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武道カラテ稽古日記

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問題提起…その一

 どうしても釈然としない出来事にあってしまいました。
ある中学生が、同級生と喧嘩をしてしまいました。その子は、カラテをやっていたため相手をしたたか殴ってしまい少し怪我をさせてしまいました。本人は、相手のパンチ(?)をすべて防いだために無傷。
当然、喧嘩両成敗…かと思いきや、殴った方(カラテをやっている少年)は、先生から散々な言われようをしたとのこと。確かに、その術を知っている者とそうでない者の差は、歴然ですし、怒られても当然です。しかし、それでも、釈然としないことを言われ、その子も愕然としたとのこと。

「カラテは凶器だ!!そんなことをする奴はクズだ!!もう学校に来なくていい。高校もそんなことでは、どこにもいけない。云々…」罵倒する言葉は、延々と続いたそうです。

 とても「教育者」の言葉とは思えません。憤りさえ感じてしまいます。
やったことに関して叱責し諭すことは本人にとっても、大切なことです。ですが、大事なことは、やったことに関して、何を学び何を戒めとさせるかではないでしょうか。
この言葉…ただの「脅し」にしか聞こえないのは私だけでしょうか…。

今の子供たちは、本当に「幼い」。
漫画や映画で「不良」の姿が、カッコいいと思うのはその時代だから許しもしましょう。
しかし、だからといって寓話と現実の区別もつけられぬようでは、幼い子供よりタチが悪い。
そして、時代が、あまりにも神経質・過敏に過ぎると感じている。
よく見れば、ただの同級生同士のささいな喧嘩である。
その場の先生が、両名を叱責し諭すことで十分ではないか…。前述した先生とは「教頭」とのこと…
正直、呆れておりまし、何やら物悲しいことです。

 カラテは「凶器」!??
アスファルトの地面に頭から落とす技術を有する柔道は!??物差しでも鉛筆でも相手に突き立てられる剣道や居合道は??そして、刃物を扱う料理人も「危ない」のでしょうか。
まだまだ、この前時代的な発想が、残念ながらあるということです。
カラテやその他の格技が、危ないのではありません。
それを使う「人」が、どうかということです。
確かに、未熟な子供たちにとって「カラテ」は、簡単に「自身の武器」となり得るものです。
だからこそ、正しい考え方を伝え聡していかねばならないと深く自戒も致します。

「喧嘩に使っては、駄目だ」とは、至極真っ当な意見です。
しかし、相手が暴漢や自身と近隣の親しい者の存在を脅かす者が、相手の場合は、それに非ずと思っています。無論、最上の「護身」とは、戦わないこと相手と「融和」することであり、出来れば回避するために「逃げる」ことを勧める。
 しかし、子供のうち、どうしても諍いやイザコザは、致し方ないことなのかもしれません。
だからこそ、そんな子供たち(特に上級者や高学年のみんなに)に強く言い聞かせることにしている。
「君たちが、そんなつまらない過ちを犯せば、何の関係もない一生懸命稽古している後輩やそして、同じ極真をやっている全ての人たちに迷惑をかけていることを決して忘れてはならない。
君たちのその小さな背中にも「看板」は、ついてまわる。
その年代ならば、その責任を絶対に忘れてはならない。
それが、出来ないなら、潔く相手に殴られてこい!!
それこそが、君たちの責の取り方だとしっかり覚えておくように」

「つまらん諍いに巻き込まれる大部分は、自分のせいだと思え。相手に付け入る隙を与えるような言動をしているから、そんな厄災に巻き込まれる。どんな相手とも仲間になれる自分をふだんから磨いていなければならない。好きな相手と仲良くすることは、簡単。しかし、嫌な奴と仲良くすることは難しい。しかし、それが出来る者こそが最強だろう。
そして、そんな奴は皆が、友達として信頼も信用もしてくれよう。そのことをいつも忘れてはならない。そして、それを磨く術として自分たちは、この厳しい稽古そしてカラテを修練していることを決して忘れてはならない。」

子供たちとは、幾度となく過ちを繰り返すもの。
ただ、それをその都度、諭し、叱責し、共に苦しむことを共有することが私たち大人の努め…。
…しかし、納得がいかぬこと…それもまた修養とも思い入るが…
それでも、この子たちにそれ以上の非がなければ、私たち大人は全力でそれを庇護するのみ…。
by katsumi-okuda | 2009-11-18 00:29 | 稽古日誌