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武道カラテ稽古日記

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ふと思う事…壱

 そろそろ年末にさしかかって参りました。
何かと気ぜわしく毎年過ごしております。仕事納めや清掃&整頓に追われます。
元々、掃除をしていると考え事や思っていることを「リセット」出来る良い機会と思っています。
そして、今年もそうしようと思っていますが…。

 目についた書籍を何気なく片付けていると、あまり今では開ける事もない書物が出てきます。
ふと立ち止まり手にとって開けてみると…そのまま読みふけるなんてこともよくありますが、そんな時間もないので、立ち止まらずに整理していこうと…。

 何でもないそんな風景に昔を思い出す事もあります。
何かの拍子で「昔」がフラッシュバックしてくるようです。
「この本を買った当時、そういえば、あんな稽古をしていたなぁ」
結局、思い出すのは稽古の事ばかりですから、少し笑ってしまいます。

 この前の女子アマレスリング吉田選手には、感心しました。
手首を疲労骨折しているために戦い方を変え、それをもろともせず盤石の優勝!!まして九連覇の偉業。
言うは安し行うは難しの好例ですね。
そんな淡々とした姿に見習うべきものが、多くありました。
女性でありながら、立派な「武道家」ですね。
口先ばかりの男共が、多いこのご時世、一服の清涼でした。

 そして、先日のボクシング、長谷川選手の戦い方とその技量の高さ。
まさしく練習に支えられた天賦とでも、言えましょう。
練習通り、その場の状況に応じた技の施し方は、まさに達人の域と言われているようですが、納得もしてしまいます。ただ、あの筋肉量と年齢からくる減量は、そろそろ辛いものがあるのではないでしょうか、人ごとながら心配してしまいますね。

 このどちらにも、私たちが目標としなければならない「佇まい」があります。
稽古にしろ練習にしろ、それは、人様に自慢すべき代物ではありません。
どれほどやったとしても、成果、結果がでなければ何にもなりません。
ただ量をこなすだけなら、何と言う事はありません。
そこに意を持たさなければなりません。

 しかし、今では、そんな稽古も少し懐かしむ時代なのかもしれませんね。
ただ、何につけても恵まれた時代です。
時として、私たちは「飢餓」を覚えることをしてみる必要も、あるのかもしれません。
特に若い人たちや子供たち、日々の稽古の中で少しの「我慢」は、していることでしょう。
ですが、時として私たちが、経験したような「壮絶な我慢」も、必要なのかも…と思ってしまいます。

忘れぬうちに、私が経験したいくつかの「我慢」をいずれ書き留めておきたいと思っています。
年のせいで、また忘れてしまわないうちに…。
しかし、たまには、そんな「稽古」もいいかも…と密かに思ったりもしています。
ただ、付き合ってくれるのは…師範代…後は「半強制」というか「自然に参加」させてみましょう。
事前に公言したら、誰もやりませんもの。

例えば一時間の「正拳中段突き」続いて二時間「基本前蹴り」。
ちなみに「約8000回」前後蹴れます。
続いて、拳立て20回×50セット・スクワット50回×20セット
前蹴上げ移動一時間、追突き一時間、一つの型一時間…

これらは、夜七時から朝七時までの「十時間稽古」の一端です。
無論、一時間毎に15分程度の休憩は入りますが、徹夜には変わりありません。
明け方、不思議と自分の悪い箇所が「悲鳴」を上げます。というか「冷たく・動かなくなる」。
真剣に「死」というものを身近に感じた一コマでした。
ただ、やっている最中は、何の感想も感慨もありはしません。
ただ、ただ淡々と過ぎていくだけ…。
やった理由…ただやってみたかっただけです。

そして、その幾年か後、幾人かの道場生と共に再びやってみました。
それを実感して欲しくて…当時の者たちにとって「良い体験」だったようです。
さて、この年で「それ」が出来るか、どうか…ふつふつと今考えています。
by katsumi-okuda | 2009-12-26 02:29 | 稽古日誌