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武道カラテ稽古日記

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第一回「千葉県極真空手道選手権大会」…

 3月2日(土)千葉県流山市民総合体育館にて第一回となる「千葉県極真空手道選手権大会」開催させて頂きました。
 まずは、参加・来場された全ての皆様にまずは一言お礼と深い感謝の言葉を述べさせて頂きます。
本当にご苦労様でした。
そして、ありがとうございました。

選手のみなさんと関係者各位。
わざわざお越しいただいた総極真副代表、大石最高師範。
そして、遠方各地よりお集まり頂いた各県師範の皆様。
ご賛同頂いた他団体の諸先生方。
お手伝い頂いたご父兄の皆様と道場関係者の皆さん。

おおむね、初めての大会。
そして、初回にして250名をこす選手数と試合数をこなしたことを考慮して「成功」とさせて頂いてもよいだろうとは思っています。
無論、さまざまな不手際は当然のように山積しております。
ご不快な思いをされた皆様には深く陳謝申し上げる他ありません。
ですが、それ以上に前日、そして当日いや、これまでに関わった全ての方々のご苦労に私は頭を下げるほかありません。運営に携わった全てのみなさんに本当に感謝の一言です。
本当にありがとうございました。

 確かに運営することの大変さは、わかっていましたが、やってみてわかることもたくさんありましたし、それ以上に「学ぶ」ことの多さに眼を見開かされる思いでした。

試合結果等に関しては、他の方々がUPして頂いておりますので、ここでの詳細は省かせて頂きたいと思います。
ですが、選手のみんな、特に始めて大きな大会に臨んだ少年部のみんな。
本当に頑張りましたね…全然応援も出来ませんでしたが、今度稽古の時に改めて大いに褒めたいと思っています。結果はどうであれ、一人で立ち向かった貴重な体験を一つしたわけです。
悔しい結果、怖い思いもしたことと思います。
ですが、それこそが、大きな「学び」だということを忘れないで次も又「挑んで」もらいたいと切に思っています。

ちなみに、私たち「大会協力委員会」の大会は五月に「埼玉」七月「神奈川」九月「福島」十一月「東京」とあります。また総極真としての大会もほぼ毎月ありますので、どんどん挑戦してみて下さい。折角の機会ですし、今回の貴重な体験を無駄にすることなく高めていけるようにしていきましょうね。

残念ながら結果のでなかったみなさん。
それに挫けたり、あきらめたりしないで頂きたいと切に思います。
あきらめたり、やめてしまっては本当の負けになってしまいます。
何度、負けても数多く「挑み続ける」ことが大事なのです。
本当の「勇気」や「成長」とは、そこからはじまる
ことを忘れてはなりません。

このような機会だからこそ同じ年代、学年の友達たちの凄さや頑張りを目の当たりにすることが出来ます。それを子供達の眼を通して何を感じたかが大事なのです。
観ることとは一つの大きな「経験」でもあります。
そして、同じ学年で出来ないことはないと思ってもらいたいと思っています。
それは、同じ道場生たちが証明していることを忘れないでもらいたい。

先生達も、みんな以上にこれからも頑張っていきたいと思っています。
道場生一丸となって次の機会に向け、これからも頑張っていきましょうね。
せっかく、素晴らしい機会を得て一歩大きく成長したのですから…。
そして、ご尽力願ったご父兄の皆様。
どうか、この結果だけで判断することなくお子様の成長を大きく促す私共の大会等をこれからもご支援・ご参加願いますよう紙面をかりお願い申し上げます。


ちなみに4月7日(日) ららぽーと柏の葉にて「合同演武&イベント」終日おこないます。
追って道場生全員、関係者各位ご連絡致しますのでこちらもよろしくお願いします。


個々の反省点(選手・運営)については、後日あらためて機会と場所を設けますので選手、運営に関わったすべての皆さん、ご意見等よろしくお願いいたします。
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# by katsumi-okuda | 2013-03-05 10:12 | 団体のお知らせ

昇段審査…その意味合い

 日曜、福島県門馬道場の「昇段審査会」に参加させて頂いた。
詳細は、別項に譲るが、「審査」について思うこと。
特に「組手」について思うことを私見として述べてみたい。

 本来、審査とはふだんの稽古姿勢と完成度を師範達に見てもらい承認して頂くもの。
ふだんいつも師範に見てもらえているのなら構わないが、そうでないことを鑑みて行うもの。
私も総裁に審査してもらった際「ふだんどれくらいのことをマスターしたか見たい。だから倒す組手や汚い組手・型は見たくない」と言われていたことを思い起こす。

 そして、私もその観点に立ち「審査」を行っている。
ふだん見てもらえていない「先生」「指導員」の人たちのめがねにかなうか否か審査してもらう。
その集計をもとに総合判断として私が、認可するという形をとっている。

 ちなみに私は「基本」「型」の評価は厳しい。
出来て当たり前。その帯に相応しい「量と質」に達しているかどうか。
所詮、この心身をもって全てを行うのが人というもの。
ならば、基本や型でまずは「正しい」ことが、できなければ、組手でそれ以上は望むべくもないと思っている。


 基本や型のどこが組手に繋がるかと言う議論は、ここでは述べないが、少なくとも基本が正しく行えない者の組手に「先の伸び」はないと思っている。
厳しいようだが、私たちはあくまで「武道」を志しているのであって、一時の強さや見かけの上手さだけを見ているつもりはない。

 そして、そのための「基礎体力」である。
何をやるにせよ「体力」がついてこなければ、どの世界でも話にならない。
しかしだからと言って誰も彼も、一定の容量をこなせということでは決してない。
そのクラス・ランクによる適切な体力は、身に付けてもらうという話し。

 ただ、若い青少年や選手を志そうとする者にその甘えはないと思わねばならない。
辛く厳しいことをふだん誰も見ていないところでやり遂げることこそが「強さ」
さまざまなことを自身の糧とし「意の力」にかえていけることが大事。

辛く厳しいことに逃げ出さず、そして一応の到達点を見るのが審査であり「昇段」なのです。
「黒帯は、何色にも染まらない。だからその確固たる意志を顕わしあらためて初心にかえること。
ゆえに初段と称する」とは武道の金言。

ただ強い上手いだけではない。
さまざまな場合・状況において適切な理性と行動が出来ること。


その最たる状況こそが「組手」なのです。
どんな相手・場所であっても一切変わること無く「心身」を操ること。
初心の者は、特に組手になると途端に我を忘れ無謀に動くことをする。
それでは、何の意味もない。
どんな時であっても、たとえ激しい打突にあってる最中であっても、自身をコントロール出来なければならない。それが出来てこその「武道」であろう。

一般に稽古内の組手と競技の組手の有り様は違う。
全開で動けば、人は二分と持たないと言う。
全日本級の選手たちでさえ、せいぜい最高の動きが出来るのは2分2回程度。
では、この昇段における多人数組手の意味とは何か!?

つまりは「ふだんの稽古で心身共にどれだけ動けているか」を観るためのものと考えてもいい。
だから、無理矢理倒す組手をする必要はない。
そのランク(選手・壮年・女性)に応じた組手があってもいいと思っている。
だから、選手クラスの昇段審査は、それなりに過酷となるのが常であり当然だと理解出来る。
そして、年長者や指導員の組手は、相手の技量を引き出すまでの組手をも敢行しなければならない。

多人数組手が、ただの「スパークリング」だと揶揄する輩もいる。
だが、それでも、やってみればどれだけ「キツい」かが、わかる。
少なくとも相手の打突を受けながら、そして思考しながら行う組手の過酷さは、やったものにしかわからない。

「ウチの審査のほうがキツい」とか低次元の話しは聞き飽きた。
審査がキツいというより、ふだんの稽古がキツくなくてどうするのか!?
ふだんやっていれば、キツい審査などというものは、存在しない。
一つには、そのために準備するのが、ふだんの稽古そして鍛錬なのではないか。


だから、私は私も道場生にも、一定の過酷な稽古・鍛錬を敢行させている。
ふだんの稽古・鍛錬の有り様を見せるのが審査であり、そして試合である。
稽古が足りなければ、それだけの結果しかついてこない事実をしるべきである。

審査とは、今の自身を知る機会にほかならない。
さて、今週末、いよいよ私共の「大会」。
その稽古・鍛錬の成果をいかんなく選手の皆さんには、発露して頂きたい。
昇段審査…その意味合い_a0026020_15173288.jpg

# by katsumi-okuda | 2013-02-25 15:17 | 稽古日誌

前を向いて…立ち向かう

 久しぶりに更新です。
流石の私も…少々忙しすぎるというか考えることやることが多い。

 大会まで残すところ十日あまり。
今日の稽古は、大会前ということもあり人数が多かった。
稽古後、手分けして細かな作業を全員に手伝ってもらいました。
人手があると流石に一気に終わらせることが出来ました。
手伝ってもらった皆さん、ありがとうございました。
そして、大会当日は、何かと助けて頂くこととなりますので、よろしくお願いします。

 私たちの道場から出場する子供達の多くは、初めて試合に臨む子供達ばかりです。
それだけにご父兄の皆さんも、そして子供達も不安や緊張感で一杯のことと思います。
また、あまり試合というものがわかっておらず、何をしにいくのか要領をえない子供達も多く見受けられます。

 いきなり「場違い」なところへ来てしまった。
…何かいきなり「試合」が…
あっという間に…終わってしまった。
痛かったし、苦しかった…試合前は何か嫌な感じもしたし恐かった。

 初めての子供達の感想は、きっとこんな感じなのでしょう。
当然だと思います。
それでも、この「経験」をしてもらいたいと思っています。

人は、どんな物事でも何度か経験することで「慣れる」ことが出来るものです。
でも、初めてのことには当然「慣れる」以前に「出来る」はずもありません。

目の前の相手と「自分一人で戦う」という「体験」
逃げ出したいという感情を押し殺し、立ち向かっていく「本当の勇気」をそこで初めて知る。


人は、一度「困難」から逃げ出してしまうと次も又何かと理屈をつけて「逃げて」しまう悪い要領を覚えてしまうものなのです。そうすることで折角、もっと伸びるはずの「可能性」を縮めてしまうことになってしまうのです。

 ですから、年若い幼いうちに多くの「困難」に立ち向かう「正しい競い合い」を体験すべきなのです。例え結果、負けたとしても、真正面から立ち向かった「勇気」は、その人の心身に正しく残り大きな糧となるのです。本当の「負け」とは「あきらめた」その時なのです。つまり、諦めずにまた「挑み続ける」のなら、その人は「負けてはいない」のです。
「続けていれば、その失敗や負けは良い経験になるばかりか成長の証となる」


 大会、試合の意義の一つは、そこにあります。
困難と自身の弱さを知る為、そして真の強さを養うために「前を向き、立ち向かうこと」です。

人は何かをしなければならない時
頼れるのは「自分自身」しかいないのです。
たとえ「受験」でも、難しい「仕事」や「勉強」でさえも同じなのです。
その時、この経験を幾度となくくぐり抜けてきたならば、必ずそれは「大きな支え」となって自身を支え奮い立たせてくれるもの
となってくれるでしょう。

そして、多くの初めて会う「友達たち」の頑張りや「凄さ」を見ることもまた、大変貴重な機会となるはずでしょう。
そこでまた、いろいろなことを思い感ずる。
それこそが「活きた学び」となるのです。

凄いなぁと驚嘆、感心する。
どうしてもっと自分は、頑張れなかったんだろうと後悔の念に苛まれる。
次は、もっと頑張れるかな…やれるかな…。
どんなことでもいいのです。
何か一つでも、感じてもらうこと、そして出来れば考えてもらうこと
です。

 私たちは「武道」を志しているのです。
ただの「競技」ではありません。
たった一度や数度の試合を経験しただけで良いというものではないのです。
試合は、あくまで「大事な稽古」の一つではありますが「全て」ではありません。

武道に終わりはないとよく言います。
確かに忙しくて稽古に満足に通うことも侭ならないこともあるでしょう。
でも、考えることや拳を握ること呼吸や姿勢を正すことは、いつでも出来る。
そして、それを意識している限り私たちは「武道」の志しを忘れていないと言えるのです。

よく子供達に言います。
「少年部から中等部、忙しくて大変だろうけど週一回でも、わずかな時間でも続けてごらん。その先に皆が見たことのない自分の姿を見ること感ずることが、きっと出来る。
そして、高校一、二年になると今まで歯が立たなかった一般部の先輩達と互角以上に渡り合えるように必ずなるから…そうしたら、少しは自分を褒めて上げられる…強くなったとね。


本当の強さとは、人それぞれだと思います。
でも、続けていける「強さ」は、誰にでも手に入れることが出来るものということを忘れないでもらいたいですね。そして、その「強さ」は、どんなことにでも応用の効く「大きな力」だということを知って下さい。
前を向いて…立ち向かう_a0026020_2174427.jpg

# by katsumi-okuda | 2013-02-22 02:18 | 稽古日誌

今日は…

 私事で申し訳ないですが…
今日、2月14日は、私の誕生日です。
世間では、バレンタインデーです。
ので、私の誕生日プレゼントは、大抵「チョコ」となります…なんかなぁっていつも思ってました。

 私の通っていた幼稚園がキリスト系でしたので、幼いときから知ってはいましたが…
だからどうってこともなく…

まして、この歳になると…
でも、やっぱりいろいろな方から声をかけて頂くのは有り難いことですね。
その分、益々精進しなくてはと勝手に思ったりしています。

そして、来年はいよいよというかなんというか…人生折り返しの「還暦」ですね。
でも、だからどうということもなく…です。
私にとって、年齢とは「ただの記号」だと勝手に思っています。

自分が、若い頃や子供の頃…この年齢って…完璧に「おじいちゃん」でしたね。
でも、今の人たちは、それぞれみんな「若い」です。
私の周りのクラブの「女性」の皆さんは、若いし素敵です。

まぁ…あまり自覚はないですが、身体のアチコチは確実にガタはきてます。
ですから、それなりの注意はしないといけないとは思っています。
でも、過度に「自分は歳だから…」などとは、口が裂けても言いたくありませんね。
気持ちや考え方は、いつまでも「いつも通り」でいようと思っています。

今、丁度「受験」真っ盛りです。
受験生は、それぞれに一喜一憂しているようですが…
これもまた、考え方次第です。

適正な競争のもと、緊張と不安。
そして、歓喜、落胆を味わうこと。
それをもって人は、正しく立ちそして進めるものだと思っています。
それは、誰によってなされたものでもないのです。
全ては、自分のせい自分の実力の成せる結果でしかない。
特に引き受ける緊張・不安も落胆も、すべて自分一人で受け持たねばならない。

そのとき「負けたら嫌だ。不合格ならどうしよう。」
これらは、実は「負けたら失敗したら格好わるい。恥ずかしい」という過度の感情にほかならない。
人はみんな自分のことだけで実は、精一杯。
誰も、そんなに他人のことなんか気にしちゃいない。
そのことをあんまりにも、感じすぎてしまう。

 あまり気にしない。
秘訣は、それにつきると思う。
ただ、その「強すぎる自意識」を上手く使うことも忘れないで欲しい。
強くなりたい、若くありたい、試合でカッコよく勝ちたい…
どんなことでも、その「欲」を正しく「発動」しなくてはならないですね。

 さて、本当に今年は、そして、コレから「折り返し」です。
今までを踏まえ、より以上を作り上げたいですね。

「まずは世のため人の為、それがすべて自分になる」
「難しいからやろうとしないのではない。やろうとしないから、難しくなるのだ」

まずは、私たちは「カラテの徒」なのです。
まずは「実戦」「実践」あるのみです(^^)
今日は…_a0026020_15414867.jpg

# by katsumi-okuda | 2013-02-14 15:41

さて…もう少しだが

 大会開催まで、あと少し…。
何とか準備の方も、峠を越えた。
一息つく間もなく、次が控えている。

ふだんの仕事もあり、それとの兼ね合いで今後の展望も思案している。
今年は、いろいろな意味で「はじまり」の時なのかも、しれないと思う。

忙しさにかまけている訳ではないが、どうしても稽古量が落ちる。
するとテキメンに「基礎体力」が、削げ落ちていく。
…若ければ、気にも止めない程の低下でも、この齢には「キツい」ものがある。
一端、落ちた体力に磨きをかけるかけるのは、言う程簡単ではない。
でも、そのまま自堕落に低下していくことを私は、何より嫌う。
つまり、自意識が強い。負けていく自分が、嫌なのだ。
ただそれだけ…。

しかし、ある意味「老いては子に従え」とはあたっていると思う。

稽古半ば、補強では若い指導員たちのそれに従うことが多くなってきた。
それもまた、当然だとわかっている。
分かっているつもりだが…

こんな歳になっても、いやこんな年だからこその「悩み」なのかもしれない。
でも、贅沢な悩みだと思っています。
動ける間は、絶対動き続けたい…ただそう願うばかりです。

やればやるほど、先が見えないのが「武道」
いろいろな側面を突き詰めていくことが、私たち年長者の役目。

若い人たちに先んじて「一足先」を私は、観ているのだと思っています。
ここから先、さてどうなっていくのだろうか…
期待とある程度の不安が、綯い交ぜになりながらこの身体を通り抜けていきます。


さてさて、今回多くの方々にお世話になっている。
その中でも「プログラム」編集等…。
本気てもう少しPCやら何やら勉強しようと思っています。
あまり人任せでも、どうかと思いますし…。
あ、でも私はMacですので誰か教えて下さいね。

それと…落ち着いたら「書き物」もしてみようと思っています。
…いつになるやら…ですが…。
さて…もう少しだが_a0026020_21485067.jpg

# by katsumi-okuda | 2013-02-10 21:49 | 稽古日誌