2007年 12月 17日
為の「稽古」…
早朝は、どこも寒くなってきました。
…この年代になると身内・知人に「病」を負うものが、多くなります。その中には残念ながら逝ってしまう方も、少なくありません。そんな時、少なからず、こうして健康でいられる今に感謝せざるをえませんし、健康について考えてしまいます。 「健康でなくては、強さも何もありえない」 今、これは、私の口癖でもあります。現代社会にあって「武道」とは火急の時に対処出来る心身を平生をもって、いつでも表わせる事と考え、それにそって稽古している。でなくては、何もこのような拳や脚は、普通の社会では必要ない。 無論、私達は「実戦の徒」である以上、「人を倒す術を希求」していることも事実である。強さを求める理由は、人それぞれであるし、その強さの意味もまた、いろいろではある。が、少なくとも、私は強くあり続けようとしている。昨日の自分よりも、心身ともに…。 そのために日常全てが「稽古・鍛錬」と思い知らされる。 鍛える事、食べる事、休む事、そして楽しむ事…それらを合わせて私は「稽古・鍛錬」と思う。 縁あって、多くの人達と同じ道を目指す事が出来る喜び。 子供達と一般の皆さんと…すべての方々と稽古することこそが、私の全てだと知らされる。子供達と接すること全てが、子供達のこれからに影響する事を感じる時、その責任の重さに絶えず身が引き締まり、何をどのように伝えていくべきか、いつも呻吟としてしまう。それが、私の稽古となる。人に正しく伝える事の難しさを知り、その大事さを知る時、すべての稽古指導は、最も大切な稽古の柱となる。例え、子供一人に教えていても、いや一人だからこそ…。 稽古を通じて、稽古する全ての人達に私は、そのことを説いていかなくてはならない。ただ競技の勝敗は、修行の一葉と知ること。本道は、自身の心身を正しく運用する術を鍛える事。その為の稽古でなければ、先は見えてこない。 道場での稽古のみならず、生活全般で「鍛える意識」を保つ事が、最も大切です。特に多忙な毎日を過ごされている皆さんにとって、稽古とはそういうものと知って下さい。 立つ事、歩くこと、座る姿勢、そして息をすること…全てが稽古。 だからと言って、深く考える必要は、ありません。ただ自身が気持いいと思える「正しさ」を意識することです。武道とは、正しい身体の運用とも言います。それは、一重に清々しい「正しさ」を求める事でもあるのです。まずは「健康」である事です。そのための稽古・鍛錬を心がけなくてはなりませんね…。 …稽古・鍛錬は、厳しいばかりではありません。 正しい身体運用・操作を求めて、いかに清々しく動けるか。 楽に動き、相手を制することが出来れば、コレに勝るもの無し…と思いますが、まだまだ、そのために自身に「厳しい鍛錬」を課していかなくてはなりません。
by katsumi-okuda
| 2007-12-17 22:48
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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