武道カラテ稽古日記

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…何故か

…何故か…

秋になると…特に今年は

色々なことが、ありすぎる。

治りかけていた右肩を再度痛め、また一からやり直し(T ^ T)日常生活が、ともかく不便。

仕事上のことで右往左往。
なんとか周りの方の尽力にて波も収まる。

道場裏口から空き巣侵入。
何も取られてはいないが…
結局、鍵付け替え。

とある駐車場から本道に出ようと一時停止して待っていると…いきなり横からやってきた電動自転車にぶつけられる(T ^ T)
お互い怪我もなかったから良しとします。

毎年、どうしたことが11月になると怪我をしておりました。
どちらかというと自分のせいですが…

何にせよ、全て「事なきを得た」
という感じで、感謝です。
大事に至らなかっただけマシと…


by katsumi-okuda | 2017-11-06 10:27

ココロの強さ

先日の日曜、姫路大会に行って参りました。

総勢620名余りの選手たち…それを捌いた米山先生初めてスタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。
予定通り、定刻までに終えたことに皆様も安堵されたことと思います。
主催者側は、いつも、そのことに腐心致します。
出来て当たり前の感覚になってしまいがちですが、そのご苦労は、現場の方々にしか、わからないことですね。

様々な大会に審判としてお手伝いをさせて頂いておりますが、本当に毎度思うことがあります。

特に今回は、初めから決勝まで主審を勤めさせて頂きましたので、間近で感ずることが、いつも以上に多くありました。

特に関西での組手の試合は、毎度「進化」しているのではないかと思っております。
また、その進化を特に子供達は、惑うことなく、ごく当たり前のようにこなしている様を見ていると驚きしかありません。

真正面から一歩も引かず、打ち合い蹴り合う。
その中で、様々な駆け引きをする。
加えてタイマーをその打突の最中で見やり、残り時間を考え、一気に攻め立てるか戦略を実行していく…年端もいかない子供達の能力とは、ある意味底無しなのかもしれないと感じました。

決勝に近づけば近づくほど、戦う両者に差は無くなっていく。
延長そして再延長…それでも、僅かな差しか生まれない。それを私たち審判は、見定めなければならない。
特に主審は、選手たちの息遣いが、わかる位置にいる。明らかにきかされている劣勢になっている息遣い…しかし、それをすぐさま、隠し通す体力とその強い意志…。
ここまで完成された子供達にその先何を求めさせたら良いのか、ふと考えてしまうことも…。

何にせよ帰りの新幹線の車中、微睡みながら、そんなことを考えていた。

あそこまで強いココロとは、単に「負けたくない」という単純な意志だけのものなのだろうか。

あまりに強過ぎるココロは、時として折れやすくもある。それをどのように導き次に繋げてあげることが出来るか…
それも、私たち大人の一つの大きな役割りでもあろうと実感もした。

さて、あちこち痛いとばかりも、言ってられない。年の半分を過ぎようとしている。
私たち大人も、もう一つ進まねば…
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by katsumi-okuda | 2017-08-29 20:46

夏終い…

ここ数日、健康的と言えばそうなんだが…
合宿やってるような早起きである。

肩が疼き、目覚めてしまうのは、仕方ないのだが
どうやら本格的に心身ともに「爺」と化してきたか(-_-;)

まだ家人やら近隣が、起き出す前の静かなひと時
何かと時間を費やせるのは、嬉しい誤算。
ただ、昼過ぎ、猛烈に眠い💤
というか、寝落ちしてしまう。

さて、夏も終わりが見えてきたこの頃、次のステージを作り上げていく備えを思考しております。

私の仕事の一つが、個人指導などに関わることなんですが、ここにカラテと運動後のCAREも含めた個別指導が、出来ないか思案中…
現在、道場生の稽古の中で施策中です(壮年や女性部の皆さんにやってもらったりしています)

壮年や女性部が、健康の為云々と今まで通りな稽古だけやらせておく旧癖なやり方を排し、様々なトレーニングや武道的な身体操作を元に本当に無理のないカラダの使い方そして「戦いかた」を皆で作り上げていけたらと…。

この歳になると余計に感じます。
激しい稽古や鍛錬のやりっぱなしでカラダに良いわけがない。稽古の後は呑んで喰って云々…
そんなことは、せいぜい二十代前半までの所業。

歳を食っても、あいも変わらず無茶なことをやり、カラダの内外にダメージを残す。
そんなことで本当に武道をやってるのかと言いたくなる。

特に武道を生業とし人の前や上に立つ立場なら尚のこと。歳を食ってから不健康を自慢する輩にはなりたくない。若い人達と互角に動く為に何が、必要で何がいらないか思考と実践することをこの頃の第一としております。
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by katsumi-okuda | 2017-08-24 07:11

何故に…

…確かに肩が、痛い。
夜明けあたり、肩が疼き、そして、微睡み目覚めて行くが…あまり、ほめられた目覚め方ではない。

どちらにしても、そんなことだからか、この夏は、東の空が明けきらないうちに、今日が、はじまってしまう。

なので夜も、それなりに早く床に就いてしまうから、良いとも言えるのだが…。

やはり、歳のせいなのかなと哀しくもなってしまうが、静かな早朝を楽しんでいるフシも、あるから満更でもないかと…。

一頻り、この時間をどう使うか思案するのもまた、何気に楽しかったりする。
人というのは、ある意味、勝手なものだ。
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by katsumi-okuda | 2017-08-22 07:40

いつもと少し違う

ここ数日、夏を忘れたかのような涼しさと雨の多さ…あれ程、猛々しいほどの暑さと小雨は、何だったんだろう。

何かで見たが、三十年程前の7月の平均気温は26.7度で30度を超す日は数日しかなかったそうな
それを知って何故か納得。
碌な水分補給もせずに運動したり、何の暑さ対策もないところで激しい運動やら活動をしていたワケが、少し解明(^_^されました。

そんな中、御盆休みを頂き、いつものように墓参もしましたが、ドシャ降りに祟られ、早々に切り上げてしまい心残り。
なので、秋のお彼岸に改めて来ることを伝えて参りました。

今年は、いつもと同じような墓参やら何やらなのですが、天候のせいなのでしょうか…

少し様相の違う数日を過ごさせてもらっています。
仕事もひと段落したせいもあり、溜まっていた本を読了する一日を設けたり、気になっていた社に詣でたりと…そして、これから何を…と考えたり
何気に有意義で贅沢な時間を過ごしております。

人それぞれなんでしょうが、私は、こんな感じが贅沢に感じてなりません。
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by katsumi-okuda | 2017-08-16 07:16

漫ろ思考す

…なんのことはない。

やらなければならないことは、山程ある。

それを一つ一つ考え、そして、行う。
ただ、それだけ。

先ずは、今週末から「夏合宿」
大体、人数は確定したが、いつものことで、始まってみないとわからないこともあるので、少し悩ましい次第。

でも、忙しい中、水戸の皆さんや本部若手の指導員達は、都合のつく限り参加手助けしてくれる。
毎度、有難い限りです。
なかでも、若手の指導員達が、率先して子供達の指導に当たってくれるのは、何にまして嬉しいです^_^

合宿中も、次の「形」を考えてみようと思っております。
来年になりますが、「型試合、大会」を考えております。
その為に考え施行しなければならないことが、多々ありますので、どうしても、時間が…

良い大会試合を作り上げるためにも、少なからず時間をかけ、やっていきたいと思っております。

…あとは…この動き泥む「六十肩」⁈
日常生活も、儘ならない。
お陰で鍛錬も、さして出来ず仕舞。
今、最も悶々としておる事象(自傷?)

救いは、やはり、子供達の笑顔と元気^_^

さて、有意義な合宿となるようにせねば。
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by katsumi-okuda | 2017-07-25 16:10

疎ましきもの

例えば、年相応な分別、常識を弁えていない輩との同席。

俗にいう「頭が固い」「頑なに自論を展開する」加えて「浅学薄考」を認識していない。
人は、どのようなことであっても謙虚にして全ての物事事象から学ぶことを常とせねばならない。
特に私たちのように年長であり、少なからず他者に影響を及ぼすであろう立場の場合、尚更。

まだしも、年端のいかぬ子供達なら可愛げもあろうが、十二分に大人な方々は、見ていて辟易とするだけ。
今では、出来る限り、そのような方々との隣席は、それとなく避けるようにはしているが…

加えて、社会人として常識を弁えておらぬ輩。
何をか況んやである。
例えば、小学生男子の 性癖のままカラダだけ大人になったかのような輩には、心底呆れるばかり。

例えそれが、酒席であろうがなかろうが、大人としての慎みを持てない者が、往々にしている。
その場合も、私は遠慮する。
馬鹿騒ぎと楽しい会話談笑は、似て非なるもの。
どんな場であれ「マナー」はある。
下の年代が、軽々しく上の者とタメ口をきくなどは、私たちの世界いや一般社会で通用するはずもない。

どんなに無礼講であっても、越えてはいけない一線というものがある。
それが、常識、礼節である。
何も武道の世界に限ったことでもなかろう。
そんなことも、弁えない知らない、もしくは勘違いしている輩とも同席は、勘弁してもらいたい。

なかには、どうしても避けられない場合もある。
その際、正面から諌め叱責する。
というか、私は顔にでるタチなので自然、近寄らなくなるのが常だが。

また、訳のわからない自論を展開し、収まらないようであるなら、論破することも、吝かではないが…あまり頭の頑なな者と論議は無毛以外の何者でもないので、極力避けたい。


同じ価値観とは、世代性別の差はない。
例え相手が、子供でも、同じ感性と確かな礼節があるのなら私は、それに相応しい対応は必ずするよう努めている。
それが、相手に対しての礼儀だと私は思っている。相手を思い遣るとは、そこから始まらなければ、ならない。
少なくとも、私の幼い弟子達には、このことを正しく伝えなければならない。

だから私は、機会あるごとに「常識」「教養」としての話をすることにしている。
良き人強き人とは、それらを兼ね備えた人。
媚びへつらい、ただ笑って誤魔化すことなく、確かな礼節と教養をもって「らしい」立ち振る舞いを出来る人になってもらいたい。
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by katsumi-okuda | 2017-07-18 20:37

見た目とは…

先日、福井県大会にお邪魔させて頂いた。
福井の今城先生はじめ関係者の皆様、細やかな心遣い本当にありがとうございました。そして、暑い中お疲れ様でした。
毎度、大会にお邪魔させて頂き毎度々本当に学ばせて頂いております。
いつか、私の道場からも参加させたいとも思いましたが…。

今大会、印象に残ったこといくつか…、


本部席でMコートの試合を観戦していると、見慣れた「白帯の男子」が現われた。

確かこの前の神奈川県大会に出ていた男子だ。
ここにまで出てくるなんて…
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(大会会場になんかいた^_^)
道着の着方から堂に行っている。
見るからに「黒帯」もしくは、それに相応しい実力者と見られる。

一回戦、重くて早い左下突きの連打と僅かに蹴りを散らすだけで、技あり。
相手も、そんなに弱いわけではない。
なのにである。

その後も準決勝まで瞬く間に勝ち上がった。
突きの連打から飛び後ろ回し蹴りで技ありをとるなど多彩。
そして、何より気持ちが強い。

そのあと惜しくも三決にまわった彼を審判で裁いたのは、私だったが…
少し言葉を交わした(道着をなおした)
とても好感の持てる好男子だった。

そのあと釘島師範の紹介でその子とご父兄の方とお会いした。
元他派閥の極真門下生で訳あって黒帯を締めないで戦っているらしい。
見ようによっては、不遜な輩に見られかねない行為であるが、その真意や覚悟は、試合の内外に示して余りある。

一般部決勝に上がって来た日下部尚人選手。
優しく涼しげなその顔からは、想像もつかない果敢積極的な組手。そして、それを裏付けるだけのスタミナつまりふだんの稽古量を思わせる。
やはり世界選抜は伊達ではない。

良い意味で見かけだけで判断出来ないのが、今の子たちの一つかもしれない。
それとは逆に見かけと正反対に「引いてしまう」言動のいい大人たちがいるのも、また事実。
by katsumi-okuda | 2017-07-17 05:50

諦めない…日々の行いから

昨日、本部三部稽古の折、神奈川での試合で脚に大きな痛手を負っていたはずのケント指導員が、それこそ、何事もなかったかのように稽古にやってきた。

両の脚特に脹脛の負傷の度合いは、かなり酷い。
満足に曲がらない。
当然、蹴れるはずもない…
それでも、そんなことを考えてかどうか出来ることを淡々と繰り返していた。

少しは加減するよう伝えたはしたが、その気概は、少なからず皆の手本。

やられたら、いつかは必ずやり返す。
その強い思いを持ち続けることの難しさと何を鍛え補っていくか実行することの大事さを改めて知らされる。

仕事や学業で忙しいのは、誰しも同じ。
才能のある無しではない。
必要なのは、やるかどうか。

その積み重ねこそが、いつか昇華する一助となることを忘れてはならない。

閑話…

この前ネットで観たのですが、感動したことがありました。アメリカの素人オーディション番組で耳の聞こえなくなった女性が、まるで普通にとても素敵な歌を歌っていた。
彼女は、歌を歌うことを諦めたくなかったし、これからも諦めないと言っていた。
万雷の拍手賞賛…
本当に諦めないとは、こういうことを指すのではないかと感激しながら、考え込んでしまった。
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by katsumi-okuda | 2017-07-14 18:31

強いココロと諦めない思い

先日、7月としては猛暑日となった神奈川県大会。午前中は、山の中腹という立地の体育館は、それでもあまり風が入り込まない。
出場する選手達の体調が、今少し心配されたが、特に子供達は、皆元気に試合に臨んでいた。

結果としては、参加した子供達の中で上位まで食い込むことは叶わなかったが、得るものの多かった試合であったことは確か。

どんなに稽古しても、中々勝てないのが勝負事。

そして、負けてから始まるのが稽古。

どんなに優れたワザや体力があろうと「強いココロ」が、伴わなければ何にもならない。
そしてそれは、ふだんどれだけ、どのように過ごしたかで決まるものではないかと多くの試合をこうして間近で見ることで改めて思う。

一般部で出場したウチの選手。
仕事で稽古もままならいことも、言い訳にせず皆の良き手本となった。
決勝戦、身長体重そして年齢は、相手の方が若い。

試合がはじまると終始押され気味になり、
三度も顔面に蹴りを喰らう。
しかし、顔を流し返す刀で突きや蹴りを出していく。一般部の判定は、いくら顔面にもらっていようがタタラを踏まなければ技ありは、とられない。
善戦したが完敗であった。
終わってから「もらっても絶対倒れない」と思っていたと言う。
流石なのか何なのか…
良く私の道場の心意気を体現してくれたと我弟子ながら感心した。
(次の日曜、彼は何事もなかったかのように自分の指導する道場に向かった。痛めたはずの身体を受け入れて…)

強いココロとは、結局「自分の弱いココロを理解し向き合えること。それを受け入れた上で立ち向かえること」

加えて試合の最中でもまた日常でも、諦めないココロを体現せねばならない。
ふだん出来ないことを試合中出来るはずもない。
結局、どれだけ踏ん張れるか、諦めないかは、ふだんの過ごし方如何によると思う。

そして、それらを作り上げていくことの困難さを自らが知り立ち向かうことの大事さを特に子供達に知ってもらいたい。
試合とは、それらを体現発露する「一つの稽古」であり「試し合い」の場なのだから。

昔日、総裁に言われた。
「片手がダメでも、まだ片手も脚もある。両腕ダメでも脚がある。全部ダメになっても噛み付いてでも勝ちなさい!それくらいの気概がなけりゃダメだよ‼︎」
極論ではあるが、本当にそうだと実感してならない。

試合に負けたのは何らかの理由が、ある。
それをそのままにしていくのか、どうするのかで本当の稽古は、始まる。

ウチで試合や他の分野で活躍してる多くの元道場生がいる。
皆、その気概をもって様々な物事に当たっている。それを次につなぐこともまた道場としての大切な役割だと実感して他ならなかった。

「判定とは試合とは、審判つまり他者の評価により決するもの。そうである以上、圧倒的な優位で勝てる技量と体力を有する事。そしてそれらを100%体現出来る平静さと熱情を持つこと。」
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by katsumi-okuda | 2017-07-10 11:36