武道カラテ稽古日記

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ご質問にお答えして…その弐

 僭越ながら「私の出目」に関することです。
1954年、北海道に生まれ、どうしたことか幼少期(多分三歳児あたり)から「カラテ」を北大の大学生に習い始める。幼少期は虚弱体質のため、そんなに継続して熱心にやってはいなかったが、感が良かったのか「手際」は大人並みに良かったと言われてました。

中学では人並みにサッカーや陸上をやっていましたが、カラテの興味だけは、途切れることはなく幾多の町道場を点々としていました。
そして、中学三年の時「世界ケンカ旅行」という極真カラテ創始者大山倍達の本と出会い、正直衝撃を受け、親に同意をもらい高校入学と同時に総本部に入門します。
当時、少年マガジン掲載の「空手バカ一代」が始まったばかりで、それこそ漫画に出てくる諸先輩たちばかり「百人の弟子より一人の強い弟子」という総裁の考えや昔ながらの厳しい道場の気風の元、それこそ「間引き」に等しい壮絶な組手と稽古が、ほぼ毎日繰り広げられていました。
当然、その熾烈な競争に生き残るのは至難の業でしたし、よく私のような者が、残れたものだと我ながらに関心します(今なら、絶対にやめてます、というか、はなからやってません)

 当時、直接の先輩方は大山康彦、三浦美幸、岸信行、チャールズ・コリンズ、そして大石代悟先輩
時として、ふらっと現れる山崎照朝先輩は憧憬の的でした。
同輩では、山田雅彦、ブルース・アンソニー(第一回世界大会南アフリカ代表)そして先輩でしたが、年の近かった東谷巧…他にも、佐藤勝昭、東孝、鈴木浩平(身障者の方でしたが、とてつもなく強かったことを覚えています)先輩など、星霜のごとく数多くの秀逸な先輩方に囲まれ、そして可愛がってもらいました。

高校時代は、時間的、距離的なこともあり、あまり頻繁に道場似通わなかったのですが、流石に大学ともなると指導する立場にもなり、一定の間隔で道場には通っておりました。
 そして、縁あって大学時代(とある大学を「ある事情」により自主退学し、一年ほど渡米し他流のカラテ指導員としてニューヨークにて過ごす。帰国後、武道に造詣の深い拓殖大学に編入)、松濤館主席師範、中山正敏師範に師事し、伝統派の空手を稽古、ついで中山師範のご縁で養神館合気道塩田剛三先生や柔道の木村正彦先生にお会いし、少なからずさまざまな経験や稽古をさせて頂きました。
 これらは、わたしにとって後の私の「武道」の根幹を作る上で総裁と同様に大切な「時」となりました。また、アルバイトでホテルで働いていたおりに台湾出身の漢方医の先生から「中国拳法」を習っておりました。要は「武道オタク」でしたので、それと関係する格技や武道は、ありとあらゆるものを聞き齧っていた時代でした。

 大学卒業間近に「初段」允許されましたが、母の看病と介護のために一旦総本部を離れる。
卒業後、予備校講師をやりながら自身で私塾を現在の千葉県流山市で開業し、数年後自流でカラテを子供たちや理科大生に乞われて教え始めました。今から三十年余前の話になります…早いモノですね。
この私塾と「道場」は、姿を変え今に至っています。

 しばらくすると実兄が、当時の極真会館千葉支部に入門したのを切っ掛けと当時、師範代としておられた「加藤重夫」先生(極真総本部の大先輩)に推挙され、分支部「野田道場」を開設するにあたり極真の門に戻りました。当時、支部では「松井選手(現松井派館長)」を筆頭に勢いのある支部の一つとして知られておりました。後に加藤先生が、諸事情で師範代を辞して後、私が「師範代」として兼務することとなりました。

突然の総裁の死去の報を受けたときは、本当に呆然としました。
その報を受け、この支部もそして私の弟子たちも大きく袂を分かつこととなります。しかし、弟子たちは、大会・試合をやりたいという純粋な思い、そして私は、当時の責務と「義」からお互いの健闘を讃えての「良い分かれ方」をしましたので、今でもお互いの健闘を称え合っていられるのは幸い。

当時、遺族派という名称の中、代表の秘書官役としてしばらく内外の活動に謀殺されておりましたが、キック界の重鎮「藤原敏夫先生」や「黒崎先生」等と出会え、親交を熱くして頂いた時期でもありました。
平成七年頃から現在の「水戸道場」開設に携わり、後にその責任者として任につきましたが、離合集散と団体間のやり取りに疲弊もし、また自身の方向性に大きな相違があること自身のカラテを作り上げていきたいという強い思いから、当時の団体から身を引くこととなりました。
 幸い、当時の道場生は一人としてかけることなく、私についてきてくれましたことは、本当に大きな励みであり感涙に値することでありました。

そして、現在の「極真カラテ武颯会」を立ち上げるに至りました。
誰に恥じることのない正統な継承としての「極真カラテ」そして、次代に活きるカラテの創造のために私たちの団体はあります。
私たちは、実戦を標榜している以上、試合・大会という場で結果を出し、その上を目指さねばなりません。また、武道教育としての側面も実践しなければなりません。社会との関わりの中では、さまざまな分野の方々との交流の中で私どものカラテを展開中でもあります。

現在、千葉流山市北部、柏北西部、茨城水戸方面、坂東方面での道場展開をしています。
来期、また県内外の道場・指導出向にむけて調整中です。

…詳しくは書ききれませんし、書いてはいけないこともあります。
それらは、たとえば「合宿」などの歓談の場でお話し致すこととさせて頂きますので悪しからず…。
by katsumi-okuda | 2009-11-14 02:40