武道カラテ稽古日記

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願わくば

後少しで総極真として第一回目の世界大会…

何も出来ずじまいで歯痒いばかりですが、日本選手団の皆さんに改めてyellをおくりたい。

特に若い選手の皆さんには大いに期待しております。別段、餞けでもお世辞でもなく今の若い選手の皆さんは、これまでの体力勝負一本槍な画一化された戦い方ではなく、それぞれの資質にあった戦い方を良く体現されていると感じております。

軽中量の選手、まして若い選手が、勝ちあがる姿それこそが、競技、武道として一つの応えでもあろうと思います。

その技量を体現するために並々ならぬ稽古と鍛錬、そして個々の葛藤苦悩が、あったことと思います。
そして、それらを乗り越えるためそれぞれの想いが、あろうことを感じております。

そしてまた、忘れないで頂きたい。
いや、それらを自身のチカラに変えて頂きたい。

それは、陰日向から皆さんを支えてくれているご両親や御家族そして共に稽古に汗してくれる仲間達と精神的支えであろう師範先生方…数え上げればキリがないほどの人々に支えられ、そしてその大舞台に立てることの誇らしさを感じとり、出来る限りの「大暴れ」をして頂きたいと願うばかりです。
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by katsumi-okuda | 2016-10-16 08:04

真似ると学ぶ

特に少年部の男子に多い。
すぐに覚えることは出来るが、その後の反復練習を疎かにしがちであからさまに手を抜く。
他のこととと稽古の切り替えが、出来ない。
そんな子供たちに私は、容赦無く叱責する。

同じ様に、稽古始めの柔軟準備運動や基本で手を抜く者を私は、決して認めない。

物事の初手から手を抜く者や日々の単純な稽古鍛錬を疎かにする者に大成する者はいないことを断言して憚らない。

例えば、世の中に稀有な人材というものはある。
拳立ての少しも出来ない者が格闘技の世界で活躍している例もある。
しかし、これは稀有な例であり、その個人の資質によるところが大きい。よって、凡人の我々が、その稀有なやり方を「真似」たからといってどれだけの効果があるのだろうか?
いや、あるはずもない。

我々普通の者は、少なくとも日々の単純な稽古鍛錬を積むことに本義を見いださなければならない。
「天才の真似をしても天才には、なれないしならない。」

「真似る」とは、その語源が示す通り「学ぶ」に通ずる。
師を真似る。他者の良きところを真似、そのから自身に合うべきものを取捨選択し活かしていくこと、そのものが学ぶということではなかろうか。

特に若い道場生や子供達には、苦言になろうが、敢えて私は、そのことに厳しく言下におくこととする。この先、彼らが、物事を成し遂げていく為に必要なことを私たちの道場で学んで欲しいと願うばかりだ。
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by katsumi-okuda | 2016-10-02 07:43