2007年 12月 14日
真の身体とは
さて週末は、「冬合宿」です。
今年は、趣向を変えて「海」ですが、決して海には入りません。 そんな無謀なことをするために行くのではありません。 足場の悪い砂地で、いろいろと自身のあり方(バランス・協調性)を確かめてみようと言う試みが、一つと真の身体のあり方についての講話を行う予定でおります。今回、参加されなかった皆さんには、その都度お話しをしていきたいと思っています。 今日も、子供達に「一つでも違いがあれば即失格」という厳して条件で型をやらせてみました。みんな緊張してバタバタでした。 しかし、流石に上級者は、目立ったミスもなく(というか、見せないようにしていた)こなしていました。 「正しいことを正しく」…簡単なことなのですが「難解」且つ「大事」 なことです。特に若い人達や子供達は、何にでも通用する心身を持ってもらいたいと思っていますので、少々難しく厳しい事ですが毎回意識してもらっています。 私は、武道や「動き」の究極は、一切の無駄を省いたものと感じています。多くの諸先生方の動きを見せて頂く時、気が付く事。 それは、無駄が無いということ。力みや動きの「起こり」が見えない。又は、見せない。 例えば、武士の戦場「切り合い」にあって無駄な動きは、命取り。 舞踏の世界でも、定められた動き以外は認められない。 そのどちらも先人が、幾多の稽古・実戦の果てに知り得た「叡智」 それを希求しなくて武道を志しているとは言えない。それも、実戦・競技の世界において、それを実践しなくてはならない。 私が三四十年かかったことを私に続く若い人達には、三余年で達して欲しいと願い、そう指導している。あとは、本人次第である。 若くして達人になっても悪い法は、ない。ならば、私以上に私に続く者は、成って頂きたい。そのためにも「正しい事は正しく」である。 板間一枚、指一本ずれても、それは達成出来ない。 積み重なる疲労の果てに動くモノ、それが「真の力」と知らねばならない。筋骨の力の果てに生まれる力…それを掴む為の稽古。 基本から型そして補強に至る全ての稽古・鍛錬を「それ」に集約させることが、稽古の本質だと私は思っている。 無駄な稽古はない。やっている全てのことを自身のカラテへ…。 私は、突き詰めれば「動き」とは「骨格とそれを繋ぐ微小な深層筋の連綿」だと感じている。正しい方向へと力を向かわす時、その初動は、そこにある。ならば、精錬された動きが出来た時…それは、大きな力となって現れると感じている。 子供達に「先生と組手やってると気持悪い、車に酔った時みたいな変な気分になる!?」と、よく言われます。子供達の感性は鋭いですね。私が「その」動きをやると決まって、みんな感じているようです。これは、私の試している動きの一つなのですが「型や基本移動で言われる、腰の高さを一定にし、相手に応じて(前屈移動のように)滑るように出入りを行う」を実践したときの事です。 目標は「幽玄」です。この世の者ではない、幽霊のように動く事… 相手が、気が付いたときは側にいるか、はたまた、その場からいなくなっているか…です。 誰でも、正しく稽古していれば出来る事です。 但し、実戦で使うとなると「覚悟」と相当の「集中力」が必要です。 やってみるのも、ためになりますので…お試し頂ければ…。
by katsumi-okuda
| 2007-12-14 01:33
| 稽古日誌
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プロフィール
武道歴四十余年。主たる武道極真カラテ。昭和の名人・達人に薫陶を受け現在、私塾教育経験を活かし新たな指導法を展開。自らも日々稽古を続け、理論と実践の合一を目指しています。
道場指導以外にもスポーツクラブでのカラテ普及に努め、今まで空手に縁のない人たちに空手や武道の良さを知ってもらっています。 カテゴリ
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