武道カラテ稽古日記

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武道の矜持

ここに記することは、ふだん稽古の内外で話していることです。
そして今、これからの市井の道場の在り方、私どもの道場の在り方を模索しております。

私どものカラテは「武道空手」を標榜しております。それは例え、競技として確立された試合であっても厳守しなければならない矜持とも言える大原則です。

試合とは、ふだんの稽古の成果を示す一つの機会です。確かに試合とは、厳正な規則の元に行わなければなりません。それを無視していたのでは、競技は、成り立ちません。

試合後、判定を受けるまで僅差で自分が、勝ったと思っても、それは自分が思っているだけのこと。試合とは、公正な第三者である「見とどけ人」「審判」の手に委ねられているのです。
ですから、その判定に疑問を挟むことを私達は、良しとはしません。(試合規定にも明記されている)
僅差で負けたのなら、それを真摯に受け止め次の稽古や機会に活かせる心根が大切です。
例え、その判定に不満があったとしてもです。
明確な優勢勝ちや一本勝ちでない限り、自分の負けと思えと私は、常に道場生に言い伝えているのも、そこに訳があります。

何故そこまでしなければならないのか?
それは、私達が、やっていることが武道である以上、武道としての「立ち振る舞い」が必須だからに他なりません。

試合中、相手の攻撃が顔面に当たったと審判にアピールする選手(子供たちでさえ…)が、います。あまつさえ、当たったことを、殊更アピールしたいのか、装着しているヘッドギアをとる選手が、おりました。試合最中では、ありましたが、その時私は、激しく叱責しました。
(ヘッドギアを脱ぎ捨てる元気があるなら、そのまま戦えと言いたい)

以前にも書きましたが、私どもの競技において、無論、顔面への殴打は重大な反則行為です。ですが、武道を志している者として叩かれる隙を見せた自分の技量の無さも、思わなければならない。
また、気概としては「ヤられたらやり返す」気概が、なければ闘いそのものに遅れをとることになると常に考え稽古にあたらなければならない。
何故ならば、再度繰り返すが、私達は、武道を志している者なのだからです。

試合前、選手宣誓で「武道精神に則り」とは、正にそのことを指しているのです。

競技である以上、勝ちにはこだわらなければならない。しかし、だからといって、ルールのもと何をやってもいいのとは大きく違う。

武道とは、道が示す通り「長い道程」である。
今日、昨日、勝った負けたなどに何時迄も心を囚われてはならない。
少なくとも十年後、それ以上に自身の「立ち振る舞い」に現れるよう努めなければならない。

特に子供達や選手は、勝ち負けを気にかける。
そして、それを思うあまり、多くが道半ばで道場を離れることが、侭ある。
正しい我慢、辛抱を今少ししてもらいたいと思うのは、私の老婆心からなのか。

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by katsumi-okuda | 2016-09-30 21:38