武道カラテ稽古日記

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カテゴリ:稽古日誌( 1307 )

そういうもの…

久しぶりに更新となります。

何故か自分の心身の不調に合わせるかのように、ことごとく周辺の機器が、壊れてしまいました。壊れてないものも、あるのですが…何故か不調です_| ̄|○

換えるつもりは毛頭なかった携帯が、朝起きたら全く反応しなくなってました。
慌てて携帯を変えてしまい…いろいろと設定にまごついてしまい皆さんにご迷惑をお掛けしている真っ最中(._.)


さて、どうやら毎年のことなのですが、春から梅雨までの間、毎度不調になりますが、どうにかそれも峠を越えているようです。
ですので、いろいろとやっていこうと思っております。

まずは、新しい携帯(iphon6プラス)に慣れなくてはいけないのですが…やっぱり「デカイ」です。何気に文字が打ちづらいです。
でも、画像は流石に綺麗で時の流れを感じてしまいました。
(iphon6プラスとiPadAir.そして、連絡用にガラケー一台、ポケットWi-Fi…なんでこんなに(._.)
これで仕事してますから、これも時代の流れですかね…

さて、新しい事項ですが、まず、少年部のご父兄の皆さんのご要望で稽古後に「学習会」を試験的にやってます。多分そのまま「学習会」という形でクラスを設けることになる予定です。

また、新しい教室の開校というか設定をしています。今までの道場というか形から一歩進めた形になればと願っています。

そして、仕事の一つなのですが、学習教育関連のセミナーや出向も準備中です。
中高生向けの学習方法や実際の講義、セミナーを考えております。
特に私たちの団体の道場からの依頼があれば真っ先に伺いたいと願っておりますので、何かありましたら私までご連絡ください^_^
もちろん、ご父兄のためのセミナー「道場稽古と学校の兼ね合いについて」などお話しできればと考えております。

さぁ今週末は、福島県白河まで出向です。
門馬道場の内部試合なのですが、その規模は、軽く県大会レベルです。流石というかなんというか…頑張らなければなりませんが、門馬師範初め皆さんにお会い出来ることが大きな楽しみでもあります^_^
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by katsumi-okuda | 2015-06-04 01:12 | 稽古日誌

モノの見方と感じ方

 例えば、同じ稽古をしていても、その感じ方は人それぞれ。
つらく感じた人。キツかったけど楽しかったと感じた人。
自分のためだから、そして、強く上手くなりたいから続けようと思う人。
そして、そう思わない、思わなかった人‥。

 物事の捉え方というものは、本当に人それぞれです。
モノを伝える仕事をしている私たちにとって、それはとても大事なことです。

出来るだけ多くの人たちに興味と意欲をもってもらえるために私たちは、絶えず腐心し研鑽を怠らないようにしなければなりません。

  物事を伝えていく場合、伝える「技術」や「正確な情報」は、とても大切です。
そして、その教え方が、稚拙だったり、正しい情報を正しく解釈し伝えられなかったら‥。
そのことにいつも細心の注意をしなければ、誤った情報や印象が伝わることになってしまう惧れがあります。

 私は学生の頃、歴史学を学んでいました。
歴史を紐解くために「第1級資料」なるものを基本、大前提に学ばなければなりませんでした。
確かに公に定められたモノである以上、疑うことは禁忌であり、そこから逸脱することは絶対不可の時代でしたし、そこまで自身の知識も智恵も持ち合わせていないのですから致し方ないのですが、なぜか判然としない気分で学んでいたことを覚えています。

なぜなら‥「物事を一面からだけ観ていて良いのだろうか」という単純な思い。
そして「歴史は、勝者が書き連ねていくもの」という普遍的な見解。

元から天邪鬼な性格なのか何なのか、結果「学問の徒」には馴染めず、歴史学や考古学は、趣味の領域に止めるに至った。
‥調べれば調べるほどいくら凡庸な頭でも、クビを傾げたくなることが出てくる。
それだけ興味の対象が広がるのですから、楽しいは楽しいのですが‥
さまざまなことに思いを巡らす契機になったのもまた事実です。

 さて、何かを伝えていこう広めていこうという時、いくらなんでも好き勝手なことをまくし立てていたのでは、誰も見向きもしませんし混乱するのは当然です。
また、偏った私見も、御法度です。
伝えるべきことの基本を忠実に守り「正しく」伝えていくことをしなければなりません。
ですので、そこにある一定の「決まりごと」をおくことにしています。

 それは、先に述べた伝える「技術」そして「正確な情報」です。
そして、大げさに言えば、伝える側の「真摯な姿勢・信念」がなければならないと思っています。
ただ、注意しなければならないのは、あまり熱くなりすぎ偏った思考になることだけは避けるべきだとも思っています。

 私たちが、幼い子供たちに受け継いでほしい「武道」としての有り様を正しく伝えるために、様々な事柄で、それらは急務だとも感じています。
正しい礼節とは、思いやりとは、そして真の強さとは何か。
確かに多くを語らず背中で語ることも、必要でしょう。
ですが、言葉にし明文化していかなければ決して伝わらないこともあることを忘れてはならないと思っています。

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by katsumi-okuda | 2015-05-19 00:41 | 稽古日誌

久しぶりに…

いつものことだが…
春先は、大概体調が、思わしくない。

特に今年は…
流石に年のせいなのか、元から病弱だった体質のせいなのか…
気落ちするなと言うのが、難しいくらい心身のバランス確保に悩まされた。

…未だ検査そしてその為の入院もある。
病名が定まればまだしもだが、解らない判然としない「半病人」の有様では、気分も塞ごうというもの。

かと言って、動けないほど悪いかと言うとそうでもない。要は、あまり過度なことは様子を見て…ということなのだから、余計始末が悪い。
…でも、どのくらいが自分にとって「過度」じゃないのかが、分からなかったりするので、それも何気にストレスになったりする。


何にせよ、今の有り様を嘆いていても始まらない。出来ることから、少しずつでもやらなければ…

幸い今年も、多くの子供たちとの出会いや同輩の皆さんとの「稽古」が出来ることを本当に嬉しく思っています。

どんな身体の状態であれ、皆さんと一緒に稽古出来る喜びは何物にも代え難いのです。
そして、これからより多くの皆さんにこの武道を伝えられたらとも思っております。


公私にわたり、そのことが大きく影を落としておりますので、彼方此方にご迷惑をお掛けしていることを本当に申し訳なくも思っておりますが、今暫くご容赦願えれば幸いとも思い、この場を借りて深謝申し上げます。

さて、今週から少しずつやって参りますので、よろしくお願い致します。

まずは、日曜、鈴木先生の所の演武協力。
そして、ららクラブの父兄会。
新しいカリキュラムの作成と個別指導のカウンセリング。
それから、始動予定の「個別及び個人指導のカラテについて」これは、近日公表予定です^_^
そして、苦手な雑務(._.)

次回は「モノの見方、感じ方」についてです。
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by katsumi-okuda | 2015-05-17 06:51 | 稽古日誌

武道であること

どうしても書いておかねばならないこともある。

先般行われた大会でも、そうだし、私たちの大会でも、見受けられたことの中にどうしても承服しがたい出来事が、ここの所散見している。

それは、「勝ちにこだわる」あまりに規則を守らない、いや曲解してしまう者が、見受けられ他の選手、ご父兄に不快なそして釈然としない気持ちにさせてしまっている…

確かに私たちのやっていることは「競技」だし.その為のルールも当然ある。
ただ、その前に私たちの目指しているものは「武道」であるということ。

大前提として大会ではそのバンフレットやプログラムに必ず「勝敗等に関しては一切受け付けない」趣旨が明記されているということ。
また「競技以外でも他人に迷惑を及ぼす行為をしてはならない」とも書かれている。

それなのに、である。
判定に不服だと手近な審判に食ってかかる輩、試合場をバンバン叩き怒声を上げる輩、体重判定がおかしいと再試合させろと食い下がる者。何故だか試合順を勝手に変更を申し出る者⁇
また、お手伝い頂いている女性スタッフにつきまとう等…

はっきり言って、そんな選手や関係者は、いらない。来なくて結構だと申し述べておく。

いくら勝たせたいからといって、そこまでするのは、私たちの道に反している。
全力で闘った結果、勝ち負けがある。
しかし、その優劣を決めるのは自分ではないのだ。まして応援に来てる指導者や周りの者ではない。その時定められた「公正にして経験豊富な審判」によってである。

また、どうしても不可解、不明瞭な点については、その時の審議委員なり運営委員なりにその趣旨を申し出、それから裁可を待つのが手順であり、その場合でも、納得するしないに関わらず話を聞いてもらうだけである。何故なら、そこまで勝ちにこだわることを潔しとしないからである。

私は道場生や選手達に言い聞かせていることがる「人様の試合、大会に出る以上、圧倒的な優勢勝ちか一本勝ちしかないと思え。判定に不服不平を言ったり、相手反則、例えば顔面強打を殊更アピールするようなみっともない真似だけは絶対にするな。それを決めるのは試合である以上「審判」に委ねるべきもの。そうでなければ、武道は立ち行かない。」
「判定とは、最も近い主審の目や副審の眼でも、相違はあるもの。まして、離れている応援席などからは、うかがい知れないことも多数あるもの。だから、試合である以上、審判の判断に任せなければならない。」
「…本当に顔面を強打され頭を振られた倒れた者は、必ず立ち上がろうとする…本能でそうすると聞く。または昏倒し全く動かなくなる。だから、一拍おいて派手に倒れようとしている者は、ただのアピールに過ぎない「みっともない行為」であり、観ている者に知れてしまう恥ずべき行為なのだ」


武道とは、一つに潔さがあり礼節がある。
試合をするまで、または、それまでの稽古の過程では当然勝つ為に全力を尽くす。
中には全てを捨て精進する者もいる。
だが、だからと言って絶対勝つとは、限らない。
判定で惜しくも負けた場合、納得するしないに関わらず、まず試合という場を設けてもらった全ての者に感謝の意を表さなければならない。当然、闘ってくれた相手もである。
相手がいてくれて今の自分が、わかる。
そして、それからまた、新たな挑戦を心がける一助とするのである。

負ければ当然、悔しい。
しかし、それを直視し進むことこそがぶどをやっていく意味ではないかと私は常に思う。

全力で事に当たれたのであれば勝ち負け等どうでもいい。優劣は、試合である以上他者に委ねるべきもの。そして、自身の心が決める事。

どうしても勝ちにこだりたいのであれば、だれにも文句の言われない勝ち方をどんな状況下でも、やる事。やれる自分を作り上げその場に臨むことでしかない。

確かに運営する側の手違いというものもある。
しかし、それもまた試合であると私は考えている。どのような状況下にあっても対応出来ることもまた私たちの目指している武道の一端ではないだろうか。


あらためてここに書き留めておく。
私たちは「武道団体」である。
ゆえに横紙破りな輩には厳然とした態度を顕にする。そして自らも、それを尊守し体現出来る心身と姿勢を堅持することを表すこととする。
…そうでなければ懸命にやっている選手そして運営にかかわっておられるスタッフの皆さんに申し開きが出来ない。
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by katsumi-okuda | 2015-04-23 11:03 | 稽古日誌

再考…今を生きる武道

いつの頃からか、道場生の大半は子供達と幾らかの壮年部と一般部。

それ自体、悪いことでもないし「時の流れ」「時節柄」と思うが…
さて、そんな中で時に思案することもあります。

私は以前から(完全に私見ですが)こう考えています。
競技としてのカラテ
徳育としてのカラテ
そして、現代の生活に活きるカラテ

大別すると、そんな感じになります。
ふだんの道場運営を考えるとそんな感じだと思っております。

確かに私たちのカラテの本懐は「強さ」にあります。競技で一番になることもそうでしょうし、本音を言えば「ケンカに負けたくない」「強くなりたい」という「本能」めいたものに起因しているように思えます。

別にはじめは、それで良いと思いますし、子供達であれば、純粋に「楽しい」「かっこいい」でも、全然構わないと思います。
その入り口から「勝つことの難しさや大変さ」そして、出来ることの嬉しさと立ち向かう為に大切な心のあり方を学んでくれるなら、それにこしたことはないと思っています。

幼いうちに礼節をわきまえ学ぶことは大事なことですし、大人になっても、それを再確認する為に若い道場生達と交わることも私たち壮年にとっても、大いに有意義なことだと実感もしています。

ふだんの日常生活とは、かけ離れた道場でのひと時は、人として大切なことを思い出させてくれる「場」だと思っております。

時として、辛く厳しい稽古鍛錬と弱い自分と対面する。そしてそこから、新たな気づきがある。他のスポーツに負けない何かがあるとしたら、そのことだと私は、思っています。

痛く辛いことや守らなければならない「約束事」のなかで自身を成長させていく一つの術として私たちは、この「武道」を選んだのです。

ですから、若いうちの勝った負けただけにとらわれず、出来る限り続けて欲しいとも思っています。時に忙しく、時に他のものに気を取られても構わないと思います。出来るときが、きたらまたはじめればいいのです。

「道」は、そこにあるのですから。

迷ったら、その「道」をまた進んでみたら良いと思っています。

どんな人でも迷いはあります。
どんな人でも、逃げ出したくなるときもあります。だからこそ、日常からかけ離れた「道場」という場で何の関わり合いのない道場生達と共に汗を流し息も絶え絶えになるのです。

そのひと時…すべてがリセットされる。
そう私は、実感しています。
多分、ストレスを解消するとは、そういうことをいうのだと思っています。
たまにお酒を飲んでうさを晴らしたい大人の方も、いらっしゃるとは思いますが、健康の為を思えば、道場で発散する方が、よほど生産的だと私は実感していますが…

そして私は、この齢になったからこそ思うことがあります。
無論、私たちのカラテの本懐は「強さ」に他なりませんし、私は道場の長として出来る限りやれる限り、それを希求し続けます。

ただ、過ぎ行く来し方を眺め懐かしんだり自慢したりする気は、毛頭ない。
今が、あるだけなのです。
身体的な強さには、自ずと限界はあります。
ですが、それを補って余りある術もまた私たちは、ここで学ぶことが、出来るのだと確信もしています。

強さには、色々なものがあります。
特に現在に生きる私たちに必要な強さとは、時として「心」であったり「身体」であったりします。その為に大切なものがまず「身の丈に沿う稽古鍛錬から培われる健康」だと実感しています。不健康な「強者」は劇画の世界だけです。
「健康でなくて強い弱いは、論じられない」

どのように身体を動かしていくことが、今の自分にとって最適なことかを学び、そして、実践出来るのが私は、武道武術だと思っています。


ふだんの稽古鍛錬から今の自分の有り様を知る。そして、熟考しまた実践していく。
その繰り返しから生まれる有形無形なものを学びとして明日の糧にしております。

…ひとたび稽古に勤しむと、本当に我を忘れ無理もしがちな年頃^_^です…明日のことも、考えず…。
次の日、いや忘れた頃にやってくる⁉︎身体の痛みに苛まれても、それに勝るものを私は、手に入れていると思っております…いや、そうありたいと願っているのかもしれませんが…

それだけ、やる「価値」のあることだと私は、思っております。
だから、人様にも、勧めているのだと良いように解釈もしております^_^
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by katsumi-okuda | 2015-04-14 00:30 | 稽古日誌

春の陽気に…柏の葉でイベント

朝から春らしい日和。

12日の日曜、地元「柏の葉公園競技場」でチャリティーイベントが、行なわれる。
そこで成田指導員の肝煎りで丸一日「カラテの体験&公開稽古」をやることになった。

朝一番から指定された場所で支度をし、午前11時の一部を開始を待っているとちらほらと白い道着姿が見えてくる。
…中には遠くから元気に手を振ってくれる者もいる。何故か長閑な雰囲気^_^

あまりお客さんは、集まっていないが普通に「公開稽古」

今日の為にわざわざ東京から鈴木先生たちに参加頂いた。
午後からは埼玉から橋本先生たちにも参加頂き、和気あいあいと和やかな雰囲気で子供達の稽古が…。
いつもの違う屋外ということもあり、勝手が違うが、みんな頑張ってくれました。

都合、午後から二回の計三回。

午後からは、指導員たちも揃い、子供達も慣れた子供達が、多くなったせいか、観る以上に「体験」してくれる子供達も増えた。
細々と動いてくれる成田指導員には、助けられた。また、途中(彼女同伴^_^)参加のイブは、小さい子達の面倒をケント指導員と共に見てくれこれも助かった。

最後の三部からの稽古では、人出の多さからなのか色々な知り合いに会えたのには、嬉しかった。
ららぽーとで教えているロシアの子供達。
わざわざ駆けつけてくれた姪っ子夫婦、
近くに住んでいるという久しぶりの昔の道場生(現在、他派閥でやはりカラテの先生をやっている。)が、来た時は、本当にびっくりしたが、話していると瞬く間に昔のような感覚に浸れた。

今回、初めての試みだった為、どこまで観ている方々に伝わったかは定かではないが、それでも、やっただけのことはあるような満足感は、得られたと自己満足している。

流石に早朝からだったので疲れたが、これはこれで心地よい疲れなのは幸い。

まずは「広く認知してもらうこと」
それが、今回の一つの目的でもあり、また、子供達の「慣れ」も作ってあげたかった。
人前でそして、みんなでやることに一つの意義があるとこんな時は、本当に実感する。

朝からお集まり頂いたご家族の皆様、そして遠方からお越し頂いた鈴木先生、橋本先生。その道場生の皆さん。
そして、子供達と一般の指導員の皆さん本当にお疲れ様でした。また機会ありましたら宜しくお願い致します。そして、本当にありがとうございました!

.三部からの稽古の時、強い風が…
「残りの花吹雪」が…
少し寒かったが、何か良い感じがした。
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by katsumi-okuda | 2015-04-13 00:12 | 稽古日誌

新しい人たち、そして…

新しい年度を迎え、新しいお友だちも増えてきています。ますます今まで以上に楽しくやりがいのある稽古そして、色々と伝えていきたいという思いにいたっています。

…周りの親しい人たちには、お伝えしているのですが…改めてご報告というかお知らせ致します。

今から、確か五十路に差し掛かった頃からか、定かではないのですが…
左の耳が、聴こえずらい。
絶えず金属音、耳鳴りがしていました。

さして気にはしていなかったのですが…
ここ数年、その症状は少しずつ悪くなっているように感じられ、時として眩暈や吐気まで感じるようになり専門の先生等に検査治療をして頂いておりましたが…

「突発性難聴の疑い」あり。
症状そして、その進行は、人それぞれなので、今更どうのはないのですが…
…現在、左の聴力は右の半分あるかどうか。
ただ、徐々にそうなったためか、あまり日常での不安はそれほどでもないのは幸いではありますが…。

亡父が、そうであったように少なからず遺伝的なモノも感じられ、半ば致し方なしの感を抱いております。

単にそれだけなら、どうということもありませんが、それで周りの方々や事象にご迷惑をおかけするようになっては、との思いが強くなっております。

いずれ早い時期に公の場での活動を控えさせて頂くことになると思っております。
ただ生来、楽観的なのか何なのか、あまり気に留めてはおりませんので、これからも子供たちとそして、皆さんとの稽古は、やれる限り続けて参る所存でおります。

欠けるところが、あるのなら、それなりにやればいいだけの話し。
それで人様にご迷惑が、かからないのであれば…。

幸いまだ人様と同じように動ける。
ならば、わたしの稽古を止める事由にはならない。足らないのなら、それに相応しい創意工夫をするのが、武道の矜持と余計に思い定めております。
ひそかに、さてこれからどうなるかなと楽しみにしている自分が、いるのも事実です…不遜に聞こえるかもしれませんが、それが、今の偽らざる心境でもあります。

川縁の桜も満開。

それ以上に私は、新緑がココロに染み入ります。

これからを楽しみにそして、今まで以上に周りに感謝しやらせて頂くことに大袈裟ではなく喜びとしております。
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by katsumi-okuda | 2015-04-04 19:13 | 稽古日誌

審査考…いつも思う

如月も終わろうとして、少し肌に当たる風が春を感じさせる。
審査会からもう、一週間になろうとしている。
さて次は、大会の準備に追われてさが、細やかでも、参加してくれる皆さんに満足のいく大会を心掛けねばならない。

…いつも審査の後、思うことがある。
審査する側であり、そして昨年、自身が受けたがわでもあるからか余計に考えてしまった。

確かに素晴らしい審査会であったことは、疑いようもないし、その価値は誰にも周知して頂けるものだと確信している。

が…「あの激しい連続組手を見て感動することは、あっても、ヨシじゃあ自分も挑戦しようと思う者、そして同じように出来る者が、果たしてどれほどいるのだろうか?」
それだけあの審査そして連続組手は、価値があると思うだけに、一抹の不安と言うか矛盾を感じざるを得ない。冷静にふりかえれば振り返るほど、そう感じてしまう。

結果、激しい連続組手は、やはり特別な者そして若い者それも選手にしか出来ないのではないか。その為若い者の挑戦はあっても、年長者の挑戦への弊害になりはしないか?

年長者や子供達、女性の為の審査基準は、暗黙の了解のもと存在はしている。
ただこれから多くの人たちに門戸を開いた真の武道としての審査そしてその明文化された基準は、必要になっていくことだろうことは疑いもないと確信している。

単に体力を見るなら事前に稽古の中でわかる。受審する者の出席率や稽古姿勢でそれは判断できよう。組手に関して言えば倒し倒されは、試合であり大会であろう。それを審査に持ち込んでは判断の基準は、変わろうというもの。

試合のように本気で戦うのであれば、せいぜい全力で十分ももたないのが現実。

審査の組手は、その者がふだんの稽古で培ってきた稽古の全てを観るものであると思っている。だから、私は倒し倒されのような組手は審査の際に望まない。
そうでなければ、要らぬ感情のシコリや軋轢ひいては、先細りの未来しか見えないのではないかと危惧するのは私の老婆心なのだろうか?

理想を申せば、ルール等の違いはあれど剣道や弓道の高段者審査のような真の心技体を、観れる審査そして基準を構築出来ないものか…

無論、私達は実戦の徒である。
実戦組手を抜きにしては決して語れないのが当然の有り様ではある。
だからこそ、それを踏まえた審査での組手基準は、あるべきだと考えている。


例えば…年齢五十路以上、組手の相手も同年代かそれ以上の受審者同士。
組手は、試合形式三分一本勝負。
勝ち負けは判定するものの、その組手の有り様全てをもって判定し昇段の可否を認定する。

無用な怪我は年長者や女性の受審者には、あってはならない。
ただし、受審に至る謂わば前審査は、これまで以上に拘ることとする。稽古姿勢は、もとより出席率、体力等、型の精密性とその理解度…全てにおいて認定された者のみ本審査を受審出来るものとする。

例えば、そんな規定なら私もまた七十路になっても受審出来るかもしれない。その年まで受審出来てこその武道ではないかと、こんな時夢想もしてしまうが…さて、如何に…
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by katsumi-okuda | 2015-02-28 15:18 | 稽古日誌

審査会に思う

流石に寒さが厳しい。
今日、福島門馬道場主催の審査会に参加させていただきました。
私どもの古参の指導員二人が、十数年間ぶりの受審。幾ばくかの良い意味での緊張感をもって…

午前10時に基本、移動、型そして補強と続く確かな審査が、延々と続く。
寒いはずの大きな体育館の中、受審者は息も荒く汗を滴らせる。

午後から正念場の組手審査が始まる。
こどもたちの組手から始まり、いよいよ昇段を賭けた者たちの組手が…。

古参の二人は、私の道場に少年部の時代からいる苦楽を共にした「仲間」でもある。
二人共にすでに四十路…時の流れを本当に感じてならなかった。ふだん当然ながら社会人として多忙を極めながらの今日の日を迎えた。
調整は確かに万全とは言えないながらも二人とも、そんな事をおくびにも出さず淡々と審査をこなしてくれていた。

そんな姿を見ていて確かに思うところがあった。
審査の準備とは、無論ふだんの稽古の有り様であり結果そのものではある。
しかし、それ以外にそれまで積み上げてきた様々な思いと経験則であるように思えた。

足らない部分を乗り越える為にその意志と技の出し入れは、自らが積み上げてきたこれまでの時間であり経験則に他ならないのではないかと…特に年長者の受審を見ていてそう思った。

古参二人の組手を見ていて、不意に若い頃の二人を垣間見た気がしたのは、やはり少し感傷的になっているのか。

連続組手も10人を超え一つのヤマ場を迎える。
長丁場の審査会の疲れもピークであろうことは、見て取れるが、ある意味、力が抜け、いい動きにもなりつつある。

相手の強い当たりに表情が歪む。
苦しげな吐息が、私の席まで聞こえてきそうだった。
20人を超え門馬道場師範代と私達の日下部指導員の二人のみとなる。
自然、皆の声援も大きくなる。
それに呼応するように二人は、動く。
相手の強い打突に苛まれながらも…。

ここまでくると半分意地でもあり、無意識でもある。それこそ今まで培ってきた全てを出しながら、相手の動きに呼応する。

ラスト30人目、日下部君には私の道場の小森師範代!当然と言えば当然か…。
一気にラッシュをかけ最後の最後の「花道」
ラッシュをかけられながらも、大技で返す!
…二人とも楽しそうだ。
長い付き合いでもある。
同じような思いも、ある。

終了後、私と門馬師範の二人に握手を交わした。

強い握りだったことに安心した。
正直、万感の思いが、こんな私でもあった。
…長い付き合いゆえに…。
不遇な若手の選手時代、私をそして道場を支えてくれた二人の今日に立ち会えたことに本当に嬉しかった。
そして、二人、本当におめでとうと心から言いたい。また、その今日、彼らの為にわざわざ出向いてくれた坂場、飯村指導員のお二人本当にお疲れ様でした。

今日という日を整えてくれた門馬師範と道場の皆さん、そして最後までご声援いただいたご父兄の皆様本当に感謝申し上げます。
また、機会ありましたら共に皆様と稽古出来ることを願っております。
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by katsumi-okuda | 2015-02-22 23:07 | 稽古日誌

あらためて思う

とりあえず、この地での公立高校前期試験が終わった。いつものことだが、悲喜交々…

そんなことを横目で見ながら思いました。

合格する者、または試合で勝ち上がる者たちは似ている。
いつも黙々と与えられたことをこなしている。
強くなろう今より出来るようになろうとして…

どんなに環境が悪かろうが、その者たちには何のハンディでもない。確かに有名な予備校や塾そして道場には精鋭が集う。そこでの切磋琢磨は、大いに価値がある。
しかし、その名に酔うて惑うだけでは何の役にも立つものではない。

今より出来るようになろう、強く上手くなろうと思う強い意志と与えられたことをこなす実行力が、あれば、いい。

私達指導者は、それを支えることに腐心する。
必要なのは、学業でも稽古鍛錬でも「自己鍛錬、学習」に他ならない。
わかりやすく指導することや、やる気を、引き出すことは確かに必要だ。
しかし、やはり、自分自身が、やらなければ強くも上手くも、そして、出来るようになるものではない。
強く上手くなった。合格した。
それは一重に本人の頑張りの賜物以外の何物でもない。その為にその本人が、成すべきことは「やること」それ以外にない。

環境に、甘え嘆く者は何も得られない。

どんなことでも、そうであるように…
その目標に正対し己れが信じた道をただ真っ直ぐに歩くことだ。
急がずともいい。
ただ、ゆっくりと確かに積み重ねることだ。


私の稽古鍛錬と学習指導は同じ。
理解したなら、あとは黙々とその日の目標を達成すべく「量」を重ねる。
どんな状況下であろうと、やったことが、何も考えずに出てくるまで…。
そこに余計な指導はない。

時に惑う。
その時、私達は、それを支える。
挫けそうになる心に寄り添い、その路を共に歩くことを厭わず、何故その稽古鍛錬そして自己学習が、大切か、幾度となく説いていく。
その為に私達指導者も、同じ稽古鍛錬そして自己学習を怠たってはならない。

…日々新たにして、また明日から立ち向かう心算を整えなければならない。

明日は、福島まで昇段審査会。
ウチからも古参の指導員二人が、受審する。
今の有り様をそのまま出してくれれば、それだけで、いい…。
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by katsumi-okuda | 2015-02-21 15:05 | 稽古日誌