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武道カラテ稽古日記

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カラテの「理」その一

 たまたま、娘が読んでみてみたいというので「ドラゴンボール」を買い求めました。ついでと言っては、嘘になりますが一緒に読み返してみました。
すると…何か納得してしまった箇所が、多々ありました。
何にでも「学び」も、あるものですね。ちょっと得した気分になったりもしました。

主人公達が、師匠の言われるがまま、毎日々朝から晩まで徹底的に「基礎体力」を鍛えている。それこそ何の疑いも無く…。
そして、大きな大会出場を前にして師匠から満足な技の一つも習っていないので不安を弟子の一人が、口にすると
「お前達二人が、毎日やってきた中にすべてがふくまれている。技とは、ただその応用にすぎん。」
「武道は勝つ為に励むのではない。己に負けぬ為じゃ」
「そのために、これまでに習得した基本を活かし、自分で考え自分で拳法を学べ」

「武道を学ぶ事によって心身共に健康になり、それによって生まれた余裕で人生をおもしろおかしく、はりきって過ごしてしまおうというもの」…と師匠は言っておりますね。
名言ですね。子供向けに語ってますが、全くその通りです。

先代が血の滲むような多くの「智慧」と「体験」から生まれ育った「武道」を現代に生きる私達が修養・修行する意味合いとは何か。
 それは、それを学ぶ人達の志一つ々に当然違いは、あります。それを一つの柱としても、私達は現代に通用する「武道」を希求しなければなりません。
「自分の目の前で何か火急な時があったとき、少なくともそれに対応出来る心身を造る事、活かせるようにしておくことが、今私達が目指す「武道」です」

本来、古の人達が武士であろがなかろうが、男であれ女、子供であれ、誰もがもっていた「感性」を私達は、カラテを通じ身につけるべきだと思っています。

ふだんの稽古で培った「感性=胆力」によって何事にも揺るがない「心」を掴みたいと願っています。
それ無くして組手も、まして試合もあったものではありますまい。試合では特に、相手との技量・体力にそうさして変わりがないのが常。あるとすれば、それこそ「心」の差のみ。

改めて「カラテの理」を再考、再編していきたいと思っています。何をもって私達のカラテとするか。
実戦を旨とする私達のカラテでは、あります。
しかし、そこに「理」と「智」を併せ持つ事が、先の真のカラテ、そして「武道」としてのカラテを導き出せるものと思っています。

理屈をこね回す事無く、さりとて力技ばかりに走ったり、ただ精神論だけ振りかざすカラテは真のカラテに非ず。
折角の「武道カラテ」を正しく継承していくのなら、たえず怠る事無く思考し、そして、それを検証すべく実践していかなければなりますまい。

ただ、そのためだけにこそ「日々稽古」があるのみです。
稽古をしていく、その過程で誰もが、意識せずとも「心身」が伴えるよう私達、指導者は「三倍稽古」を常体としなければ嘘になります。
若い頃は「肉」を鍛え込み、歳を経てからは「筋」を鍛えるとは先人の教えです。
加えて、形で威力が、出せるまで、出し続けられるよう私は稽古に臨みたいと敢えて願っています。
by katsumi-okuda | 2009-01-15 00:52 | 稽古日誌