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武道カラテ稽古日記

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真の身体とは

 さて週末は、「冬合宿」です。
今年は、趣向を変えて「海」ですが、決して海には入りません。
そんな無謀なことをするために行くのではありません。
足場の悪い砂地で、いろいろと自身のあり方(バランス・協調性)を確かめてみようと言う試みが、一つと真の身体のあり方についての講話を行う予定でおります。今回、参加されなかった皆さんには、その都度お話しをしていきたいと思っています。

 今日も、子供達に「一つでも違いがあれば即失格」という厳して条件で型をやらせてみました。みんな緊張してバタバタでした。
しかし、流石に上級者は、目立ったミスもなく(というか、見せないようにしていた)こなしていました。

「正しいことを正しく」…簡単なことなのですが「難解」且つ「大事」
なことです。特に若い人達や子供達は、何にでも通用する心身を持ってもらいたいと思っていますので、少々難しく厳しい事ですが毎回意識してもらっています。

私は、武道や「動き」の究極は、一切の無駄を省いたものと感じています。多くの諸先生方の動きを見せて頂く時、気が付く事。
それは、無駄が無いということ。力みや動きの「起こり」が見えない。又は、見せない。
 例えば、武士の戦場「切り合い」にあって無駄な動きは、命取り。
舞踏の世界でも、定められた動き以外は認められない。
そのどちらも先人が、幾多の稽古・実戦の果てに知り得た「叡智」
それを希求しなくて武道を志しているとは言えない。それも、実戦・競技の世界において、それを実践しなくてはならない。

 私が三四十年かかったことを私に続く若い人達には、三余年で達して欲しいと願い、そう指導している。あとは、本人次第である。  
 若くして達人になっても悪い法は、ない。ならば、私以上に私に続く者は、成って頂きたい。そのためにも「正しい事は正しく」である。

板間一枚、指一本ずれても、それは達成出来ない。
積み重なる疲労の果てに動くモノ、それが「真の力」と知らねばならない。筋骨の力の果てに生まれる力…それを掴む為の稽古。
基本から型そして補強に至る全ての稽古・鍛錬を「それ」に集約させることが、稽古の本質だと私は思っている。
無駄な稽古はない。やっている全てのことを自身のカラテへ…。

 私は、突き詰めれば「動き」とは「骨格とそれを繋ぐ微小な深層筋の連綿」だと感じている。正しい方向へと力を向かわす時、その初動は、そこにある。ならば、精錬された動きが出来た時…それは、大きな力となって現れると感じている。

子供達に「先生と組手やってると気持悪い、車に酔った時みたいな変な気分になる!?」と、よく言われます。子供達の感性は鋭いですね。私が「その」動きをやると決まって、みんな感じているようです。これは、私の試している動きの一つなのですが「型や基本移動で言われる、腰の高さを一定にし、相手に応じて(前屈移動のように)滑るように出入りを行う」を実践したときの事です。
目標は「幽玄」です。この世の者ではない、幽霊のように動く事…
相手が、気が付いたときは側にいるか、はたまた、その場からいなくなっているか…です。

誰でも、正しく稽古していれば出来る事です。
但し、実戦で使うとなると「覚悟」と相当の「集中力」が必要です。
やってみるのも、ためになりますので…お試し頂ければ…。
by katsumi-okuda | 2007-12-14 01:33 | 稽古日誌