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武道カラテ稽古日記

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故に「思考して稽古」

 次の試合や大会を見据えて稽古を…。
と思っていたのですが、満足に動けるのが師範代だけ…。
私は「怪我」…結局、病院にも行かず仕舞いで自力で治すことにしましたが、動くとどうしても無理をしているようで「瞬く間に」又「ふっくら」とした小指に元通り…。
ケントは、まだ半分程度しか膝が、曲がらない状態。
山本くんはというと、昨日から熱を出したそう(どうやらインフルエンザではないらしい)です。

 そんな状態の主要メンツですが、稽古は普通に行われました。
普通に…ミットも…そして補強も…。
みんな、怪我や体調不良というのが、目立ちません。
というか、ミット越しにくる突きと蹴りの衝撃は、何ら「いつも」と変わらない…流石です。

確かに、怪我や体調不良をおして稽古に参加すること自体、素晴らしい姿勢だとは思います。
しかし、それが、流石なのか何なのか…理解には苦しむところです。
(言っている私も、ですが…)

「自分も暫く足の小指を痛めてました。結構、治るのに時間がかかりました」
とは師範代の言葉。
稽古終わりに、そんなことを話してくれましたが、慰めにはなりません。諦めにしか…(TT)

しかし、自分は、どちらかというと足の親指内側で軸をつくるタチなので、どうにかやれるだろうと少々高を括っていたのですが、やはり何かの拍子で小指がひっかかります…。
少し気にしながらの稽古が、続きそうです。
(ちなみに分かっていながら、そんな足でミットを蹴ってみました…当たりどころが悪いと…絶叫しそうです…かなりスリリングなミット稽古…注意深く蹴れる良い機会と思っています)

 後半は「指導員稽古」として「型指導の要点」をかいつまんで伝えました。
これは、指導員たちばかりですから、それこそ身体操作の理解は早いものです。
そして、型稽古は、一面痛めた身体の動かし方を矯正したり、間の作りや技の緩急・強弱を考える良い機会・手立てとなるものです。

 型と組手は、両輪の輪であり、カラテとは、いくつもの矛盾を「統合」していくもの。
そう理解し稽古に臨まなければ、先が見定められないものだと思っています。
どんなことでも、行う意識(頭)は一つです。
いろいろな事象を仔細なく行える意識と身体操作をモノにしていくことこそ「自身のカラテ」をつくるものと、こんなときは特に思うものです。

 スタミナのないパワーは無意味であり、スピードのない技は役に立たない。
それぞれの項目を満たせる心身を作り上げていくことが、日常の稽古であり、根幹でもあります。
ただの殴り合いに終始していては先がない。
その先を見るために「基本稽古」の大事さが、あるというものです。

相手との「間」の取り合い、呼吸の「読み」そして、力や速さの緩急・強弱を型や簡単な移動から探求していかなければならない。
上級者そして指導に立つ者は、そのことに腐心し続けなければならない。
確かに型をいくつかやって、すぐにどうなるというものではない。
しかし、明らかに組手で上手になれる手立てとして、又現に強さを身に付けられる術として型や基本は「そこ」にある以上、やらなければ道理に合わぬと考えています。

指導員たちは、そのことを実感しているからこそ型稽古にも腐心するのです。
満足に動かぬ身体だからこそ、組手でもっと先を見ようという欲があればこそです。
私に限らず、型を型で終わらすことなく精進する者が、いる。
それが、次代を担う若い指導員や子供たちであることに嬉しくも思います。

単に勝ち負けだけに特化した稽古・トレーニングだけでは、先がない。そして夢もない。
カラテがカラテであるために…私たちは「基本」を正さねばならない。
by katsumi-okuda | 2009-10-21 01:09 | 稽古日誌