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武道カラテ稽古日記

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ひとりの背中

 その人は、真っ直ぐに立っていた。

小柄な身体は、そのとき大きく見えた。

両の手の指をぴしりと両太ももにそえている。
何分だろう…微動だにしない。

私たち兄弟は、その後ろ姿をただ何も言えず見ていた。

…泣いているように見えた。
その両の肩は、わずかに揺れている。

静かに頭を垂れる。
そしてまた、しばらく動かなかった。

その後ろ姿は、何かとても神々しくも思えた。


ここは、靖国神社。
新緑も過ぎた頃、私たち兄弟は世話になった鹿児島の叔父を東京に招待した。
「いつか靖国を訪ねたい。」
ぽつりと漏らしたその一言が、何か気にかかり半ば無理やり招待した。
招待なんてと言って拒んでいた叔父を説き伏せ、その日を迎えた。
空港に着いてすぐホテルにも向かわず、ここへやってきた。

いつも笑顔を絶やすことのないおじさん。
真っ黒に日焼けした中からのぞくキラキラした瞳は、まるで少年のよう。
歳下の自分たちが、そんなふうにいつも評していたくらい、うらやましいくらい「純」な人。

車が、靖国に差し掛かるとおじさんの顔に緊張感が感じられ始めた。

おじさんは「特攻要員」だった。
いつ出撃していくともわからない「要員」と出撃が命じられた「隊員」とでは色々な意味で違うことをその時、理解はしていなかった。
そして、その辛さや苦しみ哀しみも…。


 長かったか、短かったか今となっては、わからないその邂逅のひと時。
ただ、おじさんにとっては、とてもとても長い時間だったのだろう。

戦後何十年もたち、やっと「戦友たち」と会えたのだから。

ふわりと おじさんが、振り返る。
そこには、いつもと変わらぬその笑顔があった。

「ありがとう!!本当にありがとね」
少し涙ぐんでいた。
少し照れくさかった。
こんなに喜んでくれるなら、もっと早くに呼ぶべきだった。
兄弟の誰もが、そう思った。
そして、自分たちも目頭が熱くなった。


 
 あれから又しぱらく会えていない。
いつも正月に達筆で元気を知らせてくれるおじさんに今年は、会いに行こうと思う。
今、聞いておかなければならないこと伝えておかなければならないことを聞きに。


 靖国の境内を後にするその後ろ姿。
そして、その大きくはない背中が、私には、とても大きく見えて仕方なかった。
そんな背中になれたらいいなと本気で憧れた。

いつも真摯で人に優しく自分厳しい。
今でも憧れている。

張り裂けそうなくらいの哀しみを一手に引き受け、何も言わず過ごす日々の辛さ。
それに負けぬ意志の強さと貴さ。

仕事に励み、家族を大切にし他者を敬う。
若い私たちに足りないものをその行いで示してくれていた。

その後ろ姿を私は、今も、追いかけている。
そんな「本当に強い大人」になりたいと…。
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# by katsumi-okuda | 2013-05-04 01:44 | 読物・語り部

いつのまにか…皐月

 いつの間にか「皐月」…
いつもより肌寒くも感じられた日和でしたが、どうやらいつもの陽気に戻りつつあるようです。
いつもより、あまり予定の入らない「祝日期間」ですが、どうにも貧乏性ですので、いろいろと思案中です。

 今まで思案してきた懸案も、山積みです。
そして、来週からは大会連続(11、12日)となります。
また、月の後半には、新しい「教室」の立ち上げと準備が始まります。
そして、いつものように指導に自身の稽古、鍛錬に向かいます。

 体調は…言い出したら切りがないくらい…です。
それも「ありのまま」ということで進みたいと思っています。

 それに加え「書き物」もしてみたいと思っています。
自身私見となる「カラテ論」
この歳になると誰もが考えるのか「自伝&回顧」
全く畑違いの「小説」etc

…でも…時間が…。
それでも、なんとかやってみたいと思っています。

さて、この「休み期間」みなさんも、いろいろなことを経験してみて下さいね。
でも、体調を崩さぬように楽しみましょう。

私は…妻に変わって夕食を作ったり、一人で映画鑑賞、本屋巡り…かな。
この頃は、家族ばらばら気ままに過ごすのが、常になりつつあります。
いいんだか悪いんだか…。
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# by katsumi-okuda | 2013-05-04 00:23 | 稽古日誌

大切なこと…武道とは

 よく私は、こんなたとえ話をすることがある。
「今の私たちの武道は、何かがあったとき、滞りなくその心身を発露出来ること」
「例えば、目の前で困っている人がいたら助けられる体力と落ち着いた心をいつでも持っていること」
では何故、突いたり蹴ったり危ないことをやっているのでしょう。
単に身体を鍛えるだけなら他にいくらでもあるでしょう。

 そんな声をよく聞きます。
そしてそんな時、私はこう答えます。
確かに私たち「武道」は、手に武器を持つ持たないに関わらず殺傷の技術を修得しています。
その危うく非現実的な「時間」の中からしか得られないモノを知っているからであり、それを日々探究し自身の「人格形成」に役立てようとしているからです。
しかし、その技量は、道場や試合という限られた「場」においてのみ発露することを旨としています。相手と打突を繰り返せば、そこには当然のように「痛み」や「苦しみ」「辛さ」を伴い、時として自身の身体をも大きく傷つけてしまうことも少なくありません。
その体験を通し私たちは、人としての尊厳や思いやりを学ぶことが出来ます。
人と競い合う試合にあっては、相手がいればこそ自分の未熟さを知り相手の優れたところを学ぶことが出来ます。

 ただ、どうしても年若い子供たちは、時として相手との諍いの中で暴力をふるってしまうことも少なくありません。
「だって相手が、先に殴ってきたから」
「アイツが、自分のことを馬鹿にしたから」など…
もっともらしい「理屈」ばかりです。
そんなとき私は、子供たちに言います。
「どんなことが、あっても手を出しては駄目!!例え相手が悪くてもだ! 本当に手を出していい時なんて、そんなにあるものじゃないよ。もし自分や周りの人の命が危険に晒されているのならそれは仕方ないかもしれない。それでも出来る限りのことはしなければならない。それが出来るやれるために自分たちは「武道」を学んでいるんだよ。」

 相手が、殴ってきたらよければいい。殴られるだけの体力があるのなら殴られればいい。そのために鍛えてもいるんだから。そのために強い心を鍛えているんだから。
相手が自分のことを馬鹿にするようなら、言い負かすだけの「知力」を身に付け、それに動じない心を持つこと。それも、ふだんの稽古で身に付けているはず。
それをいつも忘れないでいて欲しいと強く思っています。

 どうしても、その時の感情に流され暴走してしまう子供たちがいます。
教えられないことは子供たちは、出来ないものです。
そして、どんなに毎日教えても忘れてしまう子もいます。
それでも、何度でも何度でも私たち大人は、教え諭さねばならないと思っています。
そして、そのためにも、教えている私自身が、身を質さねばならないと自戒して止みません。


…どんなことがあっても自身の「武器」を使ってはならない。
 例え、最後の最後であっても…「専守防衛」

 私の弟子に「自衛隊」に勤めている者が、少なからずいます。
皆、日々国と国民の平和安定の為に鍛錬を怠らず火急の時、自身を顧みず場に臨もうと真摯に毎日を勤めておられます。

さまざまな意見はあるでしょう。
人を殺傷している武器を保有しながら何が「自衛」だと言う人たちもいます。
よく似ていると思います。
しかし、誰も、人を殺傷したくて武器を磨いているそんな愚か者など少なくとも自衛官の方々にいるはずもありませんし、そんな論議は失礼だと思っています。
確かに有事ある時は、そうなるかもしれません。
しかし、それら全ては「防ぐため」ではないでしょうか。
私たち今の武道の解釈のひとつも同じだと思っています。

 一生使うことのない「武器」を丹念に磨き続ける心。
それこそが、最も「強い武器」なのではないでしょうか。
その行いは奇しくも尊く多くの命が奪われた災害において皆の知るところとなりました。
自身の身内の安否も分からぬ中、被災者のために過酷な作業を黙々と繰り返す「公の人たち」と心ある「私人」の多くを私たちは、知っています。

 少なくとも、市井の私たちも、それに習う姿勢を見習いたいと思っています。
幼い子供たちと向き合い、そのことを自分も学ぶ為に…
そのための「術」が、私たちにとって「カラテ」であったにすぎないのです。

 武道は、スポーツ(楽しみ)とは違います。
確かに競技としてのカラテもあります。
しかし、それは武道の一葉でしかありません。
それらを通し、学ぶべきことは「心の有り様」に他なりません。

 子供たちには失敗はつきものです。
しかし、失敗をそのままにしておくことや挫けることはよくないことを知ってもらいたい。
失敗は成功への経験の一つ。
それを次に活かせてこその武道なのですから。

いついかなるときも、礼を忘れず、卑劣な振る舞いは断じあってはならない。
それを学ぶ為に私たちは、絶えず自身を律しなければならない。
例えそれが、私たちのような大人であっても、いや年長の者だからこそ…
子供は、私たち大人の写し鏡なのだから。
ふだんの生活の中にさえあっても、その気概は忘れてはならない。
# by katsumi-okuda | 2013-04-29 23:53 | 稽古日誌

久しぶりに…

 何気に気忙しい。
何がどうしたという訳でも、ないのですが…捗らない。
そんな時も、侭あるものと達観するまでには至らない。
だからと言って、立ち止まるのもどうかと思う。
故に稽古に指導に専念するしかないといつも、そんなとき思う。

 新しいことを立ち上げていく為に様々なことを整えなくてはならないのだが…
色々なことが絡み合い、中々素直に進まない。
いつものことと言えば、それまでなんですが…
立ち止まって悩んでいても、何も始まらない。ともかく動きながら考えそして悩む」こととする。
自分流のやり方ですが、そのほうがいくらか健全な気がします。

 今日は、水戸から「個別審査」ということもありS場さんとWさんが、稽古参加された。
という訳でもないが、いろいろと話させてもらった。
私たちの稽古の厳しさの意味、型の意味合い、心身の関わり。

 いつものことだが、総じてそんな話をするしているときは、
自分に問いかけていることが多いと思っている。
忘れかけていることや自身に喚起しなければならないこと。
そして、決する時に…。

 何をするにしても、やはり「心力」だと思っている。
よしっと心に決し奮い立たせ、あとは一歩踏み出す。
それを毎日のように繰り出す。
でも、どうしても駄目なときも当然人間だからある。
そんなときは、ただ目の前の仕事を淡々と片付けるか。本当に何もしないか。
将又、架空の世界(読書です)に逃避し、ひと時を過ごすかである。

 いたって単純に出来ている、はたまた楽観的なのか。
幸いなことに、それで均衡が取れているのだから、それはそれで有り難い。

どんなことでも、自身で立ち上げていく「目標」である以上
それを乗り越えていく時、いけるかどうかは、やはり当然「自身」にかかってくる。
だからこそ、自身の「心的コントロール」は大事だと思っている。

例えば、どんな時でも熱くならず「いつも通りの組手」を敢行するのもその一つ。
冷静、客観的に自身を見つめ「伸ばすべきところは伸ばす」「苦手なところは無理せず丁寧に」である。何も考えず稽古していては、無駄以外の何ものでもない。
それは、学業でも仕事でも同じであろうと思っている。

…にしても、この頃ケントの「補強」が、キツい…いやキツく感じ始めているのか。
考えたくないが、少し「衰えている早さ」を感じている。
だから…稽古に「心力」を注がなくては何にもならないと思っている。
…でも、キツいモノはキツい(^^)か…。
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# by katsumi-okuda | 2013-04-26 01:05 | 稽古日誌

静岡にて…大会出向

 土日と静岡入りし「全日本型選手権」「東日本大会」の審判、そして総極真会議出席。
春なのに…と言いたくなる程肌寒い…土曜日が落ちてから冷たい雨が落ちてきた。

 大会はいつも通りというか、いつも以上の進行のスムース。
特に二日目、組手試合は、いつも通り午前中から開始し全8コートで一斉にスタートしたと思ったら
午後二時前後に殆どの試合が、終わってしまった。
私の記憶にある限り最短ではないか…と。
それにしても、両日共700試合をこえる大会にも関わらず、運営に関わった静岡大石道場の底力を観させてもらった。私たちも、これらに習うよう努めなければならないと改めて思いました。

 会議の詳細は省くが、これからのことをまざまざと考えさせられるものとなった。
団体あっての道場ではあるが、まずは自身の道場が、どうあるべきか。
そして、総極真の道場同士、特に近場の道場同士がこれからも密に連携していかなければならないとも強く思った。

 試合の結果は、いずれ伝え聞くことだと思うのでここで詳しい内容は省かせて頂く。
ただ一般男子上級は、私たちの大会でも優勝をもっていった「日下部」クンでした。
僅差の判定をモノにするその試合運びは、流石長年のキャリアのなせるワザ。
そして、何より「若さ」「馬力」である。
今回、特に眼を引いたのは、その「若い力」であった。
惜敗した選手たちも、多くいたし、まだまだ荒削りであることには変わりはない。
しかし、何にもまして「試合に出続けよう」という意欲と「勝ちにこだわる姿勢」は観るべきモノがある。

 特に中高校生たちやそれに続く若い人たちは、その一時期「カラテ」にかけてもらいたい。
決して、そのことはその人たちのそれからの人生に無駄になる者ではない。
それどころか必ずや自身の大きな財産そして糧となると信じて疑わない。

 学校や部活そして「色々なこと」に悩み翻弄される時代ではある。
だからこそである。
それらをすべて振り切れとは、言わない。
それらと融合・共生しながら深化してもらいたいと願う。
勉学も部活も、疎かにすることなく、それらの糧となる「稽古」そして「試合」に大いに挑んでもらいたいと切望して止まない。
 そして、そんな姿を今大会、本当に多く観させてもらった。
# by katsumi-okuda | 2013-04-21 23:10 | 団体のお知らせ