がゆく幾ばくかの義援金をお送りすることしかできません。毎日テレビに写し出される救助・救済そして復旧活動。被災された方々、そして現地で救済にあたっている多くの方々をみるにつけ思います。確かに悲劇的な状況下、苦しい生活が余儀無くされている皆さんのその表情や姿勢に本当の日本人としての「忍耐強さ・他者への労り」を深く感じ、ただただ頭の下がる思いがいたします。 そして一刻も早く不安のない生活の戻られんことをお祈り致します。
 突然の天災がない限り表立って支援することも恥ずかしがる国民性。ともかく国民全員が、意識をもって救済に何らかの手を差し伸べなくてはならないと考えます。もちろん行政・立法が自身の枠をこえ早急・適切な措置を行われることを切に臨むのは全員の気持ちだと考えます。それぞれの意見には関係なく、今は被災された皆さんの今そして今後を不安のないようしてあげられるよう特に政治家や財界の方々は動き出して頂きたいものです。私達も市井の町道場ですが、何らかの活動を弟子や子供達と続けていきます。
# by katsumi-okuda | 2004-10-28 15:40 | ニュース

武道の黒帯は法律上凶器扱い!?喧嘩で使うと重罪!?

 これは、以前中学生の道場生ほか多数から質問されたことですが、驚くことに数十年以前からこの質問は繰り替えされています。ある意味「都市伝説」です。
 答えから言うと「NO」です。例えばカラテの黒帯になったからと言って警察各位に登録も申請もしません。仮に喧嘩になってもカラテの黒帯だから罪が重くなるのではなく、あくまでその場の状況と経緯によって判断されるのです。
 二つの事例があります。一つは相手が刃物を持ち何人もの人たちを傷つけ今まさに自分まで刺されそうになった。つまり「緊急避難」としてカラテの技を用い相手を制圧した。しかし、反対に相手に重傷を負わせた場合。もう一つが男女の痴話げんかを勘違いした米国人男性が、言い争っている男性を制するうち相手が物での攻撃を仕掛けたと勘違いし反撃、致命傷を負わせた場合。いうまでもなく後者の事例のほうが、過剰防衛であり重大な事実誤認があり、この米国人男性の非はそのことによるものと判断されるべきものであり、カラテの技うんぬんではないはずです。ですが、当時(今から十数年前)の新聞各社は、「空手=悪」の論調で書かれていたことをひどく残念にそして憤りをもって見ていました。
 確かに何らかの格闘技を喧嘩で用いた場合、科料の度合いは重くなりますが、それをもつて「特に空手の黒帯は、凶器扱いであり、警察に届ける」というのは全くの嘘です。驚くことにこのことを警察関係者や法曹関係者まではっきりとした理由もないまま信じている人たちも多いのです。
 市井で武道や武士道について真摯に取り組んでいる人たちにとって大変迷惑な話であり、また武士道を歪曲した暴力団まがいの格好をした格闘技団体が武道や武士道を標榜することに激しい嫌悪感をもっています。そんなことからも武士道やその精神が誤解されているのです。少しづつですが、真摯に取り組まれている皆さんの手によってそれらを変えていけるよう私も努めたいと改めて考えました。
# by katsumi-okuda | 2004-10-23 12:28 | 評論

ここらで分かりやすく「武士道」を考えてみませふ。

「恥ずかしいからやめなさい」とか「周りに迷惑のかからないように」とか誰もが耳にしていますね。どんなときに使われているでしょう。多分親御さんが、自分の子供に対して何かをしたときに咎める意味合いをこめて何気なく使っているフレーズではないでしょうか。 実はこのフレーズこそが、忘れ去られた武士道の名残りの一つなのです。そして最も大切なフレーズだからこそ現代まで脈々と残ってきたと言えるかもしれないのです。
「廉恥心」(れんちしんと読みます)という言葉を知っていますか。先ほどとは逆に知らない方が、多いと思いますが、では「恥を知れ!!」というフレーズはいかがですか。叱責の時の言葉としてのみ機能して正しい意味合いが伝わっていないようですが、これこそが「廉恥心」であり、正しい意味としては「一度失敗して恥と感じたからには二度と同じような失敗はしないようにしよう」ということです。つまりこれこそが、先ほどの「恥ずかしいから…」という理由の一つなのです。考えてみれば凄いことです。江戸時代に開花した「武士道」が、現代でも日本人の文化・背骨として生きているのです。そして現代に生きる私達にこそ「武士道」は必要不可欠なものではないかと考えています。
 武士道精神が、社会を包んでいたからこそ江戸時代は数百年も大きな戦もなく過ごせ(そんな例は世界にないそうです)、明治維新後や第二次大戦後の目覚ましい「復興」の背骨を貫いていた精神と国民性こそが「武士道」そのものだったと今では再評価もされています。
 ちなみに、それほど優れた「道徳感」や強い社会としての「意志」は現代にあるのでしょうか。戦後教育や経済優先の社会は、質素倹約や感情を表に表さないこれまでの生き方を否定し、享楽のため単純に目先の利益追求のためにのみ機能し、人として日本人として最も大切な原理原則を無視し続けた結果が、現代社会の混乱と低迷を呼んだとも言われています。
 ここらで私達市井の武道家たちからもう一度「武士道」を考えるべきではないでしょうか。武の道を説いている以上、実践と理論が一致しなくてはならないしそれ以上にその考えを社会に何らかの形で還元していくべきだと考えます。
# by katsumi-okuda | 2004-07-07 08:49 | 評論

何かが違う!?ぱーとつー。

現在の損傷箇所一覧。右肩靱帯損傷から始まって左肘及び前腕筋の損傷、左腰疼痛、右足親指脱臼etc。自分としてはかなり真面目に稽古を積んだここ一年で得た代償。計画通り年1〜2kg動ける筋肉を手に入れはしたが…。
普通に五十代が若い人と対等に競い合おうとしたら挌技・武術の場合大かれすくなかれこうなるはずではないだろうか。打たれずに打ち返すことは理想であり、自分の弟子相手ならいくらでもやれる組手が存在します。それは、技を教えたのは本人ですから、相手の動きはある程度先読みできますし、師弟関の微妙な心の温度差によって、先生のほうが有利に働き前述のような達人的なことが出来るのです。但しそれでは先生一人が出来ることであって弟子に伝わる「技の継承」にはなりません。私自身の考える武術・武芸者とは、相手誰であろうと正面から打ち倒せ且つ叉制することが自在に出来る技と心身の鍛練を怠らぬ者。そして現在ではその技をいかに広く自分の弟子達に伝えるマニュアルを確立している者でなくては意味をなさないと考えます。 つまり普通に考えて身体を使って指導していれば簡単に身体は痛んでいくものです。達人と言われるなら少なくともこんな思いをしなくてはならないのではないでしょうか…。私はそうします。それしか知りませんしそれが最短・最良と考えます。
# by katsumi-okuda | 2004-06-28 11:19 | 稽古日誌