武道カラテ稽古日記

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カテゴリ:稽古日誌( 1311 )

 当たり前なのか何なのか

 天候の変化がのせいなのか…

右手の痛みはピークになり常時、鎮痛剤のお世話になっている。

ただピークなだけに、あとは何とかなだめながらやるしかないと毎度のように半ば諦めてはいるが…にしても、満足な鍛錬も稽古も出来ないのは、結構なストレス…。

加えて、朝食を食べていたら突然、犬歯が折れてしまい、少し愕然…
以前から治療してたのをほっといたせいとどうやら寝てる時、強く噛み締めるクセがあるせいらしく、何の変哲も無いというか柔らかなパンで歯が折れたのにビックリした。

ちなみに歯医者さんの道場生の方が言ってらしたが、結構柔らかなパンなどで折れたりするらしいと…でも、不摂生なだけで、これから少しはまじめに治療していくことにする…
眼や耳、そして歯などは、そうそう鍛えようもなく、ただ丁寧に使うことが、この年齢からは試されるのかもです。

by katsumi-okuda | 2017-10-06 14:50 | 稽古日誌

 どんなスポーツでも

 どんなスポーツでも、当たり前ではあるが…
まず「基礎体力」がなければならない。

もちろん競技としてのパフォーマンスを上げるため、そして、不要な怪我を負わない為。

 一昔前なら「充分な基礎体力さえあれば、県大会レベルは、戦える」と言われてきたが、今は、当然のようにそれだけで上位に食い込むことは、ままならない。

 充分な基礎体力と練度の高い技術力と経験値。
そして、本番で試合に直面した時の冷静な対処力。
それを包括して余りある「精神力」

 それを難なくこなしている子供達や若い世代を目の当たりにすると頼もしくも驚きもする。

何にせよ、ふだんの稽古や生活全般で、どのようにそれらを培っていくけるか、そして、導いていけるか…。
どんなことからも、真摯に学ぶこと。
どんなことでも、しっかりと考え行えること。
そして、それらが、最も難しい。

何も考えず漫然と過ごしていれば、どんなに見た目頑張っているようでも、その効果は少ない。


by katsumi-okuda | 2017-09-26 17:06 | 稽古日誌

 続けるということ

 何かをはじめることに遅すぎるということはない。難しいのは、それを続けること。

例え失敗しても、諦めずに続ける限り「負け」はない。勝ちにつながる自身の確かな成長が、そこに生まれ、それこそが真の強さになる。
 古今の話は、いつでも真理をついているものです。

 よくある話ですが、昔やっていた(昔、黒帯をとった輩)だけで、今は稽古一つしていないのに大会や試合などで偉そうに選手に講釈を垂れてる勘違い者が、いる。いい迷惑以外の何者でもない。常識を弁えているなら選手たちの健闘を称え勇気づける言葉を一言添えるだけでいいものを…。

 だから、私の道場で一番称えられることは、稽古を続けていることにつきる。
それ以外は、論外である。
例え他のトレーニングをやっていようとも。
稽古に欠かさず参加しどんなに不恰好でも、稽古をし続けている者こそ本当の「先輩」であり「指導者」となりえる。
だから私は、どんなに不恰好でも稽古はやめない。本当に動けなくなったら後進に受け継がせることを厭わない。

 
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by katsumi-okuda | 2017-09-12 20:43 | 稽古日誌

秋の景色に…

 すっかりと秋の景色になりすましているかのように、ここ数日涼しい。
いや、涼し過ぎるかもしれない^_^

 七月後半からのあの猛暑は、一体何だったのでしょう?

確かにこの身には、楽なことにこしたことは、ありません。あちこち痛いのは、あいも変わらずなのですが、少しは、氣分として楽…。

 さて、残りの年も既にあと後半…(-_-;)

生理学的にも、歳を重ねた私たちのほうが、子供達より月日の流れを早く感じてしまうのは、理解もしているのですが…にしても、本当に早く感じられ、一抹の寂しさを感じてしまいますね。

 仕事柄、人に尋ねられることがあります。
「緊張しないようになりたい。」と

大抵の人は、何かに直面したり、これから予想される出来事に対して少なからず「緊張」します。その緊張を無くすことは、果たして可能なのでしょうか?

私達武道の世界でこれらの応えとして
「平常心を養う」「心を修養鍛錬し、それに備える」としています。

しかし、果たして本当でしょうか?

平常心…とは、常に平な心持ちということ。
例えば、試合や試験の時、場所も相手も、まして自分の気分も、ともかく何もかも全く違う状況なのに、はて「普通と同じでいろ!平常心を保て」と言われても…(-_-;)

普通にムリだと思いますね。
私は…出来ません。

なのでフリをします。
騙します。
自分自身を(^ - ^

落ち着いてるフリ。
自信満々なフリをします。

相手を怖いと思う当然の心持ちに向き合います。その上で何をしていくか客観的に思考していきます。その際にフリでも構わないので「あきらめない」そして「ナゾの自信満々なココロ」を抱く…
 ただし、それに見合うだけの「稽古」「鍛錬」そして「勉強」をおさめていること。

私は、試合や審査などでは、もちろん緊張もしますので、騙し騙し臨むことが多かったのですが…
ただ「この技は、出そう」とか「この受け返しだけは、やろう」といつも思っていましたね。
 そのことに専念しているウチに緊張していることを当然のように思え、気分的に気にならなくなりました。

この歳でもまだまだ緊張するシーンなんてごまんとあるのですから、それこそ緊張するのが、当たり前だと思って、それに真正面から対峙することが、まず大事ですね。
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by katsumi-okuda | 2017-09-03 08:18 | 稽古日誌

そういうもの…

久しぶりに更新となります。

何故か自分の心身の不調に合わせるかのように、ことごとく周辺の機器が、壊れてしまいました。壊れてないものも、あるのですが…何故か不調です_| ̄|○

換えるつもりは毛頭なかった携帯が、朝起きたら全く反応しなくなってました。
慌てて携帯を変えてしまい…いろいろと設定にまごついてしまい皆さんにご迷惑をお掛けしている真っ最中(._.)


さて、どうやら毎年のことなのですが、春から梅雨までの間、毎度不調になりますが、どうにかそれも峠を越えているようです。
ですので、いろいろとやっていこうと思っております。

まずは、新しい携帯(iphon6プラス)に慣れなくてはいけないのですが…やっぱり「デカイ」です。何気に文字が打ちづらいです。
でも、画像は流石に綺麗で時の流れを感じてしまいました。
(iphon6プラスとiPadAir.そして、連絡用にガラケー一台、ポケットWi-Fi…なんでこんなに(._.)
これで仕事してますから、これも時代の流れですかね…

さて、新しい事項ですが、まず、少年部のご父兄の皆さんのご要望で稽古後に「学習会」を試験的にやってます。多分そのまま「学習会」という形でクラスを設けることになる予定です。

また、新しい教室の開校というか設定をしています。今までの道場というか形から一歩進めた形になればと願っています。

そして、仕事の一つなのですが、学習教育関連のセミナーや出向も準備中です。
中高生向けの学習方法や実際の講義、セミナーを考えております。
特に私たちの団体の道場からの依頼があれば真っ先に伺いたいと願っておりますので、何かありましたら私までご連絡ください^_^
もちろん、ご父兄のためのセミナー「道場稽古と学校の兼ね合いについて」などお話しできればと考えております。

さぁ今週末は、福島県白河まで出向です。
門馬道場の内部試合なのですが、その規模は、軽く県大会レベルです。流石というかなんというか…頑張らなければなりませんが、門馬師範初め皆さんにお会い出来ることが大きな楽しみでもあります^_^
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by katsumi-okuda | 2015-06-04 01:12 | 稽古日誌

モノの見方と感じ方

 例えば、同じ稽古をしていても、その感じ方は人それぞれ。
つらく感じた人。キツかったけど楽しかったと感じた人。
自分のためだから、そして、強く上手くなりたいから続けようと思う人。
そして、そう思わない、思わなかった人‥。

 物事の捉え方というものは、本当に人それぞれです。
モノを伝える仕事をしている私たちにとって、それはとても大事なことです。

出来るだけ多くの人たちに興味と意欲をもってもらえるために私たちは、絶えず腐心し研鑽を怠らないようにしなければなりません。

  物事を伝えていく場合、伝える「技術」や「正確な情報」は、とても大切です。
そして、その教え方が、稚拙だったり、正しい情報を正しく解釈し伝えられなかったら‥。
そのことにいつも細心の注意をしなければ、誤った情報や印象が伝わることになってしまう惧れがあります。

 私は学生の頃、歴史学を学んでいました。
歴史を紐解くために「第1級資料」なるものを基本、大前提に学ばなければなりませんでした。
確かに公に定められたモノである以上、疑うことは禁忌であり、そこから逸脱することは絶対不可の時代でしたし、そこまで自身の知識も智恵も持ち合わせていないのですから致し方ないのですが、なぜか判然としない気分で学んでいたことを覚えています。

なぜなら‥「物事を一面からだけ観ていて良いのだろうか」という単純な思い。
そして「歴史は、勝者が書き連ねていくもの」という普遍的な見解。

元から天邪鬼な性格なのか何なのか、結果「学問の徒」には馴染めず、歴史学や考古学は、趣味の領域に止めるに至った。
‥調べれば調べるほどいくら凡庸な頭でも、クビを傾げたくなることが出てくる。
それだけ興味の対象が広がるのですから、楽しいは楽しいのですが‥
さまざまなことに思いを巡らす契機になったのもまた事実です。

 さて、何かを伝えていこう広めていこうという時、いくらなんでも好き勝手なことをまくし立てていたのでは、誰も見向きもしませんし混乱するのは当然です。
また、偏った私見も、御法度です。
伝えるべきことの基本を忠実に守り「正しく」伝えていくことをしなければなりません。
ですので、そこにある一定の「決まりごと」をおくことにしています。

 それは、先に述べた伝える「技術」そして「正確な情報」です。
そして、大げさに言えば、伝える側の「真摯な姿勢・信念」がなければならないと思っています。
ただ、注意しなければならないのは、あまり熱くなりすぎ偏った思考になることだけは避けるべきだとも思っています。

 私たちが、幼い子供たちに受け継いでほしい「武道」としての有り様を正しく伝えるために、様々な事柄で、それらは急務だとも感じています。
正しい礼節とは、思いやりとは、そして真の強さとは何か。
確かに多くを語らず背中で語ることも、必要でしょう。
ですが、言葉にし明文化していかなければ決して伝わらないこともあることを忘れてはならないと思っています。

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by katsumi-okuda | 2015-05-19 00:41 | 稽古日誌

久しぶりに…

いつものことだが…
春先は、大概体調が、思わしくない。

特に今年は…
流石に年のせいなのか、元から病弱だった体質のせいなのか…
気落ちするなと言うのが、難しいくらい心身のバランス確保に悩まされた。

…未だ検査そしてその為の入院もある。
病名が定まればまだしもだが、解らない判然としない「半病人」の有様では、気分も塞ごうというもの。

かと言って、動けないほど悪いかと言うとそうでもない。要は、あまり過度なことは様子を見て…ということなのだから、余計始末が悪い。
…でも、どのくらいが自分にとって「過度」じゃないのかが、分からなかったりするので、それも何気にストレスになったりする。


何にせよ、今の有り様を嘆いていても始まらない。出来ることから、少しずつでもやらなければ…

幸い今年も、多くの子供たちとの出会いや同輩の皆さんとの「稽古」が出来ることを本当に嬉しく思っています。

どんな身体の状態であれ、皆さんと一緒に稽古出来る喜びは何物にも代え難いのです。
そして、これからより多くの皆さんにこの武道を伝えられたらとも思っております。


公私にわたり、そのことが大きく影を落としておりますので、彼方此方にご迷惑をお掛けしていることを本当に申し訳なくも思っておりますが、今暫くご容赦願えれば幸いとも思い、この場を借りて深謝申し上げます。

さて、今週から少しずつやって参りますので、よろしくお願い致します。

まずは、日曜、鈴木先生の所の演武協力。
そして、ららクラブの父兄会。
新しいカリキュラムの作成と個別指導のカウンセリング。
それから、始動予定の「個別及び個人指導のカラテについて」これは、近日公表予定です^_^
そして、苦手な雑務(._.)

次回は「モノの見方、感じ方」についてです。
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by katsumi-okuda | 2015-05-17 06:51 | 稽古日誌

武道であること

どうしても書いておかねばならないこともある。

先般行われた大会でも、そうだし、私たちの大会でも、見受けられたことの中にどうしても承服しがたい出来事が、ここの所散見している。

それは、「勝ちにこだわる」あまりに規則を守らない、いや曲解してしまう者が、見受けられ他の選手、ご父兄に不快なそして釈然としない気持ちにさせてしまっている…

確かに私たちのやっていることは「競技」だし.その為のルールも当然ある。
ただ、その前に私たちの目指しているものは「武道」であるということ。

大前提として大会ではそのバンフレットやプログラムに必ず「勝敗等に関しては一切受け付けない」趣旨が明記されているということ。
また「競技以外でも他人に迷惑を及ぼす行為をしてはならない」とも書かれている。

それなのに、である。
判定に不服だと手近な審判に食ってかかる輩、試合場をバンバン叩き怒声を上げる輩、体重判定がおかしいと再試合させろと食い下がる者。何故だか試合順を勝手に変更を申し出る者⁇
また、お手伝い頂いている女性スタッフにつきまとう等…

はっきり言って、そんな選手や関係者は、いらない。来なくて結構だと申し述べておく。

いくら勝たせたいからといって、そこまでするのは、私たちの道に反している。
全力で闘った結果、勝ち負けがある。
しかし、その優劣を決めるのは自分ではないのだ。まして応援に来てる指導者や周りの者ではない。その時定められた「公正にして経験豊富な審判」によってである。

また、どうしても不可解、不明瞭な点については、その時の審議委員なり運営委員なりにその趣旨を申し出、それから裁可を待つのが手順であり、その場合でも、納得するしないに関わらず話を聞いてもらうだけである。何故なら、そこまで勝ちにこだわることを潔しとしないからである。

私は道場生や選手達に言い聞かせていることがる「人様の試合、大会に出る以上、圧倒的な優勢勝ちか一本勝ちしかないと思え。判定に不服不平を言ったり、相手反則、例えば顔面強打を殊更アピールするようなみっともない真似だけは絶対にするな。それを決めるのは試合である以上「審判」に委ねるべきもの。そうでなければ、武道は立ち行かない。」
「判定とは、最も近い主審の目や副審の眼でも、相違はあるもの。まして、離れている応援席などからは、うかがい知れないことも多数あるもの。だから、試合である以上、審判の判断に任せなければならない。」
「…本当に顔面を強打され頭を振られた倒れた者は、必ず立ち上がろうとする…本能でそうすると聞く。または昏倒し全く動かなくなる。だから、一拍おいて派手に倒れようとしている者は、ただのアピールに過ぎない「みっともない行為」であり、観ている者に知れてしまう恥ずべき行為なのだ」


武道とは、一つに潔さがあり礼節がある。
試合をするまで、または、それまでの稽古の過程では当然勝つ為に全力を尽くす。
中には全てを捨て精進する者もいる。
だが、だからと言って絶対勝つとは、限らない。
判定で惜しくも負けた場合、納得するしないに関わらず、まず試合という場を設けてもらった全ての者に感謝の意を表さなければならない。当然、闘ってくれた相手もである。
相手がいてくれて今の自分が、わかる。
そして、それからまた、新たな挑戦を心がける一助とするのである。

負ければ当然、悔しい。
しかし、それを直視し進むことこそがぶどをやっていく意味ではないかと私は常に思う。

全力で事に当たれたのであれば勝ち負け等どうでもいい。優劣は、試合である以上他者に委ねるべきもの。そして、自身の心が決める事。

どうしても勝ちにこだりたいのであれば、だれにも文句の言われない勝ち方をどんな状況下でも、やる事。やれる自分を作り上げその場に臨むことでしかない。

確かに運営する側の手違いというものもある。
しかし、それもまた試合であると私は考えている。どのような状況下にあっても対応出来ることもまた私たちの目指している武道の一端ではないだろうか。


あらためてここに書き留めておく。
私たちは「武道団体」である。
ゆえに横紙破りな輩には厳然とした態度を顕にする。そして自らも、それを尊守し体現出来る心身と姿勢を堅持することを表すこととする。
…そうでなければ懸命にやっている選手そして運営にかかわっておられるスタッフの皆さんに申し開きが出来ない。
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by katsumi-okuda | 2015-04-23 11:03 | 稽古日誌

再考…今を生きる武道

いつの頃からか、道場生の大半は子供達と幾らかの壮年部と一般部。

それ自体、悪いことでもないし「時の流れ」「時節柄」と思うが…
さて、そんな中で時に思案することもあります。

私は以前から(完全に私見ですが)こう考えています。
競技としてのカラテ
徳育としてのカラテ
そして、現代の生活に活きるカラテ

大別すると、そんな感じになります。
ふだんの道場運営を考えるとそんな感じだと思っております。

確かに私たちのカラテの本懐は「強さ」にあります。競技で一番になることもそうでしょうし、本音を言えば「ケンカに負けたくない」「強くなりたい」という「本能」めいたものに起因しているように思えます。

別にはじめは、それで良いと思いますし、子供達であれば、純粋に「楽しい」「かっこいい」でも、全然構わないと思います。
その入り口から「勝つことの難しさや大変さ」そして、出来ることの嬉しさと立ち向かう為に大切な心のあり方を学んでくれるなら、それにこしたことはないと思っています。

幼いうちに礼節をわきまえ学ぶことは大事なことですし、大人になっても、それを再確認する為に若い道場生達と交わることも私たち壮年にとっても、大いに有意義なことだと実感もしています。

ふだんの日常生活とは、かけ離れた道場でのひと時は、人として大切なことを思い出させてくれる「場」だと思っております。

時として、辛く厳しい稽古鍛錬と弱い自分と対面する。そしてそこから、新たな気づきがある。他のスポーツに負けない何かがあるとしたら、そのことだと私は、思っています。

痛く辛いことや守らなければならない「約束事」のなかで自身を成長させていく一つの術として私たちは、この「武道」を選んだのです。

ですから、若いうちの勝った負けただけにとらわれず、出来る限り続けて欲しいとも思っています。時に忙しく、時に他のものに気を取られても構わないと思います。出来るときが、きたらまたはじめればいいのです。

「道」は、そこにあるのですから。

迷ったら、その「道」をまた進んでみたら良いと思っています。

どんな人でも迷いはあります。
どんな人でも、逃げ出したくなるときもあります。だからこそ、日常からかけ離れた「道場」という場で何の関わり合いのない道場生達と共に汗を流し息も絶え絶えになるのです。

そのひと時…すべてがリセットされる。
そう私は、実感しています。
多分、ストレスを解消するとは、そういうことをいうのだと思っています。
たまにお酒を飲んでうさを晴らしたい大人の方も、いらっしゃるとは思いますが、健康の為を思えば、道場で発散する方が、よほど生産的だと私は実感していますが…

そして私は、この齢になったからこそ思うことがあります。
無論、私たちのカラテの本懐は「強さ」に他なりませんし、私は道場の長として出来る限りやれる限り、それを希求し続けます。

ただ、過ぎ行く来し方を眺め懐かしんだり自慢したりする気は、毛頭ない。
今が、あるだけなのです。
身体的な強さには、自ずと限界はあります。
ですが、それを補って余りある術もまた私たちは、ここで学ぶことが、出来るのだと確信もしています。

強さには、色々なものがあります。
特に現在に生きる私たちに必要な強さとは、時として「心」であったり「身体」であったりします。その為に大切なものがまず「身の丈に沿う稽古鍛錬から培われる健康」だと実感しています。不健康な「強者」は劇画の世界だけです。
「健康でなくて強い弱いは、論じられない」

どのように身体を動かしていくことが、今の自分にとって最適なことかを学び、そして、実践出来るのが私は、武道武術だと思っています。


ふだんの稽古鍛錬から今の自分の有り様を知る。そして、熟考しまた実践していく。
その繰り返しから生まれる有形無形なものを学びとして明日の糧にしております。

…ひとたび稽古に勤しむと、本当に我を忘れ無理もしがちな年頃^_^です…明日のことも、考えず…。
次の日、いや忘れた頃にやってくる⁉︎身体の痛みに苛まれても、それに勝るものを私は、手に入れていると思っております…いや、そうありたいと願っているのかもしれませんが…

それだけ、やる「価値」のあることだと私は、思っております。
だから、人様にも、勧めているのだと良いように解釈もしております^_^
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by katsumi-okuda | 2015-04-14 00:30 | 稽古日誌

春の陽気に…柏の葉でイベント

朝から春らしい日和。

12日の日曜、地元「柏の葉公園競技場」でチャリティーイベントが、行なわれる。
そこで成田指導員の肝煎りで丸一日「カラテの体験&公開稽古」をやることになった。

朝一番から指定された場所で支度をし、午前11時の一部を開始を待っているとちらほらと白い道着姿が見えてくる。
…中には遠くから元気に手を振ってくれる者もいる。何故か長閑な雰囲気^_^

あまりお客さんは、集まっていないが普通に「公開稽古」

今日の為にわざわざ東京から鈴木先生たちに参加頂いた。
午後からは埼玉から橋本先生たちにも参加頂き、和気あいあいと和やかな雰囲気で子供達の稽古が…。
いつもの違う屋外ということもあり、勝手が違うが、みんな頑張ってくれました。

都合、午後から二回の計三回。

午後からは、指導員たちも揃い、子供達も慣れた子供達が、多くなったせいか、観る以上に「体験」してくれる子供達も増えた。
細々と動いてくれる成田指導員には、助けられた。また、途中(彼女同伴^_^)参加のイブは、小さい子達の面倒をケント指導員と共に見てくれこれも助かった。

最後の三部からの稽古では、人出の多さからなのか色々な知り合いに会えたのには、嬉しかった。
ららぽーとで教えているロシアの子供達。
わざわざ駆けつけてくれた姪っ子夫婦、
近くに住んでいるという久しぶりの昔の道場生(現在、他派閥でやはりカラテの先生をやっている。)が、来た時は、本当にびっくりしたが、話していると瞬く間に昔のような感覚に浸れた。

今回、初めての試みだった為、どこまで観ている方々に伝わったかは定かではないが、それでも、やっただけのことはあるような満足感は、得られたと自己満足している。

流石に早朝からだったので疲れたが、これはこれで心地よい疲れなのは幸い。

まずは「広く認知してもらうこと」
それが、今回の一つの目的でもあり、また、子供達の「慣れ」も作ってあげたかった。
人前でそして、みんなでやることに一つの意義があるとこんな時は、本当に実感する。

朝からお集まり頂いたご家族の皆様、そして遠方からお越し頂いた鈴木先生、橋本先生。その道場生の皆さん。
そして、子供達と一般の指導員の皆さん本当にお疲れ様でした。また機会ありましたら宜しくお願い致します。そして、本当にありがとうございました!

.三部からの稽古の時、強い風が…
「残りの花吹雪」が…
少し寒かったが、何か良い感じがした。
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by katsumi-okuda | 2015-04-13 00:12 | 稽古日誌